欧州諸国の軍における同性愛者兵士の処遇:glbtq “MilitaryCulture: Europe”(2004)
以下は、
glbtq : an encyclopedia of gay, lesbian, bisexual, transgender & queer cultureの項目、
Military Culture: Europe (Geoffrey W. Bateman 2004)
のノート。
軍隊に、同性愛者はいてはならないのか。
世界各国の軍隊で、同性愛者兵士はどのように処遇されているのか?大したことを書いてくれていないのだが、Sexual orientation and military service - en. Wikipediaによれば、
- NATO加盟国(26カ国)中20カ国以上が同性愛者・バイセクシュアル兵士の性的指向を明らかにした入隊を認める
- 国連常任安全保障理事国:2カ国(フランス・英国)が認める
- 中国:同性愛者を排除
- ロシア:平時は同性愛者を排除、戦時には受け入れることも
- 合衆国:「Don't Ask, Don't Tell」(性的指向を隠した状態で入隊を認める、同性愛者であることが明らかになると除隊)
- 中東:イスラエルが唯一同性愛者兵士を認める
ネパール国軍レズビアン女性兵士バクティさん不当解雇取消し訴訟の敗訴報道(関連エントリ)に接し、これまであまり考えたことのなかった「軍隊と性的少数者」の問題について考えている。
しかし分からない。同性愛者・両性愛者兵士の処遇については、研究・書籍・論文・議論・関連記事がやたらある。しかし圧倒的に合衆国の「Don’t Ask, don’t tell」の、つまり米軍という特殊な軍の特殊な政策に関するものに偏っている(ように思う)。
ある場所では異様に議論が煮詰まっているが、別の場所では異様に実態が分からない。知識ゼロの僕がちょろちょろとネット検索しても、系統だった把握なんかできやしない。
そもそもの前提には、「軍隊は兵士の性をどう管理しているか」という、基本的な問題があると思う。これについて、僕はからっきし無知なのである。
さまざまな国・地域の軍隊内部での性暴力や性的虐待、軍の構成員、兵士が引き起こす性暴力事件・性的腐敗は、絶えず伝えられている。「軍隊とはそういうものだ」と言わんばかりの主張さえ、聞くことがある(僕はこれには根本っから反対する)。
軍隊とは、性を無視できない組織であり空間であるのだろう。ならば軍隊は、セクシュアリティを含む兵士の身体と人格の統制について、なんらかのビジョンを持っていなければやっていけない組織だということになる。
「軍隊の中の同性愛者」という問題は、「軍隊と性」という問題の中に位置づけなければ、結局考えられないと思うのだが、僕はここのところが全然分かっていない。
であるからにして、ネットでただ軍と同性愛について特化したソースをいくら検索しようが、同性愛者兵士排除問題について(それをあたかも自明のこととする主張も大量にヒットする。僕は根本っからこれには反対する)、雑多な情報が溜まるのみ。ストレスが溜まる。
で、とりあえずの取っ掛かりとして、同性愛者兵士の可視化がある程度進んでいるらしい欧州ついての、上掲の記事のノートをとってみた。
著者Geoffrey W. Batemanは、元カリフォルニア大学附置「軍における性的少数者研究センターthe Center for the Study of Sexual Minorities in the Military」(現the Michael D. Palm Center)副所長、現在コロラド州デンバー大学講師(参照)。Don't Ask, Don't Tell: Debating the Gay Ban in the Militaryのコエディター。glbtqには他にも軍関連の記事としてMilitary Law: United States、Military Culture: United Statesを書いている。
Batemanによれば、ヨーロッパ諸国の軍のうち、
- 同性愛者兵士に最も寛容な国=オランダ、デンマーク、ノルウェイ
- 最も厳しい国=トルコ、ギリシャ、イタリア
- 受け入れようとしている国=ベルギー、フランス、スイス、ドイツ
- 英国:2000年に長く続いた同性愛者排斥政策を廃止、北欧レベルに
