「"同性愛なのに"普通の恋愛」?


ウォン・カーウァイブエノスアイレス』(1997)。ハッピー・トゥギャザー、春光乍洩、レスリー様。

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ふとみんなのシネマレビューの『ブエノスアイレス』レビューを見て、うーむとたじろいでしまった。


みんなのシネマレビューーブエノスアイレス


「同性愛だということを除けば変哲もない恋愛」「同性愛だが男女の恋愛と変わらない」「同性愛だけど普通の恋愛」…


う〜ん、なんでこうなるんだろう。
同性愛もなんの変哲もない恋愛ですよ?
同性愛と異性愛はたいして変わるとこないと思いますよ?
同性愛も普通の恋愛ですよ?


僕はファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)の関係と2人の心の動きがいちいち身に憶えがあるよーなリアルさ情けなさで、もうグサグサ刺さるような思いで観たんだけど、ノンケさんには分かりづらかったというのだろうか。
そんなはずはない。「普通の恋愛に見える」と言ってるんだから。行き詰まった心、失恋の辛さ、愛を失っても自分の足で立てる幸せ、全部理解してる。ノンケにゲイの恋愛が理解できないなんて、そんなことはない。


同性愛が異性愛と違うほとんど唯一の点は、「異性愛社会との軋轢」があることだろう。惚れたはれたの感情の動きに違いがあるはずがない。異性愛社会との軋轢を描き入れた映画もたくさんあるが(『ブロークバック・マウンテン』のように)、『ブエノスアイレス』にはそれがない。ただ2人のゲイが関係に行き詰まり、衝突し、それでも愛し合い、そして別れる。
だけどそれがなぜか、ある観客たちを驚かせている。ゲイの愛が「普通の恋愛」として理解できてしまうことが。


自分が同性愛者の気持ちを理解できるというのが、そんなに珍しいことに思えるんだろうか?
なぜ「同性愛なのに」と留保をつけるんだろう?


たとえば僕は異性愛の男と女のラブストーリー映画を熱心に観るし感情移入もするし感動する。女性に恋愛感情も欲望も感じたことはないのにだ。「ノンケなのにゲイの恋愛と変わらないな!」などと、いちいち驚かない。大抵の同性愛者はそうだろう。
単に「慣れ」の問題と言えば、それだけのことだけれど。
「同性愛なのに」と言っている人は、目と心に必要もないフィルターをかけているような気がしてならないんだけれど、どうだろう?


(ついでに言うと、ゲイ役を演じたノンケ俳優に「よくやった」「エライ」「なんて勇気のある」とか言うやつも、僕は止めて欲しいと思う。なんでも演じるのがプロなのに、なぜか同性愛の演技だけがご大層な扱いになっているのだ。ゲイの俳優がノンケを演じても「なんてエライんだ!」とは言われないよねマッケラン様)