高原英理「遠い記憶として」(『彷書月刊』2006年3月号)


きのう、古本屋で『彷書月刊』のバックナンバーが揃ってるのを発見。2006年3月号の「特集 アドニスの杯」をゲット。
昭和27年から1962年(63号)まで発行された、日本ゲイ・メディア黎明期の雑誌『アドニス』の特集。


目次参考:Magazine 彷書月刊を読む


権威的(?)な文学の言説の中では、作家が同性愛者であった、ということが、非常にしばしば華麗な沈黙でスルーされ、"黙殺"状態にされるというのが、僕は嫌いだ。


しかし、かといって、稲垣足穂江戸川乱歩三島由紀夫中井英夫塚本邦雄や、日本文学に名を残した同性愛指向の作家たちの男性同性愛表現を僕が個人的にすごく好きか?というと、そうでもない。
男や少年を見つめる欲望の視線には、ドキッと胸を突かれるような思いを味わわされるけれど(なにしろ、とんでもない表現力だから)、同性愛観のようなもの、同性愛指向を持つことへの自意識や同性愛関係の関係性の捉え方みたいなものには、違和感を感じることが多い。


こと性や愛のようなことに関する意識では、過去の価値観や感覚が受けつけないのはよくあることだろうけれど、男性同性愛についてはことに大きな変化と"断絶"があるんだろうなと、高原英理氏の短い評論「遠い記憶として」(pp.20-23.)を読んで思った。


高原英理データベースによる氏のプロフィール
高原英理氏のブログ記憶測定




 少なくとも一九八〇年代初めまで、同性愛を理想化して描くことは反俗的な美意識の表明であった。既に何度か随筆と評論で引用したように、倉橋由美子の『聖少女』(一九六五年)には、「俗物」を排除してアヴァンギャルドな美的センスの持ち主たちの集まる「モンク」」という喫茶店が描かれるが、そこには「ときに田舎者やおめでたいアヴェックさんが迷いこんできても匆々に退散せずにはいられない空気」が満たされ、その結果、「いつからか男と女の恋人同士はほとんどこなくなり、二人づれはたいがい男同士か女同士、ときにはひとりでやってきた男がほかの男とみつめあい、店を出るときにはなにげなくいっしょになったりすることもしばしば。女同士でもおなじこと」という様相であった。


 ここでは何より、異性愛者の振舞いに代表される、「一般人」の凡庸さを軽蔑する形で,同性愛者たちに「異様な自由さといかがわしいエレガンス」が幻想されており、そしてそれは確かに『聖少女』が書かれた一九六〇年代にはひとつの新たな価値の創出として、ある力を持ったのだろう。だが一九八〇年代半ば以後、レズビアン・ゲイ・リベレーションによる現実的・政治的な運動の成果から、同性愛者だからといって特別な何かを期待するのは逆からの差別の強化でしかなく、生活人としての同性愛者を同朋と認めるためにはその種の勝手な幻想はむしろ忘れられるべきである、という意見が当事者たちから発せられるようになったと記憶する。そして冷静に、また論理的に考える限り、その意見は全く正しいものであり、文学と言う,結局は何かを差別化することによって理想や憧れを語ることのきわめて多い世界で礼賛されることは大抵の場合、その礼賛されるカテゴリーの人々にとって現実の生活の権利をむしろ阻む結果になるだろう。


 このところははっきり、今では歴史的な発想として認めねばなるまい。同性愛者という在り方を貶めず、かつ理想化せず、その権利と自由に関する限り異性愛者と同じ位置にあると絶えず意識すべきこと、この種の問題は何よりも先に政治的な問題として考えるべきであって、美意識を先行させてはならないこと。そしてかつて同性愛者に全く市民権のなかった頃,当事者の自尊心の確立のため「美的な同性愛者」というファンタジーが用意されたことも仕方のない必然であり,その時代には認められるべきであったこと、ただし二〇〇六年現在そこに歴史的な視点を介在させずに見るのは許されないこと。


高原英理「遠い記憶として」pp. 20-21.


