「ギリシャ萌え〜」?


ジョージ・プラット・ラインスのエントリを書いたとき、glbtqのPhotography: Gay Male,Pre-Stonewallを手引きに19世紀末から20世紀前半ぐらいの黎明期(?)のメイルヌードフォトをネットで漁り回った。そして改めて、というか、今さら言うまでもないが、西のゲイエロティック・フォトの「ギリシャネタ」の多さに、「うーむ」と思わされた。


どちらかというと少年愛写真だが、ゲイエロティック・フォトの歴史には必ず登場するこの人のインパクトのせいもある。
glbtq-Gloeden, Wilhelm von, Baron (1856-1931)
Wilhelm von Gloeden-Wikipedia, the free encyclopedia
von Gloeden:フォン・グローデン男爵のバイオグラフィー・作品サイト


シチリアタオルミーナで少年たちに古代ギリシャや古代イタリアのコスプレをさせ嬉々として(?)写真を撮りまくった (芸術的ないし人類学的な価値の高い作品も多く残しているので、こういう言い方は失礼だが)。


フォン・グローデン男爵の従兄弟の Guglielmo Plüschow(1852-1930)も同様である。
Schloss Plüschow Mecklenburgisches Künstlerhaus-Geschchte- Guglielmo Plüschow (1852-1930)


ほかには

Fred Holland Day (1864-1933 US)
ボストンの出版者・写真家。ワイルド『サロメ』をアメリカで出版した。


Hypnos, c. 1896

Herbert List (1903-1975 German)


Laurel Over Eyes, Greece, 1936

Borrowed from FKG Gallary
©Herbert List HERBERT LIST


ラインスも、これはバレエつながりだが、ギリシャをモチーフにしたメイルヌードを多数撮っている。


脱がせるなら神話にしとけ、はメイルヌードに限らない西洋美術の伝統だといえばそれまでだが、19世紀から20世紀初めにかけて行われた同性愛擁護の言説が、古代ギリシャの同性愛文化に「権威」を求めていた時代背景が、やはり強烈に影響している。


近代の男性ホモソーシャル社会におけるホモフォビアミソジニーの発生過程を分析した有名なE.K. セジウィック『男同士の絆』の最終章は、19世紀末から20世紀初頭にかけての男性同性愛者たち自身によるホモソーシャル関係の志向と、ホモフォビアミソジニーとのかかわりをテーマにしている。

 問題は、男性の男性に対する愛が、これまでのような理解されることのない状態を脱して、高貴な力に高められるだろうかという点で[ある]。ちょうど男性の女性に対する野蛮な愛が、より高貴な力に高められたように。


J.A.シモンズ『ウォルト・ホイットマン研究』1893年(E.セジヴィック『男同士の絆』p. 321.)



男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―

 知的中産階級が数を増し、可視的存在となり、活動領域を広げるに伴い、男性同性愛の新たな形態と連動して,男性のホモソーシャルな絆の新しいあり方が姿を現し始めた。この階級の男性はそれぞれ、名目上は個人主義実力主義を標榜しながらも、往々にして不安定であり、実際にはかなりの不安を抱えながら、経済的かつ社会的に人生を切り開いていかなければならなかった。そんな中にあって、男女の間に改めて境界線を引いて性の役割分担を強化することは、これといった特徴のないこの新しい階級に、明確なイデオロギー的特徴を賦与してくれるように見えた。となるとその結果、第9章で論じた通り,青年たちは、形態も緊密さも多種多様なホモソーシャルな絆を結ぶにあたって、文化的に「女らしい」と定義されるような要素がその絆の構造のどこにも入り込むことのないよう、注意を払ったのである。この階級の男性は、男同士の関係を持つにあたって、たとえそれが明らかに性的な関係であろうとも、男性を相手にすることによって自分が女性化するとは考えず、むしろ私生活から女性を排除することによって自分がさらに男性化するとみなしたようである。知的中産階級の男性同性愛者は、カトリック・ヨーロッパと強い文化的つながりを持つ帰属の男性同性愛者とは異なり,古代スパルタおよびアテネに理想を求め、それこそ男性化を促す男同士の絆のモデルであると考えた。そこでは、男性のホモソーシャルな制度(教育、政治的庇護、軍隊での兄弟愛)と同性愛的なものが途切れることなく連続しており、女の世界を完全に排除していたのである。


E.K.セジウィック『男同士の絆』pp.317-318.


