決して孤独だけではなかったかもしれない〜ルキノ・ヴィスコンティ『ルードウィヒ−神々の黄昏』


バイエルン王ルードウィヒ2世(1845-1886)が主人公の少女マンガがある。少女マンガは時代物・伝奇・SFなんかが好きと言ったら、職場の人が教えてくれた。
ボーイズラブっぽいですよ、と言われたけど、主人公が同性愛者なんだから当然ですよ、とさっそく入手。


ルートヴィヒ2世 上 (双葉文庫 ひ 9-1 名作シリーズ BOYS LOVE)

ルートヴィヒ2世 上 (双葉文庫 ひ 9-1 名作シリーズ BOYS LOVE)


うーむ、これはひどい


ひとが教えてくれたものを言下に否定するなよ、と言われそうだが、本当にひどいんだから(別にその人もいいとか好きとか言ってたわけじゃないし、いいんだ)。
BL的なのはよいのだが、歴史ものとしても、さまざまなイマジネーションを掻き立てる伝説的「狂王」の肖像としても、少なくとも僕には、つまらないにもほどがある、というぐらいつまらなかった。


歴史のアウトラインと人物を押さえているだけでほとんどのエピソードが創作なのはまあいいが(本当はよくないが)、どのストーリーもルードウィヒ2世と、その愛人であった馬丁長官・秘書リヒャルト・ホルニヒの恋愛を描くためにだけ作られていて、歴史どころかルードウィヒ2世という人物さえどうでもいい、という感じになってしまっているんである。ワーグナーへの執着も身を滅ぼした異常な建築マニアぶりも「美に殉じた王」という観光案内レベルの平板な描きかたで、もしかしたらこの作者、ルードウィヒ2世に大して興味がなかったんじゃないか、と思われてくる。ただひたすらルードウィヒ2世とホルニヒの2人がいちゃいちゃいちゃいちゃし続ける、「やまなし、おちなし、意味なし」を地で行っているんじゃないか、と思わせるマンガであった。さらに、いくらでも魅力的なキャラクターにできそうなオーストリア皇妃エリザベートをはじめ、出る人出る人やたら庶民的で誰ひとり王侯貴族階級に見えないのが、壊滅的に辛かった。


しかし、ルードウィヒ2世とその18年間にわたるロングタイム・コンパニオンであったリヒャルト・ホルニヒの関係に光を当てていることじたいは、僕にはとても興味深く思われた。このマンガはジャン・デ・カール『狂王ルードウィヒ−神々の黄昏』を参考資料にしているが、この本でも、ホルニヒは好意的に描かれている。作者はこれを膨らませたのだろう(いくらなんでも膨らませすぎだろうと思うが)。


狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 (中公文庫BIBLIO)

狂王ルートヴィヒ―夢の王国の黄昏 (中公文庫BIBLIO)


ルードウィヒ2世研究サイトのリヒャルト・ホルニヒのページ
konig Ludwig.org-Personarities-Richard Hornig


リヒャルト・ホルニヒ(1841-1911)は、ルードウィヒ2世の4歳年長で、メクレンブルグに生まれた。父親がマクシミリアン2世の馬丁に任命されるに伴いミュンヘンに移り、1862年には王室厩舎勤務に入り、1867年、ルードウィヒ2世22歳のとき側近となり、以後1885年まで18年間個人秘書として仕え続ける。ワーグナーのファンで、王のオペラ鑑賞に同伴し、王の築城熱を満たすため、家具や美術品のデザインのためにナポリやパリを飛び回ることもあった。1885年、ルードウィヒ2世の築城熱が国家財政を追いつめ内閣からダメ出しをされるにいたる中、やはり築城関係のトラブルで失寵した。


