マリュータはこんなにでかかった。



でけー。


セルゲイ・エイゼンシュテインが描いた『イワン雷帝』のマリュータ(ミハイル・ジャーロフ)のイラスト。
史実ではイワン雷帝の悪名高い親衛隊(オブリーチニナ)でも暴虐で名を残した男だが、映画ではイワンに熱狂的な忠誠を捧げる素朴で熱血な熊系農民として描かれている。エイゼンシュテインのキャラ設定では、ブツもこれだけでかかった(と、いうことになるのかな?)。


Kevin Moss's Homepage-Russian Gay Culture-Russian Gay Culture Sampler


エイゼンシュテインチャイコフスキー、ディアギレフと並ぶロシアのゲイ・ヒーローだ。ソ連というと「同性愛者→収容所」というイメージがあるが、革命がすごい勢いで独裁に変貌し同性愛が再犯罪化された*1スターリン時代、検閲ギリギリのところで革命映画を撮り続け、しかも男とやっていたエイゼンシュテインは、ほんとうにヒーローとしか言いようがない。しかもglbtqによればノンケに熱を上げることもあったらしい。 密告や摘発の恐怖に怯える同性愛者はきっと大勢いただろうに、どんだけ最強なんだ。



エイゼンシュテインの映画におけるゲイ的表現について検索すると、『戦艦ポチョムキン』や『メキシコ』の肉体表現がよく取り上げられているように感じる。だが、僕が彼のゲイネスを浴びるように感じたのは『イワン雷帝』だ。エイゼンシュテインの同性愛指向についての前知識はなかったから、驚きでボーッとなるぐらいだった。大学2年で、頭も体も男に対してアンテナが立ちまくっていた時期だからなおさらだ(もちろん、そのとき即分かったわけじゃなく、あとで知識を得て「マジそうだったのか!」と思ったわけだが)。

Borrowed from Matt & Andrej Koymasky


第1部の終幕、イワン雷帝は大貴族に対抗する力を民衆に求め、農民のあいだから親衛隊員を募る民衆の支持とともにモスクワに帰還すべく、アレクサンドロフ村に引きこもる。皇帝の使者が農村に親衛隊員をリクルートにやってくるいざイワン皇帝のもとへ!モスクワ群衆の中に、アジに酔いしれたように頷く美貌の若者たちの表情が、クローズアップで映し出される。そして、親衛隊のアレクセイの子フョードルがイワンを見つめる恍惚とした表情。マッチョで純朴で美しいロシアの青年たちが、皇帝崇拝の忘我の恍惚感に陶然と身を委ねている。そのウットリした顔、項のたくましさが、ゾクゾクするほど色っぽいのである(『イワン雷帝』に横溢するゲイネスを日本で指摘したのは、僕が知る限り、やはりというか、淀川長治氏だ)*2


『イワン雷帝』はギリギリの危険な映画である。革命の熱狂や英雄崇拝が恍惚の中に個を見失う全体主義に、ホモソーシャリティが同性愛の肉感に、同性愛がホモソーシャリティの陶酔に踏み外そうとするギリギリのところで観客を酔わせる。大げさなぐらいの様式美にゾクゾク快感を感じている観客は、どちらに転んでいるのか分からない。
このあぶなさには、しかし、現代社会のシャレにならないほど根深い問題がある。やはり学生時代、スーザン・ソンタグの「ファシズムの魅力」を読まされたとき、まず僕が思い出したのは『イワン雷帝』だった。

 ファシスト美学は…統制、服従行動、法外な努力,苦痛の忍耐などを必要とする状況に魅了されるところから出発し(そして、それを正当化し)、一見対蹠的な自我崇拝と隷属とを是認してしまう。支配と隷属は独特のページェントを通して表現されるーいわく、人間集団のマッス化、人間のモノ化、物の増大あるいは複製化、人を陶酔させる絶対力をもつ指導者像あるいは権力のまわりに人と物を統合すること。ファシスト劇の中心は、協力な権力と、同一の制服に身をつつんで数をましてくるその傀儡との狂熱的な相互関係にこそある。それは、たえざる運動と凝固した「男性的な」静止の姿勢とのあいだを揺れ動く舞踏である。ファシスト芸術は屈服を栄誉とし、無私を称揚し、死を美化する。


 そのような芸術はファシスト的と呼ばれる作品や、ファシスト政権のもとでつくられた作品のみに限定されるものではありえない。…言うまでもなく,共産圏諸国の公式芸術の中にもファシスト芸術の特徴がはびこっているーただ、ファシスト芸術が「理想主義」を掲げてリアリズムを軽蔑するのに対して、そこではリアリズムの旗印のもとにファシスト芸術がまかり通るというだけの話である。記念碑的なものとか大衆による英雄崇拝とかを好むのは,ファシスト芸術と共産主義芸術に共通する点であり、そのいずれもが、芸術は指導者なり思想なりを「不滅にする」機能を持っているという全体主義の好む考え方を反映したものなのである。


スーザン・ソンタグファシズムの魅力」『土星の徴しの下に』pp.105-106.


