国際反ホモフォビア・デー(International Day Against Homophobia = IDAHO)


話は,19世紀ドイツから始まる。


19世紀、カール・ハインリヒ・ウルリヒス(1825-95)が、男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者を意味する「ウルニング」「ウルリンギン」「ウラノーディオニング」という言葉を創出し、性的指向の分岐を科学的に説明しようと試みた。


1905年、ウィーンの医師ジークムント・フロイト(1856-1939)が、『性の理論三篇』を発表。


ベルリンの医師・性科学者のマグヌス・ヒルシュフェルト(1868-1935)は、同性愛者の生物学的な発生を主張し、同性間性交の非犯罪化を求める権利闘争に乗り出す。


こうした個人が登場した背景には、もちろん、同性を愛する人々が集まって生成したコミュニティの存在があった。精神医学や性科学に訊ねなくても、彼らは自分が同性を愛することを知っており、自然発生的にコミュニティは成長した。「同性愛」という言葉が生まれる*1前から、彼らは存在した。
彼らは「いる」のに、しかしその存在を否定する法があり、文化的・社会的な抑圧がある。
あるいは、その存在が文化的・社会的に否定されているにもかかわらず、同性を愛する人間はつねに、必ず「いる」。


「なぜなのか?」科学の時代の試行錯誤の問いは、そこから始まった。



20世紀初頭までのドイツにおける同性愛者権利運動は、ファシズムの時代にいちど壊滅させられる。


第二次大戦後、舞台はアメリカに移る。
1940年代、50年代、アメリカ社会の同性愛の受容はどん底だった。
同性愛に非寛容的な土壌の中で、科学的な同性愛の探求は、「同性愛の治療」という方向へ展開する。同性愛の制度的な「病気」化が進展した。


1921年に設立されたアメリカ精神医学会 (American Psychiatric Association=APA) は、1948年、精神医学の新しい分類標準のシステムを作る計画を開始。


1948年、世界保健機関WHOが設立。


1900年に国際統計協会により第一版が発表された「国際疾病分類(疾病及び関連保健問題の国際統計分類 International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems=ICD)」の編纂責任を、以後WHOが負う。


WHOが最初に編纂した第6版(ICD-6、1948年)に、コード320「病理的人格(Pathological personality)」のサブカテゴリ・コード320.6「性的逸脱(Sexual deviation)」として「同性愛(Homosexuality)」が初めて登場。
(1965年、ICD-8で「病理的人格」からコード302「性的逸脱・障害(Sexual Deviations and Disorders)」サブカテゴリ302.0に移動。)


1952年、APA、『精神障害の診断と統計の手引き』(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders )初版(DSM-I)を発表。
同性愛は「病的な人格障害(Sociopathic Personality Disturbance)」に分類された。
(1968年発表の第2版DSM-IIでは「人格障害」。)



現在でも精神医学の診断基準の2大典拠とされているICDとDSMにリストアップされることで、同性愛は「正式」に精神障害となった。



が、底流は同時に始まっていた。


1948年の「キンゼイ報告」は、データの信憑性に問題はあったものの、北米白人男女の性行動の思いもよらぬ現実のかずかずを明るみに出した。そのひとつが、同性愛だった。
同性愛者は、病人扱いされずとも、健全で幸福な市民として生活できている。
それが同性愛者の状況を変えてゆこうとする人たちに、希望を与えた。


1960年代、公民権運動や女性解放運動の影響を受けて高揚してゆく同性愛者解放運動は、「同性愛の脱・病気化」を目指してゆくことになる。


1968年、レズビアン・ゲイの活動家たちは、精神医学の集会・学会に対し、示威行動を展開。


1969年ストーンウォール暴動は、運動を一気に加速させる。


1972年、同性愛者権利運動の活動家を招き、APA主催のシンポジウムが行われる。そのシンポジウムにおいて、匿名のゲイの精神医学者(マスクとかつらをつけ、音声の変わるマイクを使った)が、会議には仕事や昇進のために二重生活を強いられている200人のゲイの精神科医がいると発言した。


同性愛者としての二重生活を隠せない者が「患者」になり、隠せている者が「治療者」になる、この異様さ!