この人物は、ルキノ・ヴィスコンティ『ルードウィヒー神々の黄昏』(1973)にも、ほんのちょっと、しかしなかなか印象的に登場する。



僕は長らくヴィスコンティ映画が苦手だった。あんまり重厚な美的映画が分かる頭をしていないので、今でも苦手っちゃ苦手である。だが、重いとか芸術的とかは別として、なにより僕が苦手だったのは、やはりその同性愛表現のあまりの暗さだった。映画に滲み出た暗く強烈な自己否定と自己憐憫が映像美と妙に親和して、「耽美」と評され消費されるのに、反発を感じた。「同性愛者は悩み苦しめそれが美しいのよフフフフ」と言われているような感じが、イヤだったのである。


僕のヴィスコンティ観がちょっと変わったのは、淀川長治さんの『男と男のいる映画』(1996)の一章「ヴィスコンティと男色」を読んだときだ。1984年の『ユリイカ』5月号ヴィスコンティ特集のために書かれた文だが、ヴィスコンティの凄まじいばかりの内面的ホモフォビアに対する淀川さんの率直な驚嘆と深いいたわりのような思い入れが、現代のアホいいかげんなゲイの僕を驚かせるぐらいに溢れていた。



コクトオもルネ・クレマンもその作品を説くまでもなくかくれたるホモを意識するのだが、ヴィスコンティはコクトオやクレマンのようにそれを美しくひそやかに画面に流して彼らと私たちたちでひそかに楽しむというごとき芸術ふうのざれごとは出来ないのだ。
 恥じ入りながら、もがきながら、抵抗しながら、ホモセクシュアルにひたる。それゆえヴィスコンティのどの作品を見てもその愛の哀れが骨を刺す。
 フェリーにはイタリアのサーカスの歌だが、ヴィスコンティはドイツの男色の歌がにじむ。
 それをかくし、それがかくし切れぬところに、ヴィスコンティの美術があふれるのだ。
 (略)
 ホモセクシュアルを何も秘密にするほどこれは悪業であるわけもなかろう。むしろ純粋なかぎりなき愛とすべきかもしれぬ。
 ところがヴィスコンティの、どの作品を見てもヴィスコンティが、自分で自分に鞭を当て自分をさげすみ自分を孤独地獄にその作品の上で押し込んでゆく。
 なぜ、そうまでもヴィスコンティはもがくのであろう。


 ホモセクシュアルだけならコクトオの映画がそれをやわらかく美化し、クレマンの「海の牙」(1947)や「太陽がいっぱい」(1959)や「狼は天使の匂い」(1972)にあでやかにそれらはつつましく描かれている。
 ところが残酷にも潔癖にも、ヴィスコンティはその愛が男色にまで食いこまねば許されぬ、我れを許さぬ、貴族育ちの、まっ正直さが、初めはかくし、ひたかくし、苦しみ、胸も重く、それが「夏の嵐」の形をもって、恥、恥、恥と自分を哀れさげすんだ。この抵抗が、このころのヴィスコンティ作品にすごいきびしさをもって、自分自身に、それらの作品をもって、ざんげさせた。ヴィスコンティ作品に魂を奪われるのは、その彼の苦しみが、ほんものゆえであろう。
 このごろのアメリカ映画、イギリス映画、イタリア映画、西ドイツ映画が男色を,愛の流行のように見せだしたのとちがい、ヴィスコンティはおそらく生まれながらのホモであったのにちがいない。そしてそのゆきついた果ての男色を求めたにちがいない。


淀川長治ヴィスコンティの男色」『男と男のいる映画』

男と男のいる映画

男と男のいる映画


考えてみれば、同性愛を肯定するための出口がなかった時代であろうと、多くの同性愛者は適当に世間と折り合って楽しんだり、性的指向ホモソーシャリティの規範の中に溶かし込んで自己弁護したりして、そこそこにうまくやっていただろう。誰が謂れのない自己否定なんかをガチンコで引き受けねばならないのだ。
だがその中で、同性愛者であることの自己嫌悪と自己憐憫から目を背けなかったヴィスコンティは、ある意味、出口のないホモフォビアと真っ向から格闘した同性愛者だったのではないか。それはいっそ、すがすがしいほどの勇気(蛮勇?)だったのではないか。