土星の徴しの下に

土星の徴しの下に


ソ連の公式芸術と全体主義エイゼンシュテイン映画の関係についてなにか考えることができる知識は、当時も今も持ち合わせない。だが、ナチス・ドイツプロパガンダ映画監督レニ・リーフェンシュタールの「芸術」の徹底的な批判から、力への忘我の隷属の快感を正当化するファシズムの「性的魅力」をえぐり出したソンタグの論文を読んだとき、僕は自分が『イワン雷帝』に感じた快感を思い出し、頭が熱くなる思いがしたのを憶えている。あの時の僕は、同性愛的欲望を粉飾して正当化するホモソーシャルな恍惚感に、リピドーを刺激されて興奮していたのだ。


だから、というのかなんというのか。
冒頭のエンゼンシュテインのマリュータの絵を見たとき、僕は妙に安心した。
うまく言えないのだけれど、エイゼンシュテインが自分の欲望の所在を分かっている、という感じがして、嬉しかったのだ。
僕は同性愛という欲望をホモソーシャリティから切り離しておきたい。同性愛がホモソーシャリティによって粉飾され正当化されるのは嫌いだし、その陰で同性愛という欲望が否定され続けるのはもっと嫌いだ。
『イワン雷帝』のエロさにボーッとなっている観客の耳元で、いきなり「マリュータは実はデカいんだぜ」とささやいて観客を驚かせているエイゼンシュテインを想像して、ニヤニヤしている僕なのである。


Borrowed from Matt & Andrej Koymasky


『イワン雷帝』第1部2部、全編がgoogle videoで見れる。恐ろしい時代になった。


Ivan the Terrible, Part 1 (1944)


Ivan the Terrible, Part 2 (1946)


6月25日追記


昨日、上のエントリをアップしたあと、google videoで『イワン雷帝』全編を久しぶりに観たが、重大な事実誤認に気づいた(←オイ!!)。その部分を、なるべくもとの誤認が分かるように修正させていただいた。あと、数カ所表現がヘタな部分も直した。寛恕いただきたい。


さて、追記の本題は、コメント欄を見ていただければ分かるのだが。
エイゼンシュテインの代表作であり現代映画の「教科書」でもある『戦艦ポチョムキン』。この映画に、The Pet Shop Boysがオリジナル・サントラを作っていることを、どれほどの人がご存知だろうか。


日本最強petheadマーガレット様の次のエントリは、PSBのロシア・コネクションについてだ。


マーガレットの妄想日記ーPSB vs ロシア

Art That Shook the World {Eisenstein's Battleship Potemkin (#1.4)}

Art That Shook the World {Eisenstein's Battleship Potemkin (#1.4)}


マーガレットさんが書いておられるが、PSBのニール・テナントはロシア現代芸術+社会主義に深く傾倒していて、エイゼンシュテインへのトリビュートも必ずしも「ゲイつながり」だけではないだろう。だが、「チャイコフスキーチャネリングしながら作曲した」というクリス・ロウの言葉に、彼らのルシアン・ゲイ・アーティストへのリスペクトを感じてしまうのは、僕だけではないと思う。


日本では、19世紀末に亡くなったチャイコフスキーが同性愛者だと知っている人は、そう多くはないかもしれない。だが、20世紀はじめに小説『モーリス』を書いたフォースター(発表は死後の1971年)は、作品の中にチャイコフスキーを挿入した(ジェームズ・アイボリーの映画でも、それは忠実に守られている)。


ゲイはゲイだからといって安易に共感しあえるわけでもないことは、ゲイ自身が知っている(異性愛者が異性愛者というだけで分かり合うわけじゃないのと同じだーそんなことができたら、今頃世界は平和である)。だが、「同性愛は隠される・黙殺される・語らず存在しないことにされる」という経験を共有していることは、同性愛者にある共感を呼び起こす。偉人の黙殺されたセクシュアリティに、リスペクトとエールを送りたい感情に駆られる。エイゼンシュテインーPSB、またはエイゼンシュテイン淀川長治コネクションは、僕にとってはとても嬉しいプレゼントだ。

*1:ソ連時代初期1917-1933年、同性愛は精神医学の対象になるとともに封建時代の反道徳的犯罪から外されるが、スターリン時代の1934年から1986年まで再び犯罪とされる。www.gay.ru-Russian Gay History

*2:日本劇場公開時のパンフレットのエッセイがたしかそうだった。人の所蔵のパンフを読ませてもらったのでウロ憶えだが、映画の中に隠された「ホモ」(淀川風に)を読み解く鑑識眼にかけては、誰もこの人には及ばない。エイゼンシュテインDVD-BOXの解説では、触れられていないのだろうか?