1974年、APAの決定により、同性愛はDSM-II第7版においてリストから除外され、「性的指向障害(sexual orientation disturbance)」に診断名が置き換えられる。


1979年、WHO「国際疾病分類」第9版(ICD-9)発表。コード302サブカテゴリ302.0は変更されなかったが、「精神障害と考えられるべきか否かにかかわらず、同性愛をここに分類(Classify homosexuality here whether or not it be considered a mental disorder)」との注釈がついた。


1980年、DSM-III発表。
「性心理的障害(Psychosexual Disorders)」の項に「自我違和的同性愛(Ego-dystonic homosexual)」が分類。これは、「自らの性的指向に悩み、葛藤し、それを変えたいという持続的な願望を持つ」、すなわち同性愛そのものではなく、同性愛による心的葛藤を指す。


1987年、DSM-IIIの改訂版、DSM-III-Rで、「自我違和的同性愛」が削除*2



そして1990年、5月17日。
第43回世界健康総会(World Health Assembly)で、「国際疾病分類」第10版(ICD-10)採択される(1993年発行)。


ICD-10第5章「精神及び行動の障害(Mental and behavioural disorders)」における、ジェンダーセクシュアリティに関連するカテゴリは、F64「性同一性障害(Gender identity disorders)」F65「性嗜好障害(Disorders of sexual preference)」F66「性発達及び性的指向に関連する心理及び行動の障害(Psychological and behavioural disorders associated with sexual development and orientation)」。


性的指向に関わるカテゴリはF66であるが、このカテゴリには「性的指向自体は障害とは見なされない(Note: Sexual orientation by itself is not to be regarded as a disorder)」との注釈がつけられている。


サブカテゴリにはF66.0「性成熟障害(Sexual maturation disorder)」F66.1「自我異和的性的指向(Egodystonic sexual orientation)」F66.2「性関係障害(Sexual relationship disorder)」があるが、いずれも異性愛・同性愛・両性愛を問わないものだ。(WHOサイトVersion for 2007による)


「同性愛」自体が「疾病」「障害」としてリスト化されることはなくなった。





同性愛は「病気」か否か。
「同性愛の科学」の歴史を振り返ると、それは実に制度的な問題である、ということが分かる。
政治的な問題でもある。
同性愛関係は「犯罪」とされ、次に「精神障害」とされた。日本は欧米のように同性愛関係を犯罪とする法律はなかったが、厚生省が1994年にICD-10を採用、1995年に日本精神医学会がそれを尊重するという判断を出すまで、同性愛を「病気」のリストに入れていたのである。僕が高校生の頃だ。


なぜ同性愛が法によって「犯罪」とされ、科学によって「病気」とされたのか。
いま振り返ると、そこには同性愛指向を当然のように「異常なもの」「間違ったもの」とする根拠のない拒絶意識しか見いだせない。


ただひとつ明らかなのは、その拒絶意識こそが、多くの人間を傷つけ、多くの犠牲を出してきたということ。


ヒルシュフェルトが主張した「同性愛者の生物学的発生」は誤りだらけだったかもしれないが、同性愛者の存在を守ろうとしたその意志に、間違いはなかっただろう。
よき市民である親に同性愛を詰られ、精神錯乱を起こして自分の体を切り裂いたゲイの学生の傷を手当てしたことが、彼を終世の同性愛者権利運動に駆り立てた。




クィア・サイエンス』の著者サイモン・ルベイによると、同性愛の原因は、複数の要因による複合的なものであろう、というのが現在の医学界の見解であるようだ(そうだろうと思う)。


現代では、多分に怪しげだったヒルシュフェルトの時代より性的指向の決定に関する生化学的な研究も進んでいるらしい。遺伝子学的な性的指向変更の研究も登場している。
性的指向の決定が複合的な要因によるものだとしたら、ひとりひとりの同性愛者がなぜ同性愛者になったかという理由は(自己選択的なケースも含めて)かなり多様なんじゃないか、いくつかの性化学的・遺伝子学的な証明ができたからといって、世界に常に同性愛者が発生する原因の究明にはならないんじゃないか、とも思うが、いろいろな科学的要因が明らかになるのは、興味深い。


何年も前のことになるが、ネットで人とやりあっていたとき、医学関係者を名乗るその相手が、
「今は違っても、同性愛者を治療する方法が見つかれば、すぐに同性愛は精神病に戻る」
とのたまったことがあった。


この人の主張は、理性主義に立っているようでいながら、「異性愛=正常/それ以外=異常=精神病=治療対象」という前提をつゆ疑っておらず、異性愛じたい、同性愛じたいがそれぞれにかなり多様であることを想像できていない点がおかしいと思うのだが、医学者・科学者的な観点では、こういう発想もありえるのだろうか、と感想を抱いた(その彼の考えでは、同性愛が現在治療対象とされないのは、治療方法が分からないからだ、ってことになるが、そういうものなのだろうか?)


