@公衆トイレ


写真を整理していたら、こんなのを見つけた。
何ヶ月か前に出張でロンドンに行かされたとき、地下鉄の駅の公衆トイレで撮った写真だ。
どこの駅だったか忘れたが、ウェストミンスター地区のどこか(見りゃ分かる)。



公衆トイレの通常の使用でエイズその他の性感染に罹ることはありません


しかし、もし何らかの性感染症に罹っていると思ったら、泌尿生殖器科(しばしばスペシャル・クリニックと言われている)にかからねばなりません。
あなたのかかりつけの医者からの紹介状は必要ありません。すべての処置は無料で内密にされます。


性感染症検査を勧める部分はよいのだが、最初の一行に軽い驚きを感じて撮ったのだと思う。
80年代から90年代にかけてのエイズ・ショックの時代、公衆トイレの便座までがHIV感染経路のように言われた。
HIVも、その他の性感染症も、トイレの便器に座る、そのとき性器が便器に触れるという経路では、感染しない。
感染経路は、体液(血液・精液)・粘膜の直接接触だ。コンドームなしの性交渉(膣セックス・アナルセックス)は、感染の可能性が高い。ゴムなしのオーラル・セックスも、感染の可能性がある。
HIV、クラジミア、梅毒、淋病などの性感染症は、それぞれ無関係ではない。クラジミアや梅毒に感染していると、HIVに感染する可能性も高くなる。


先進国のゲイのエイズ感染率が下がらないことが、明らかになっている。
英国でもフランスでもデータが出ている。日本でもだ。
十分な情報もあり、自分の意志で予防もできるはずなのに、感染は止まらない。
医療行政が予防啓発に苦心するのは当然だ。
が、しかし、なぜ「by normal use of public...」?
こんな古い無知から来る恐れ(と僕が思っていたもの)が、まだ英国にはあるということなのか。それともすごく古い昔の啓発シールが剥がされずにそのまま残っているのだろうか。
それとも、トイレ使用者に性感染症検査を促すための、単なる枕なのか。
トイレの中で、考え込んでしまった次第である。




いきなり呼び起こされたエイズに関する古いイメージのせいか、それを見たのがロンドンだったせいか、デレク・ジャーマンのことがグルグルグルグル頭を回っている。


80年代後半から90年代はじめ、HIV感染者へのすさまじい偏見が吹き荒れていた時代、HIV感染者であることをカミングアウトし、感染者に対するありとあらゆる攻撃、侮蔑、偏見に、一歩も引かずに戦い抜いた。
HIV感染の温床として、ここぞとばかりに吊るし上げを食ったゲイのライフスタイルのすべてを守り抜いた。ハッテンを擁護し、アナル・セックスを擁護し、「愛のない」セックスを擁護し、衛生や秩序や倫理をタテに、ゲイが生きる現実にスティグマを捺そうとするあらゆる暴力に否を叩きつけた。


ジャーマンの自伝を読むと、ときどき涙が出そうになる。喉元に刃を突きつけてくるような厳しさで、彼はその背中にすべての同性愛者とHIV感染者を守っていた。その刃は僕自身の喉にも突きつけられてくるものだったから、僕はジャーマンが怖かった。その怖いほどのゆるぎなさが、僕の生を守ってくれていると気づくまで、何年もかかった。


HIVのなにが恐れられているのか。
ただ、感染者に対する差別と偏見、そのせいでもたらされる孤独ではないのか。
検査を前に僕が足をすくませるとき、恐れているのは差別と孤独ではないのか。
なぜなら、僕自身が感染者を差別し、孤独に追いやっているから。


エイズの生存率は上がってきている。必要なのは、感染者が適切な治療をしながら暮らすことができる社会だ。そのなかで、感染を防ぐこともできる。
その社会が、奪われている。
感染者の命を奪い、感染を反復させてきたのは、「エイズが怖い」と言っている、感染していない(と思っている)人間たち自身だろう。
「でも、やっぱり、どうしても怖いものは…」
言い訳にならない。その一言一言が、現に人を孤独の中に追いやっているのだから。


2008年のいま、果たして理解されているのか分からないそのことを、1991年にジャーマンはとっくに見切っていた。



エイズと偏見
 『イヴニング・スタンダード』91年11月4日


 アレキサンダー・ウォーカーの私の映画『エドワードII』に対する攻撃と、アントニー・ピンチング博士への批判は、どちらも幼稚で礼儀をわきまえていないものである。もし彼がHIV伝染病と真剣に関わりたいのなら、一、二週間映画評論の仕事を休んで、この病気について研究することを勧める。まず最初に彼が学ぶことは、安全なセックスを心がけていれば、HIVは性的に放埒であること(一人以上の人と寝るという意味)とは結び付いていないことだ。これはゲイの人には広く知られていることだが、ストレイトの新聞が相変わらず間違った情報を流し続けているのだ。自分のHIVの感染の有無も述べず、自分の性的指向も語らないで、私や他のエイズとともに生きる人がセックスする権利を非難する彼は、いったい何者なのだ。公開ディスカッションをするべきだろう。『モダン・ネイチャー』から私の日記の部分を削除することもできたし、編集者はそれを望んでいた。しかし、門戸を閉ざすのではなく、人々に討論してほしいと思い、日記の部分はそのまま残すことにしたのだ。
 もし彼が、このような批評によって作り出される風潮の中で、私がHIV感染を公表したのが間違いだというのなら、彼はもっと真剣に考えるべきだ。
 最後に、批評家たちが私の死ぬべき運命についてクドクド言い続けていることに対して、私は不快でならない。エイズと共に生きていくことは可能だし、アントニー・ピンチング博士のような研究者のおかげで生き延びることも可能なのだ。生き延びれば、口やかましい方々をひどく傷つけることになるのだろうが。


デレク・ジャーマン
チャリング・クロス・ロード在住


右[下]線部分は手紙の原文から引用したもので、掲載されたものには含まれていない。
[引用者注:ということはつまり、新聞掲載時には削除されたということになる。]


デレク・ジャーマン大塚隆史訳『危険は承知』pp. 273-4.


彼が守ってくれたものを、失いたくはない、ロンドンの妙な写真を見つけて、そう思った。