1895年、同性愛行為に対する裁判の証言台でオスカー・ワイルドが切った「大見得」は、「男性の男性に対する愛」を男性の女性に対する愛(異性愛)と同じように高めることを願った男性同性愛者知識人が思い描いていた、ホモソーシャルホモセクシュアルが融合した理想の「同性愛」イメージそのものだったのだろう。

 今世紀における“敢えてその名を口にしない愛”とは、ダビデヨナタンのように、年上の男性が年下の男性に対して持つ偉大な愛情であり、プラトンの哲学の原理となり、あなた方がミケランジェロシェイクスピアソネットの中に見るようなものです。それは奥深く、精神的な愛情であり、完璧なまでに純粋なものです。それはシェイクスピアミケランジェロたちの作品や、私の2通の手紙のような偉大なる芸術作品に影響を与えてきました。それが今世紀に入ってから誤解され、あまりにも誤解されて、“敢えてその名を口にしない愛”と描写されるようになり、そのために私は今いる場所に追いやられているのです。それは美しく、洗練され、最も高貴な愛の形です。不自然なことは何もありません。知性を持った年長者と、目の前に広がる人生の喜びや望みや魅力すべてを手にした年少者との間に、何度も存在してきた知的なものなのです。そうあるべきものを、世間は理解していません。世間はそれをあざけ笑い、時にはそのためにある者に汚名を着せるのです。


オスカー・ワイルド〜最初の現代人〜オスカーと3つの裁判ー第2の裁判ー(6)オスカー・ワイルドの証言から引用


屈辱のどん底でなお傍聴席から拍手を呼んだほどのワイルドの弁論の真摯さは、疑いようがない。だが、あまりに「きれいごと」に聞こえる。
同性愛者がとにかく自己肯定を必要としていた時代だった。ワイルドが生きるか死ぬかの状態で自己弁護をしなければならない立場にあったことも考えに入れねばならない。だけど、シチリアの少年たちの−ここからは完全に僕の邪推になるが−顔を札ビラで張って撮ったエロコスプレ写真や、ワイルドやアンドレ・ジイドがアフリカで「旅の恥はかき捨て」+帝国主義宗主国人の権力行使でやった男買春ツアーに、偉大も精神的も純粋もあるか、と僕は思ってしまうのである。彼らの古代ギリシャへの執着は、男を性的欲望の対象として生きる男のリアリティを社会のなかで支える術が、彼らのうちになかったことだけを露呈しているのだ。


小説『モーリス』(1914初稿、1920〜1959年に数回改稿)で、男性同性愛者の「ハッピーエンドで終わる小説」を書こうとしたE. M. フォースターは、男性同性愛者知識人の「古代ギリシャ同性愛萌え」に辛辣だったようだ。

モーリス (扶桑社エンターテイメント)

モーリス (扶桑社エンターテイメント)


小説の中盤、学生時代ギリシャ哲学にハマっていたクライヴが憧れのギリシャの地を踏み、想像と現実とのギャップに落胆する場面がある。その後クライブは異性への性的指向に目覚め、プラトン的愛はどうでもよくなる。一方、ギリシャ哲学なんかロクに理解できない頭の鈍いモーリスにとって、男を愛するということは逃げることのできない現実だった。


性的指向を一生隠し続け、『モーリス』も出版しなかったフォースターにとって、知的文化的イデオロギー的な同性愛の正当化より、どうやって同性愛者が現実に生きていけるか、のほうが関心があったのではないか―と、僕は想像してみる。健康で(つまり性欲も盛んで)頭が悪くて少し俗物でもある「普通の男」が、反同性愛的な社会で生きてゆく―それがハッピーエンドになるためには、どんな道があるのか。フォースターが『モーリス』で試みたのは、そういう実験であったのだ。