「同性愛者を異性愛者に変える方法」があるなら、「異性愛者を同性愛者に変える」ことも可能であると思うのだが、同性愛指向の原因が明らかになったら、それは「同性愛の治療」という方向にしか働かないのだろうか。
社会はまだ同性愛者が存在することに対して拒絶を貫くつもりなのだろうか。


そういえば、ブライアン・シンガーの『X-MEN 3』では、ミュータントを「人間」に変える薬(その名も「キュア(治療)」)が開発され、人間の迫害と闘ってきたミュータントたちは、薬を飲んで「人間」になるか、迫害されるミュータントのままでいるかという選択を迫られる。
監督のB.シンガーはゲイであり、『X-MEN』シリーズは差別に苦しみながら人間との共存の道を模索するミュータントたちが性的少数者コミュニティのメタファーとして読めることが強い印象を与えた作品である。そこで「ミュータント(同性愛者)の特殊能力(同性愛指向)を取り除く薬=『治療』」が登場したことは、「同性愛は治療できるなら治療せよ」という社会通念の圧力への恐れが、まだ完全には消えていないことを示しているのかもしれない。


性的指向を決定する要因が判明し、その人為的な操作を可能にする方法が発見されたら、それは「同性愛者を『治療』して異性愛者にする」技術として開発されるのだろうか。
「同性愛者は異性愛者になれ」がスタンダードになり、親や家族は「子どもの幸せのため」と治療を強い、「治せるのに治さない奴は、差別されて当然」と言われる。
社会はすべて異性愛者で統一され、それからこぼれ落ちる人(例えば性的指向変更が失敗した人や、変更ができなかった人)はさらに差別される。


そういう社会になる方向にしか、世界は進まないと、僕とやりあった彼は言っていたんだろうか。




だから、この日が大切なのだと思う。医学が性的指向の多様性を認めた日が。


多様なセクシュアリティを社会がどう理解し、どう向き合ってゆくのか、科学や医学がどんな役割を果たすのか、という問題は、まだ山積している。
同性愛が削除されたICDの精神疾病リストに、現在載っているジェンダーセクシュアリティは、F64「性同一性障害」とF65「性嗜好障害」だ。


トランスジェンダーは、「性同一性障害GID)」として、一つの障害として認知を受け対策を整える方向に、一つの解決策を見いだしてきた。
GID治療の制度や社会的認知が進むことで、望むジェンダーで生活しやすくなる人が増えるのは望ましいことだ。が、「人間は必ず男・女どちらかの性でなければならず、性別違和のある人間やインターセックスの人間は治療でどちらかの性に定着すべきだ」という思想は、1つの性に適合し切らない人間をさらに抑圧の下に置いてしまう恐れがある。
性別適合がしやすい制度を整えると同時に、トランスジェンダーが生きやすい、ジェンダー二元論的抑圧の少ない社会へ、社会みずからが変わってゆくべきじゃないか、と思う。


パラフィリア、精神医学における性嗜好障害の現在の定義は、(1)当人がこのそれにより心的な葛藤や苦痛を持ち健康な生活を送ることが困難である、(2)他の人々の健全な生活を侵害する、社会的に受け入れがたい行動などを抑制できない場合、それを障害と見なす、というものだ(ウィキペディア−性的倒錯)。ICDの「性嗜好障害(Sexual preference disorder)」には、「フェティシズム(Fetishism)」「フェティシズム的服装倒錯症(Fetishistic transvestism)」「露出症(Exhibitionism)」「窃視症(Voyeurism)」「小児性愛(Paedophilia)」「サドマゾヒズム(Sadomasochism)」「性嗜好の多重障害(Multiple disorders of sexual preference)」「その他(Other disorders of sexual preference)」「詳細不明(Disorder of sexual preference, unspecified)」がある。
これらのうち、なかばシンボリックに、たびたび議論にのぼせられるのが、小児性愛だろう。


よく、同性愛を拒絶する異性愛者から、「同性愛を認めたら、ロリコンを認めなきゃならないんだぜ」という言葉を聞く。
それに対して、「同性愛とロリコンを一緒にするな」と嫌悪もあらわに反論する同性愛者もいる。


僕は、同性愛と小児性愛は、解決すべき課題が違うという点で違う、と思う。
法的な制限年齢を越えた同士の合意の恋愛や性的関係なら、異性愛も同性愛も別に何も障害はない。だから、同性愛者に対する無意味な抑圧を取り除き、家族形成や次世代再生産などの社会参加の機会を開く制度と社会的認知の条件を整えるという方向に、策は向かうだろう(抑圧や機会の剥奪こそが、同性愛者の生活やライフサイクルを不安定にする)。
しかし、小児性愛者の場合、異性愛者同性愛者とわず、性的対象が、一定の成熟までは社会が性的侵害から庇護すべき子どもだという問題が出てしまう。