で、小論の構成は以下の通り:
- 同性愛者兵士を排除する国=イタリア・ギリシア・トルコ
- 同性愛者兵士に無干渉政策を取る国=ベルギー・フランス
- 完全に同性愛者兵士を受け入れる国=オランダ
- 英国軍の対同性愛者兵士政策の変化
- 東欧・ロシアの同性愛者兵士の処遇
凄く簡単な概論で具体的情報に乏しいうえ、書きかた論じかたに不満や疑問がないでもない。たとえばBatemanは、軍隊における同性愛者兵士の可視化と差別の禁止を意味して「寛容(tolerate, tolerance)」という表現を多用している。けど、僕は「同性愛に寛容」という言い回しにケツがもぞもぞ痒くなってくる人間である。多種多様な相異なる人間と共生するっていうのは単に現実が見えるようになることであり、数の多い・覇権的な人間がプラスα的な「心の広さ」を持つことと勘違いされては困るだろう。プラスαはいつ撤廃されるか分かったもんじゃないのだ。
あと、問題になっているのが「同性愛(homosexuality)」が軍の内的問題であることからくる同性愛者(レズビアン、ゲイ)兵士の処遇のみであり、バイセクシュアルは?トランスジェンダーの兵士はどうしているのか?といったことには答えてくれていない。これはglbtqとしては甚大な欠陥だと思うのだけれど、ここで取り上げられている軍の性的少数者問題議論じたいが、「同性愛」という(後述するような)「異性愛規範的社会の分かりやすい『異物』」を議論する初歩的なレベルに留まっているということなのかもしれない(いや、とくにトランスジェンダー兵士の処遇の議論については、僕の勉強不足のせいもあるのだけれど)。
しかし、いろいろ問題もあるうえで、Batemanの議論で僕が面白いな、と関心を持ったのは、彼が
- 軍の同性愛者兵士の処遇は、一般社会の同性愛受容を反映している
- 同性愛者兵士の受容は、軍隊文化(military culture)の形成に関わる
という視角から論じているということだ。
軍は一般社会とは根本的に異なる空間だ(と、米軍の統一軍事裁判法は言っている*1)。しかし実際のところ、軍の「同性愛」に対する姿勢は、社会の「同性愛」に対する態度を凝縮しているようにしか見えない。性的少数者の人権や尊厳が顧られていない社会や、性的少数者の存在が可視化されず存在が「ない」に等しいことにされている社会では、軍の同性愛者兵士の処遇や人権保障はまず議論にも上らない。同性愛のタブー視と同性愛者差別はセットでデフォルトになっているだろう。
「兵士が軍規に反する性愛行為を行うこと」と「兵士が同性愛者であること」は、厳然と違うはずだ。だが、同性愛者兵士に関する議論を見ていて気持ち悪く感じるのは、その奇妙な混交だ。バクティさん裁判の報道でも目についたのは、彼女の解雇が「レズビアンであるから」なのか「軍規に反した(しかし何をどう反したのかもはっきりしない)」からか、極めて曖昧に「藪の中」だということだ。しかしこれは、一般社会でおなじみの混交である。
同性愛者兵士の認めるか否かが問題になるのは、軍組織が同性愛者・バイセクシュアルの兵士を扱いかねている、自らのなかに位置づけられずにいる、ということだ。
たとえば、「同性愛者だと言ってはならない」というのは、異性愛者でも同性愛者でもバイセクシュアルでもAセクシュアルでも兵士のセクシュアリティを一切不問に付して対等に遇する、ということではないだろう。異性愛者だと分かっても追い出されはしないが、同性愛者だと分かれば追い出されたり、差別的扱いをこうむる。「ここにいるのはすべて異性愛者(のフリをしている人間)である」という前提で、軍は組織されるということだ。しかしそれは、明らかに現実に反している。
現代世界の多くの社会では、男女の異性愛のみに安定した地位を与えるために、それを外れるセクシュアリティを「異物」のように外部化し(ゆえに、「同性愛」というものが出現する)、秩序を維持しようとする権力構造がある(ヘテロノーマティヴィティ=異性愛規範性)。軍隊で「発見されると除隊される同性愛者兵士」は、まさに「異物」であるのだ。軍隊の規律とは、徹底してヘテロノーマティヴな規律なのである。そこで「同性愛」は規律化された組織をかく乱する「不安要素」として想定され続ける。「同性愛」を排除し続けることで、組織は「同性愛」に怯え続けることを強いられる。「同性愛」により秩序が崩壊する(いったい、なぜ?)という脅迫観念のもと、そこにいる同性愛者の兵士を扱いかね続ける。これは、同性愛者・バイセクシュアルなどの性的少数者を自らの中に位置づけられずにいる社会の、凝縮された模型であり雛形である。
