チン・シン@『トム・ヤム・クン!』(2005)


『トム・ヤム・クン!』公式サイト


はではでアクション映画に全然興味ない相方の生温かい視線を蹴散らして、行け行け行け行けトニー・ジャー!!!!!!!とMovie Plusの『トム・ヤム・クン!』にかじりついていた僕であったことよ。


マッハ!!!!!!!!』(!を何個つけなきゃいけないんだこの邦題は)でトニー・ジャーの古式ムエタイの迫力に度肝を抜かれ、観たい!と思っていた主演第2作『トム・ヤム・クン!』を、ようやく観た。


「第1作が良かったから第2作も!」という観かたをした映画は、過剰に期待をかけすぎたり第1作のイメージに縛られすぎたりするため、どうしてもあれこれ不満が出てしまう。

  • 前作に比べ海外を意識したせいか、「タイ観光効果」狙い(水かけ祭りやら舞踊やら)が強過ぎ、であるとか(僕的には、前作の素朴な寺のある埃っぽい農村とか、今時のバンコク風俗とかの方が、ずっと「観光効果」があったのに)。
  • 「物語?そんなものトニー・ジャーの格闘技の口実ですから」と言わんばかりにシンプル・イズ・ベストな前作の脚本もどうかと思ったけど、やたらサービスを盛り込もうとしすぎて(物語に全然絡んでいないお色気ヒロインとか)、ゴチャゴチャととっ散らかった脚本はどうよ、とか。
  • 舞台を多文化主義シドニーにグレードアップし、中国・ベトナム・韓国・タイと入り乱れるアジア社会を背景にするアイディアはいいんだけど、中国マフィア+ベトナムギャング=悪!タイ=善!ってのはやりすぎじゃない?とか(まあ他にやりようないけどさ)*1


でも、トニー・ジャーが凄かったから。
敵をなぎ倒しながら階段を駆け上っていく4階ぶち抜きロングショットも、噂の40人関節極めも、凄かった。
技が変わったというか、ムエタイでしか見れないあの膝蹴り、肘撃ちがあまり出なくて残念だったけど、凄かったから。


映画のテーマも、村から奪われた仏像の頭に続き、海外に連れ去られた象(タイの象徴)を取り戻すために戦うタイ(トニーのT)のムエタイ戦士という、相変わらずのゴリゴリの直球っぷりが、いっそすがすがしくて良かった。
こういう設定は、行き過ぎると自己陶酔ナショナリズムのイヤな臭いが漂いそうなんだけど(まあ実際漂ってるんだけど)、トニー・ジャーの圧巻の肉体的能力と格闘技の存在感、それと一種の「不思議ちゃん」キャラ*2が、それを感じさせなかったと思う。


とまあ、映画の感想についてはこのぐらいにしておいて。


ここで記録しておきたいのは、今作のラスボス、マダム・ローズを演じたチン・シン(金星 Jin Xing)


朝鮮系中国人のバレリーナ・現代舞踊家の彼女だが、 中国初の公認によるSRS(性別適合手術)を受けたMtFトランスセクシュアルである。


Jin Xing - Wikipedia.en



1967年生、9歳で人民解放軍に所属し、軍務と舞踊を学ぶ。
幼い頃から、強いトランスセクシュアルの願望を持っていた。雨天のとき、雨に打たれながら、稲妻が自分の体を直撃して女性に変えてくれれば良い、と思っていたという。
のちに、中央アジア民族舞踊で舞踊国体で優勝する。その後、NYでモダン・ダンスを学び、ヨーロッパで舞台に立つ。1991年から1993年、ローマでダンスを教える。
26歳で中国に帰還、1995年、28歳でSRSを受ける。
その後、上海に移り住み、現在は「Shanghai Jin Xing Dance Theatre」を主宰しながら、ドイツ人の夫と3人の養子とともに暮らしている。