あ、そうだ、僕は、"自尊心を奪われていることへの裏返しとしての過剰な自意識"が好きになれなかったのだな、と、この文を読んで思った。
どんな高踏な思想や修辞で語られようと、それは「同性愛者は凡庸な"人"になれない」という僕には腹立たしい押しつけを積極的に認める姿勢に繋がっていたし、こうした「美的な同性愛者」の系譜は、明らかにヘテロ市場での「お耽美」「禁断」という同性愛表象の消費形態を準備しただろう。
「美的な同性愛者」が多数派に消費される場では、同性愛を"美的"であらしめるためにいつまでも"禁断"にしとけ、というコンセンサスが蠢き始めるようで、反吐が出そうなほどムカついた。


「凡庸」の異性愛者への軽蔑、という傾向にいたっては、異性愛者が同性愛を否定するのと"どっちもどっち"な浅はかさしか感じないし、こと男性同性愛の礼賛、ギリシア的愛だの衆道だのを引っ張りだしたホモソーシャリティとホモセクシュアリティの癒着は、かなり容易に女性蔑視に結びつく。


とかこみいった話より、単純に、俺こんなに極限的じゃねーよ、というのがあった。こうした文学の男性同性愛表象の自意識の重さは、それはそれでひとつの深い世界を作っていたのだと思うけれど、少なくとも僕が生きてゆくための手がかり、ロールモデルにはならなかったのだ。
だから、僕は彼らの率直な欲望の方が好きだった。三島由紀夫が描く自慰の快感、塚本邦雄の短歌に満ちた男の肉体への欲情の激しさ、稲垣足穂の少年への愛おしげな語り、江戸川乱歩アンドレ・ジイドの同性愛を語るはしゃいだ口ぶり、の方が、僕には気持ちよく、愛おしかった。



…もちろん、こんなことは、僕の勝手に偏向した見かたでしかない。同号に掲載された堂本正樹氏(三島の映画『憂国』の演出を担当)のインタビューで、彼らの手もとにあった『アドニス』がどうなったか、焼いた、という話を読むと、置かれた状況の違いを痛切に感じる。



 ふうん。三島さんのお家から『アドニス』の合本がね。高橋睦郎が全册持っているという話を聞いたことがある。ぼくは、焼いてしまった。恥ずかしさと、見つかったら大変だということで焼却処分してしまったことを憶えています。
 異端。昔はみんな、本当におびえていたんです。そしてそのおびえは共通のものでしたから、むしろそういう状況下で描かれた作品には大事に接したわけですけれども。


「[インタビュー]三人のあいだに――堂本正樹さんに聞く」『彷書月刊』2006年3月号, pp. 2-7, p. 7.


"異端の文学"なんて言えば聞こえはいいが、誰も好き好んで「異端」を気取ったわけなんかじゃないのだ。「当事者の自尊心の確立のため「美的な同性愛者」というファンタジーが用意されたことも仕方のない必然」であった――この指摘には、深く頷ける。
日本文学の男性同性愛表象の系譜に"お耽美消費"ではない誠意で関わり続けてきた高原氏の、文学的思想・表象としての「美的な同性愛者」と「生活人としての同性愛者」の齟齬に対する厳密で誠実な認識は、とても印象的だ。


評論は、1960年代ー1980年代文学の「美的な男性同性愛」という志向について、高原氏が自身の鑑賞体験を遡及する。取り上げられている作品は、以下の通り。

  「ネガティブな装いながらストレートに男性同性愛を描いた唯一の小説」
  「陰惨な口調で語られてはいるが、その輝きはたとえば倉橋がさも軽蔑的に記す「アヴェックさん」であるとか、友人たちがさかんに言う「いい女いえねのかよ」とか・・・いった語から発せられるような欲望的な、現実と地続きの「うんざり感」の対極にあるように見えた。」

  「非日常的な性愛と言うイメージへの期待はむしろ昂じることとなった…高度な修辞によって描かれる同性愛は非現実を意味したからである。」

  「非常にあからさまな男性同性愛の特権化」

  • 春日井建『行け帰ることなく/未青年』

  「もはやためらいなく男性同性愛自体が歌として読まれている」

  • 中井英夫『虚無への供物』『金と泥の日々』『光のアダム』