『ルードウィヒ−神々の黄昏』を淀川さんは、ヴィスコンティが「すべての自分の作品にこもったものを一気に吐き出した」作品と評している。「ヴィスコンティはこの巨篇をもって映画作家の生涯を閉じんとしたのではあるまいか」。


自分が同性を求めていることを否定しようがなくなったとき、ルードウィヒ2世は自分自身を引き裂くように、「精神的な愛」と「肉体的な愛」を峻別した。



精神的な愛だけが許され,肉体的な愛は罰せられる。肉体的な愛へ、私は厳かに呪いをかける。…神への崇敬と聖なる教えへの崇敬。王とその神聖なる医師への絶対服従。…暴力的な行為をつつしむ。水をあまり飲まず、休息。…王であることによって、王の床の天蓋からは永久に追放される。東方的な、二つ並ぶ夢の枕のほうへ。しかし、ここには決して。すくなくとも二月十日までは。そして、そののちも間隔を置いて、間隔を次第に広げて(以下略)


ルードウィヒ2世の日記
(ジャン・デ・カール『狂王ルードウィヒ』p.347-348.)


性的指向を強引に抑えようとすることがどれほど凄まじく不自然なことか、デ・カールの本に引用された日記の断片が伝えるものはあまりにも生々しい。何日までこらえる、何ヶ月間こらえる、1回だけ。これを読んでまたアホな僕の頭に浮かんだ言葉は「オナ禁ラソン」である。でも冗談ではないのだ。彼自身にとってあきらかに自然だったものを無理にねじ伏せるために、ルードウィヒ2世は「王の権力」まで必要とした。



 この日記を読むと、憐れみと同時におぞまじさを感じずにはいられない。歴史的英雄ともいえる人物が、これほど自己抑制がきかなかったことがあるだろうか。(略)
 ルードウィヒは自分の同性愛の傾向を否認している。自分の意志での選択ではなく、諦めからの選択だから、どうにも受け入れられないでいる。その傾向から逃れようと、自らに禁じ、命じるのだが、そうした禁止も命令も結局ははかないものでしかない。闘えば闘うほど苦しみが増す。


ジャン・デ・カール『狂王ルードウィヒ』p.386-387.


このルードウィヒ2世の自己分裂にヴィスコンティが強烈に感応し、そしてたぶん、淀川長治さんがその感応を感じていたこと、その連鎖は、とても僕に強い印象を与える。


映画『ルードウィヒ』でも、精神的な愛と肉体的な愛はすっぱりと分裂させられている。同性愛はただ肉欲として描かれ、精神的愛は彼が本当に愛した女性、エリザベートへのかなわない愛として哀切に描かれる。
この対比は、城で男たちとの酒宴に溺れたあと、孤独に嫌悪を滲ませて荒んだ宴の場をあとにする場面と、醜く太った姿をエリザベートに見せることができずに身を隠し、彼女が去ってゆく音を聞きながらドアにすがりついて「エリザベートエリザベート」とむせび泣く場面のコントラストとして、観客の脳に浸透する。


一見「女性にフラれて同性愛に走る」みたいな俗説を地でいっているようでもあり、「同性愛は歪んだ欲望で異性への愛がやはり上」と受け取った観客も多いだろう。僕にとっては面白くなかった描き方だ。だがヴィスコンティ自身がそう思っていたのかもしれないし、時代的制約のせいかもしれない。
だけど、これらの場面の対比を本来の肉体的愛と精神的愛の分裂(女性嫌いのルードウィヒ2世には、精神的愛の対象も男だった)ととらえ、ロミ・シュナイダーのエリザベートを女性と考えなければ、この構図はずっと分かりやすくなると思う。暗い乱交パーティーで酔いしれるルードウィヒの姿、エリザベートの名を呼びながら泣き続けるルードウィヒの姿は、ただ隠れた場所での性欲処理の手段だけが与えられ、「愛する」ことも「愛する人と生きる」ことも許されなかった同性愛者の寓意であるようにも感じられる(ルードウィヒの愛に気づきながらそれを無視し、彼に愛されていることを頑に否定して強引に彼を妹と結婚させようとする−異性愛者の生活を歩ませようとするーエリザベートは、見ようによっては男に見えないこともない)。