そのためにフォースターが思い描いたのは、古代ギリシャではなく、ロビンフッドのシャーウッドの森だった。権力の抑圧を逃れてきた人々を護るアジールであったシャーウッドの森に向かったアウトローたちの中には、きっと同性愛者もいただろうとフォースターは想像する。「ただし1人ではなく、2人で」。
フォースターはパートナー志向が強かったのか、同性愛者としてのモーリスの自立を、労働者階級の青年アレックとの恋愛の成就として描いた。しかし、小説を読んだときもアイヴォリーの映画を観たときも、僕はモーリスとアレックの関係はそう続かないんじゃないかと思った。もちろん、フォースターは『モーリス』のインスピレーションを、19世紀末−20世紀初の同性愛擁護論に大きな功績のあったエドワード・カーペンターと、そのロングタイム・コンパニオンである下層階級出身のジョージ・メリルのパートナーシップから得たのだから、モーリスとアレック2人の関係が物語終了後も続くことを想定していたのだと思う。しかし、そうでなければダメだ、というわけではない。続く関係もあれば続かない関係もある、と考えた方がリアリティがある。
モーリスがアレックと別れるにしろ、他の男とつき合うにしろ独りで生きるにしろ、二度と同性愛者である自分を根底から否定することはないだろう。そうでなければ、フォースターがそうすると決めた同性愛者の「ハッピーエンド」ではありえないのではないか、と僕は思う。


同性愛者が存在を許される「森」のイメージに、フォースターはかなりこだわりがあったようだ。彼は「最終的な注釈(Terminal Note)」で『モーリス』の執筆当時から今にいたる「世相の変化」を述懐しているが、かつてはあった「森がなくなった」と記している。急速に進んだ都市開発の結果だろう。開発に伴う森林伐採に対するフォースターの戸惑いに滲み出た、「森の中の同性愛者のアジール」に対する彼のイメージのリアルさは、僕を驚かせる。―フォースターが夢想した森がイギリスから消えた今、現代のレズビアンやゲイたちは、都会やインターネットというジャングルの中に、 自分たちの解放区を切り拓いているわけだが。


ワイルドら同性愛者知識人たちが「古代ギリシャ」に求めたのは、男性同性愛が「女性的」でも「倒錯」でもなく社会に受け入れられるための、同性愛の「権威のある文化制度化」だった。だが、フォースターがロビン・フッドの森に求めたのは、同性愛者がそのままの姿で生きられる「自由」だった。
だからだろうか。ワイルドの弁論が描いた理想の同性愛が、今では大時代的な「きれいごと」に聞こえるのに対し、フォースターが『モーリス』で描いた自由はいまだ色あせていない。


19世紀から20世紀前半のメイルヌード・フォトでも、コスプレみたいなギリシャのモチーフは、芸術的な作品もあるが、上っ面というか変な気取りが鼻につく。そういう粉飾のない、写真家が男の体に魅了されていることがそのまま感じられる写真は、現代の写真として通用するほどの新しさを失わないように感じられる。少なくとも僕はこちらが好きだ。


古代ギリシャの同性愛を強引に現代に持ってくるのと同じく、日本中世・近世の寺社や武家社会の衆道をもって「日本は歴史的・文化的に同性愛に寛容だ」という論法が、僕は好きではない。じゃあ女性同性愛はどうなるのよ、と突っ込みたくなる。
ギリシア的愛にしろ衆道にしろ、女性を排除して男が権力を握るホモソーシャル社会のための文化制度なのだ。それを性的アイデンティティと結びついたセクシュアリティとしての同性愛と短絡的に結びつけるのはすごく粗雑な発想だと、わざわざ言う必要はないだろう。


21世紀の今の「性的指向としての同性愛」だって、長い人類史における同性愛文化の短い一変種でしかない。普遍的な「同性愛とは」という議論はありえないのだ。敢えて言うなら、なんというか―今のこの社会の目の前の現実を、可能な限り誤らずに生きる道を探すこと、それがいつでも変わらない普遍性、と言えるだろう。
そうして生きてきた人、書かれたもの、撮られた写真が、僕を感動させるのだと思う。