もう一つ、「同性愛者兵士の受容は、軍隊文化(military culture)の形成に関わる」。
Batemanは、「同性愛者の軍隊勤務の権利が保障されること」と「同性愛者が排除されない軍隊文化が形成されること」を分けて考えていると思う。前者は後者の第一歩に過ぎないと。
軍隊は、長く男性中心的・異性愛規範的な文化に支配されてきた。だが、女性兵士の登場は、この文化に大きな変更を迫っただろう。
同性愛者の兵士の可視化とその人権の保障も、同じ道を行かねばならない。
英米軍の同性愛者兵士の処遇に関する政策の変化は、2003年のイラク戦争以降に大きな影響を受けているという。いくら補充しても足りない兵力供給源として、軍は同性愛者を当てにし始めた。
そもそも兵器を手にしたくない、軍の暴力に自分の名と責任で関与したくない同性愛者の僕にはなんとも複雑な変化だが、軍が女性や性的少数者を取り込んでゆくなら、オランダ軍が目指しているという「すべての個人が完全に機能しうる」組織に変化してゆくなら、男性主義・異性愛主義に偏向した軍隊文化そのものが変わらなければならない。
軍隊内部での性暴力事件、女性兵士に対するレイプや性的嫌がらせ、同性の上官による性暴力に関するニュース、データは次々に見つかる。
2007年5月、航空自衛隊北海道基地で、女性隊員により性的嫌がらせを訴えられた男性隊員は、不起訴処分となった。
経緯は、女性自衛官の人権裁判を支援する会を参照。
いくら規律で押さえ込もうが、異性間・同性間の性暴力事件は起きる。だがそれはつまり、軍隊が暴力を予防するための兵士の教育と、事件が起きたときの加害者に対する適切な処罰と被害者に対する補償を、厳格に行いうる組織でなければならないということだ。兵士を守るために、「異なるジェンダー/セクシュアリティの人間の生存を保障しうる場」としてのビジョンを、軍隊は持っている必要があるはずなのである。それが作れず、組織の暴力で被害者を黙らせ続けるのなら、組織として完全に失敗しているだろう。
なんだか、前置きの方が長くなってしまった。
とりあえず、本題、↓以下が欧州の同性愛者兵士問題に関するglbtqのデータのメモ。
とにかく簡単すぎるのだが、参考のデータのリンクをおいおい補充してゆくつもり。
同性愛者を公式に軍から排除している国:ギリシャ、トルコ、イタリア
- 各国微妙に異なる理由
- 広く文化が同性愛を受け入れていない
イタリア
- 現在、ゲイ男性は軍務から免除(exempted)
- 1985年まで、軍は同性愛を犯罪と見なし、同性愛行為を行った者を罰していた。
- 1985年法改正、軍は同性愛を病気と分類、それをもって同性愛者を軍務より免除(exempt)。
ギリシア
- 同性愛に対する文化的許容の不在、軍はオープンなゲイ兵士に不寛容。
- 法により同性愛は軍から公式に排除、法改正に関する公の議論は殆どなし。
(※補)ギリシアは2002年、「精神的もしくは性的指向における障害をもつ」すべての人を軍役から免除(!)する大統領命令を施行している。
ギリシア:同性愛者の軍隊入隊禁止に権利団体が反発−ゲイジャパンニュース
トルコ:
- 同性愛に対する文化的許容の不在。
- 軍は公式に同性愛者を兵力への脅威(threats to the armed forces)と見なす、同性愛者であることが判明した兵士は解雇。
同性愛に無干渉・自由放任政策を取っている国:フランス・ベルギー
- 正式に締め出すことはしないが、その権利をはっきりと保障するわけでもない。
ベルギー
- 同性愛者の入隊を認める。
- 同性愛者兵士個人の振る舞いが問題を起こすと、懲戒または除隊処分。
- セクシュアリティがオープンすぎた(have been too open with their sexuality)同性愛者が部隊を移されたことも。
- ベルギー軍は同性愛者の兵士に高度な国家機密を守れるという人物証明を拒む権利を保持し続けている(脅迫に動かされやすいという理由)。
フランス:
- 同性愛者に対する軍の公的姿勢は無関心が特徴