で、この映画の中で、件のリヒャルト・ホルニヒがどう登場するのか、だが−


リヒャルト・ホルニヒは、26歳から44歳までの18年間、ルードウィヒ2世の「精神的愛と肉体的愛」の日常的戦争(?)に、精神的愛の相手、(ルードウィヒが負けたときは)肉体的愛の相手としてつき合い続けた。秘書として王への取り次ぎを仕切り、莫大な財まで委ねられることもあったのだから、映画でも多少は表に出るんじゃないか、と訝しく思われないでもない。精神的愛と肉体的愛の葛藤を分かりやすく描き、ルードウィヒの孤独を際立たせるためには、彼のサバイバルに地道につき合ったこのロングタイム・コンパニオンの存在は、はっきりいって「邪魔」だったかもしれない。


それでも、ホルニヒが登場するわずか2つの場面は、けっこうそれなりに印象的なのだ。『ルードウィヒ』は、王が精神病と認定・廃位が決定されたときのさまざまな証言を具体的に追想するかたちで構成されているが、ホルヒニが登場する最初の場面、ルードウィヒ2世がゾフィーとの婚約中に彼と同性愛体験をし、婚約破棄に到るエピソードは、ホルニヒの証言で始まっている。つまり彼はまず疑惑が多い1886年のルードウィヒ2世精神病認定の証言者として登場する。


湖の別荘でルードウィヒが出会う4つ年上のホルニヒは無骨だが割とセクシーで、2人が交わす少ないぎこちない会話、ロープを縛ったり暖炉に薪をくべたりするホルニヒの体の動きに注がれる王の視線が、結構ドギドキさせられるシーンである。ここでホルニヒはルードウィヒ2世の内面的な格闘の仲間・共犯になるわけだが、印象的なのは、その前の来るホルニヒ(髭をはやし貫禄をつけた)の証言である。王に精神病の兆候や変わったところは見たことがない、という、たしかルードウィヒ2世の正常を擁護する唯一の証言だ。


もう1つのシーンは、ほとんど一瞬だ。僕の見間違いじゃなければだけど、1886年のルードウィヒ2世の逮捕劇、一度逆転してホルンシュタイン伯率いるルードウィヒ廃位派の一党を監禁する場面で、一党の拘束を命じる勅令を持ってくるのがホルニヒである。もしそうなら、ホルニヒは1885年にはクビになっていたのだから、史実と違うことになってしまう。だが、ここでホルニヒが登場することで、彼が最後まで王に忠実に仕えていたことが分かる仕組みになっている。そしてそれが最初に登場する証言シーンにつながる。


映画の中に王の側仕えの従僕(みんな若い男)は大勢出てくるが、王の側仕えとしてホルヒニが出るのはこの一瞬である。もし彼が別のシーンでも出ていたら、同性愛者として葛藤し続けたルードウィヒ2世にはそれなりにバディがいたことが分かってしまう。だから、隠されている。もしかしたら、かなり考えられた演出じゃないか?と、面白く思うのである。


いま誰かがルードウィヒ2世を描くとしたら、どうなるだろう。ゲイのアイデンティティの覚醒の以前のさらに以前の同性愛者たちのサバイバルを、なにかとてつもなく非日常的なことではなく、日常的なこととして、決して孤独だけではなかったことも含めて、再話できたら。僕はそれを見てみたい気がする。