元英首相トニー・ブレアと。From NEWSGD.com


数本の映画に出演しているが、彼女の生涯についてのドキュメンタリービデオ『Colonel Jin Xing: A Unique Destiny』(2001年フランス)がある。
こちらで観れるようだが、僕のPCでは視聴不可。どんな内容だろう。


タイトルからして、「美しい中国人MtFはもと解放軍将校!」という題材が、欧米人には面白いのかな、と想像したりするが。


Youtubeに、チン・シンの舞踊の映像が。現代舞踊は分からないが、優美だ。


さて、『トム・ヤム・クン!』での彼女の役、マダム・ローズだが。
シドニーに拠点を置くチャイナ・マフィアファミリーの要人であるローズが、チン・シンと同じく、トランスセクシュアルという設定になっているのは、周知の通り。


しかし、マダム・ローズのキャラクターは「カマっぽく」もないし、「男女両性具有の魅力を見せる」といった、観客がトランスジェンダーに期待しそうな「ヒネリ」も見せていない。
美人というほどではないが、優雅で切れ者でゴージャスな女悪党である。お約束という感じのセクシー入浴シーンや愛人との絡みは、気品があって美しい。


じゃあ、彼女がトランスセクシュアルであることがどのあたりで際立つのか、というと、ファミリーからの執拗な差別発言で、である。
マダム・ローズが差し出したアワビのスープを指して、ボスが


「これがアワビだと?ミミズみたいな味だ。ミミズを知っているか?蛇みたいな虫で、オスとメスの器官を体に持っている*3


この暴言に、マダム・ローズはただ歯を食いしばって耐える。
このボスが死に、後継者を決める一族会議が開かれる。
ローズの能力もファミリーへの献身も、親等では同格の他の後継者候補に引けを取らない、しかし、彼女は除外される。「女」だからではなく、「男でも女でもない」からだ。


「身の程を知れ、男でも女でもないおまえがボスになったら、世間に顔向けできん」


能力が劣るわけでもないのに、ただ男でも女でもないという理由で、彼女はファミリー(家族)から除外される。


で、マダム・ローズはどうしたか。


その一族会議の席で、ネイティブ男の後継者候補たちをまとめて
さっくり殺して、
ファミリーのボスになるのである。


まあそのあと、象を救いに来たカーム(トニー・ジャー)と対決し、その野望は潰えるのだが。最後まであっぱれな悪党ぶりで、みっともないところは見せない。
前作のラスボスも、堂に入った悪党だったが、これは最後は「仏に懲罰」された。
ローズは懲罰というかたちではなく、カームと実質相打ちになる。


監督プラッチャヤー・ピンゲーオのアイディアか、チン・シンのキャラか。
トランスセクシュアルを「イロモノ」扱いさせず、カッコよく、トランスセクシュアルに対する旧弊な差別と、それへの復讐までキッチリ込めて描いている(むろん、復讐といった描きかたが良い、とは、必ずしも言えないのだけれど)。
バリバリのアクション映画で、こんなキャラに出会うことができるとは思わなかった。ちょっと得した気分である。

*1:このあたりの国際関係(?)は、全部分かってギャグでやってるのかもしれない。タイ隣国で国境紛争を何度もやってるラオスについては、「(シドニーの)アジア人は皆仲良くしているーあっ、もちろん、ラオスも!」なんていうセリフが出たりしてるし。

*2:まわりではチャイナマフィアとオーストラリア警察の癒着とか麻薬取引とかタイ女性人身売買とかいろいろ起きているのだが、最後まで自分が置かれた状況を全然理解していなかったと思う(パスポート無くしたことも気づいてなかった)。あと、たぶん象と人間の区別が素でついていない。

*3:アワビや貝が世界的に「女性器の隠語」であることを考えると、このセリフは無茶苦茶にドぎついマダム・ローズへの悪罵なのである(ボスが喋る中国語でのニュアンスがどうだったのか、僕には分からないが)。