- 同性愛者は軍から排除されないが、異性愛者よりも困難に直面すると考えられている。ゆえにもし望むなら、性的指向による適応不可能を宣言し、軍を出ることが許されている。
- 指揮官または精神医学者が、同性愛者の兵士を、彼らが部隊を混乱させており、部隊に適応できていないと感じたならば、除隊させることもできる。
(※補)フランスは、2000年にカムアウトした同性愛者の入隊を承認。
【仏】 軍隊に同性愛者の受け入れを表明−MILK Vol.29 2000/05/22
完全に同性愛者兵士に寛容な国:オランダ
- ヨーロッパの軍で最も同性愛に寛容、完全に同性愛者兵士の差別を撤廃。
- 1960年代の文化革命から、オランダは一般に同性愛に対する寛容な文化で知られ、それが軍の同性愛者に対する政策にも影響。
- 「同性愛に距離を置いて寛容」
同性愛者兵士の処遇に関する法・制度改正
英国軍の対同性愛者兵士政策の変化
- 2000年政策転換。過去数年、同性愛者の兵士を受け入れる環境を作る方向へ。
政策転換の経緯
- 英国軍はヨーロッパでも同性愛嫌悪的、合衆国同様、同性愛者の兵士を締め出し、反同性愛的な軍隊文化を創ってきた(※補)。
- 1994年、英国国防省は「同性愛的振る舞いは犯罪を引き起こし、関係を歪め、風紀を悪化させ、結果として士気と兵の統一にダメージを与える」として、同性愛者の排除を正当化。
- カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを含むコモンウェルス諸国や他のヨーロッパ諸国が1990年に制限を撤廃、英国の方針も維持困難に。
- 組織された同性愛者権利運動が1994年から開始。
- 性的少数者に対する反差別規定を含むEU人権法の英国法への編入が、同性愛者兵士排除政策の合法的な撤廃を可能に。
- 同性愛者兵士のグループによる訴訟、欧州人権裁判所(European Court of Human Rights)へ訴え。裁判所は彼らを擁護する判決を出し、英国軍に差別的方針の撤廃を要求。
- 2000年1月、欧州人権裁判所の判決に従い、同性愛者兵士排除が廃止。
(※補)政策変更以前の英国軍の同性愛者兵士差別を描いた作品として、TVドラマ・The Investigatorがある。非人道的なレズビアン兵士摘発を実話に基づき描いたものだそうだ。
kooさんによるレビュー。
DVD/ The Investigator - ビアン通信
英国軍の同性愛者兵士受け入れの現状
- 英国軍の同性愛者排除政策撤廃は成功との評価。
- 北欧と異なり同性愛者が軍務につく権利を公式には保障せず。
- 同性愛はそれ自体で解雇の理由とはならないとする。
- あらゆる人間を軍に受け入れるという社会的な規範を確立。
- すべての兵士は、軍の信用、結束力、作戦上の効果を損なう社会的な振る舞いを取ることを禁じられる。それには歓迎されない性的関心、不快な愛情表現、性的嫌がらせ(unwelcome sexual attention, offensive displays of affection, or sexual harassment)が含まれる。
- 適切不適切の判断は指揮官の裁量に任される。
- Christopher Dandeker(※補)は、現政策が同性愛者の兵士に命ずる抑制・遠慮(restraint)を強調し、「恐れるな、誇示するな("don't fear it, don't flaunt it")」であるとする。
- この政策で同性愛者の入隊が可能になったが、彼らは兵士としてのアイデンティティと義務を性的指向に優先させることを求められる。
- 2003年イラク戦争時、同性愛者を含む英国軍は米軍と共同作戦を遂行しているが、同性愛者兵士との軍務が米軍の行動に悪影響を及ぼしたという証拠は見当たらない。
(※補)現在英国国防省HPにある性的少数者軍人のためのフォーラム、LGBT Forum
(※補)Christopher Dandeker:ロンドン・キングス・カレッジ教授、軍事研究家。
ロシア・東欧
*1:“Military life is fundamentally different from civilian life…”, 10 U.S.C(UCMJ)-A- II-37-654, “Policy concerning homosexuality in the armed forces” (軍における同性愛についての方針