「"筋金入り"のレズビアン」


単なる本からのメモだが。
レズビアンが"筋金入り"である」ってのは、どういうことだ?



 仕方ないから私、その子の頭を抱いて撫でてあげたわよ、よしよしってね。その頃にはその子は私の背中にこう手を回してね、撫でてたの。そうするとそのうちにね、私だんだん変な気になってきたの。体がなんだかこう火照ってるみたいでね。だってさ、絵から切り抜いたみたいなきれいな女の子と二人でベッドで抱きあっていて、その子が私の背中を撫でまわしていて、その撫で方たるやものすごく官能的なんだもの。亭主なんてもう足もとにも及ばないくらいなの。ひと撫でされるごとに体のたがが少しずつ外れてゆくのがわかるのよ。それくらいすごいの。気がついたら彼女私のブラウス脱がせて、私のブラ取って、私のおっぱいを撫でてるのよ。それで私やっとわかったのよ、この子筋金入りのレズビアンなんだって


村上春樹ノルウェイの森(下)』(講談社文庫)pp. 17-18.



「ね、あんたは賢い子よ、アイリー。でも、いままでろくでもないことばかり教えこまれてる。自分で自分を教育しなおさなきゃだめよ。自分の価値を認め、 奴隷のように尽くすのはやめて、人生を手に入れるの、アイリー。女の子を手に入れるのもいい、男の子を手に入れるのもいい、でも、まず自分の人生を手に入れるのよ」
「あんたって、とってもセクシーよ、アイリー」マクシンが優しく言う。
「うん」
「彼女の言うことを信じなさい,筋金入りのレズなんだから」ニーナは愛情をこめてマクシンの髪をくしゃくしゃと撫で、キスをする。


ゼイディ・スミス『ホワイト・ティース』下、p.35.


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(以下、10月24日追記)


最初の『ノルウェイの森』の引用は、主人公「ぼく」を導く賢者的な中年女性「レイコさん」の述懐である。挫折ゆえの精神の病から立ち直り、平凡な家庭の幸せを手に入れていた自分が、再び突き落とされ一種の精神病者向け療養所に入ることになった理由として、彼女は悪魔的なレズビアン美少女に陥れられた経験を語る。


このくだりを読んだときの曰く言い難い不快感は、上手く説明できない。


読んでの通り、いにしえのピンク映画のパートカラーのような描写である。女性は超絶美少女の超絶テクニックにアンアン善がらされたという、自分はまったく責任のない被レイプ経験を事細かに語り、男はそれを傾聴する。レズビアニズムを味わってみたい女とそれを覗きたい男の欲望を刺激するポルノ的妄想が繰り広げられる。
が、その快楽をもたらす役割を負わせられた「レズビアン」美少女は、「中身は全部腐肉」とまで言われる病的な嘘つきの異常人格者として扱われる(たった13歳でだ)。冷静な人格者の「レイコ」は、自分の中にも同性愛傾向があることを認めつつも、「私もそういう病んだ人たちをたくさん見てきたからよくわかるの」と、少女を救いようのない病人として断罪する。「"筋金入りの"レズビアン」という言葉は、こうした一連のモンスター表現のひとつとして登場している、という印象が,僕にはある。


いっぽう、ゼイディ・スミス『ホワイト・ティース』に出てくる「筋金入りのレズ」は、レズビアンが自ら語っている言葉だ。
ヒロインのアイリーは太った醜い女の子で、魅力的な幼なじみに恋するあまり、強迫観念的な痩身願望や美容に取り憑かれている。異性愛の美の価値基準に押しつぶされそうになっている彼女を、レズビアンのニーナとその恋人マクシンが励ます場面である。「筋金入りのレズ」というのは、「女好きだから女の魅力が分かるのよ、あなたは魅力的よ」ということを、ユーモラスに表現した言葉だろう。「筋金入り」という言葉には、自信に満ちたレズビアンとしての自負も滲んでいるかもしれない。

自立したフェミニストのニーナは、作者スミスが理想をこめて書いているキャラクターらしく、引用のセリフは作品中最も印象的なセリフの1つだ。


しかし、ニーナの描写は、「異性愛主義を超越した自立的フェミニストレズビアン」をいささか理想化しすぎているきらいもある。世俗的な悩みも煩悩も多いであろうレズビアン読者にリアリティがあるキャラかどうか、疑問が残るところだ。レズビアンだって、恋愛勝者になるためにダイエットや美容に悩むことはあるだろう(ゲイもだが)。


10月23日追記


興味深い講演情報。ここで取り上げた同じ論者によるものだ。


東京女子大学・特色ある大学教育支援プログラム(特色GP) 
女性学・ジェンダー的視点に立つ歴史教育の展開
「日本文学の中の女性表象とレズビアニズム
 ー村上春樹村田喜代子などを中心にー」
講師: 渡辺みえこ 氏 (詩人・評論家)
 12月14 日(水) 4限 14:55〜16:25
 東京女子大学2102教室
http://office.twcu.ac.jp/support/koza/GPnichibun-2005-4.html


村上春樹の駄文に拘泥する必要はないのかもしれないが、彼のレズビアン表象には、ただの男の妄想に留まらない底流があるような気がする。
女性同性愛を男性同性愛に比べ圧倒的に低い垣根で許容するいっぽうで(男はポルノグラフィックな関心から、女性は「きれい」「やってみたい」など)、「レズビアン」=「『筋金入りの』女性同性愛者」を異質な(ときにモンスター的な)存在として他者化する構造がどのように生まれるのか、関心がある。


関連エントリ:ボードレールとレスボフォビアの系譜(承前)