小児性愛者のための現場がどのような実践を行っているのか僕は知らないが、小児性愛指向の人たちと、その性的対象となる子どもの人権と尊厳を守るために、ふさわしい方法が模索されるべきだ、と思う。それにカウンセリングなどの臨床が役立つなら役に立たせるべきだし、小児性愛ポルノの問題をはじめ、社会が判断せねばならない問題もある。難点は、小児性愛そのものではなく、それが子どもの庇護という社会的問題にぶつかってしまうことなのだから。
少なくとも、罪も犯していない人を小児性愛指向を持っているというだけで「イコール異常者/犯罪者」と嫌悪の目で見たり、ひたすら悪罵や軽蔑を投げつけることで彼らを抑圧すればよいというような態度は、許されていいことではない。それは、子どもを守るという本来の必要とは全然違う。


「同性愛を認めたらロリコンも」というのは、「成熟した異性に性的関心を持つ異性愛」を「許される唯一の正常なセクシュアリティ」と考え、それ以外をすべて「異常」として闇雲に排斥しようとするヒステリックで非理性的な感情でしかない。

「同性愛と小児性愛を一緒にするな」という同性愛者の反論は、「ヒステリックな異性愛中心主義」への反発という点では妥当な点もあるのだけれど、それが小児性愛へのまたヒステリックな偏見や「『性的指向』は尊重されるべきだが、(小児性愛のような)『性的嗜好』は迫害されても構わないのだ」という論理性を欠く主張を伴っているなら、「同性愛もロリコンも」と喚いている異性愛中心主義者と大して変わるところがない。


性的指向(sexual orientation)も性的嗜好(sexual preference)も、いずれも人間の性の大切な要素であり、他を傷つけない限りは決して非難されてはならず、恥じるものでも、不当な侵害が許されるべきものでもない。
どのようなセクシュアリティでも、それぞれの人間が互いの人権と尊厳に敬意を払い,共存する世界が目指されるべきだ。


1990年5月17日に、世界はようやく1つの結論に辿り着いた。同性愛指向を、「治療」も「更生」も必要としないあるがままの人間存在として認めると。


それまでにどれほどの愚行があったか、どれほどの犠牲が払われたか。
今でも、世界で「文化」や「宗教」の名の下にどれほどの犠牲者が出ているか。


生活や文化や思想や制度に巣食った謂れのない同性愛嫌悪(ホモフォビア)が、どんな犠牲を世界に強いてきたか、いまなお強いているか。


今日は、それを思い出す日だ。


人が異なる人を尊重するように。
人の科学や医学が人の幸福を叶えてくれるように。決して人を虐げることがないように。


なんともシンプルな、しかしなかなか叶わない願いについて、五月晴れの日に考えている。



クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷

クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷


アメリカ精神医学会(APA)「精神障害の診断と統計の手引き(DSM)」
Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders(DSM) - en.Wikipedia
WHO「国際疾患分類(ICD)」
WHOーInternational Classification of Diseases (ICD)

ICD-6リスト:「同性愛」が初めてリスト入りした
the Wolfbane Cybernetic Home Page-International Classification of Diseases-International Classification of Diseases, Revision 6 (1948)
ICD-10(現行):第5章「精神と行動の障害」
World Health Organization - International Classification of Diseases 10th Revision Version for 2007 - Chapter V: Mental and behavioural disorders
(F00-F99)

日本語(2003年版)
ICD10 国際疾病分類第10版(2003年改訂):第5章 精神及び行動の障害 (F00-F99)


思春期の同性愛者の自殺を防ぐホワイト・リボン・キャンペーンを紹介するyoshinoriさんのサイトWhite Ribbon Campaignより
性的指向および同性愛に関するアメリカ心理学会(The American Psychological Association)の見解


同性愛の「精神疾患」化・非「精神疾患」化のプロセスについて、参考
荻野員也「分野集中講座 ゲイの心理学─同性愛の諸問題」(2001年8月24日SCP 研究会 Vol.38報告)(PDF)
Ruy Laurenti, HOMOSEXUALITY AND THE INTERNATIONALCLASSIFICATIONOF DISEASES(PDF)

*1:「同性愛(homosexuality)」という言葉は、1869年、ハンガリー人医師カーロイ・マリア・ケルトベニーにより、「病名」として、ラテン語ギリシア語の合成語として発明された。プロシアソドミー法に対し、同性愛者の人権を擁護するためであった。en.Wikipedia - Karl Maria Kertbeny

*2:現在、DSM-IV-TR(2000年)では「特定不能の性障害(sexual disorder not otherwise specified)」の項の「自分の性的指向性に対する持続的な著しい苦悩(persistent and marked distress about one’s sexual orientation)」が性的指向に関する障害名として存在する。なおDSM-Vは2011年発表予定。