暗い曇り空の下のギリシャの神


霧の中の風景(1988) - goo 映画



From Theo Angelopoulos Official Website


ギリシャという国について、僕はなにも知らない。ギリシャと聞いて思い浮かべられるのは、青い空と海、白い大理石、神話、悲劇、そのていどである、恥ずかしい。神話とか古典とか、ギリシャは日本でも随分なじみ深いような気がするんだけど、紀元前のことだけやたら知っていて今のことは何も知らない国って、考えてみればものすごい偏ったなじみ方。


テオ・アンゲロプロスの映画をはじめて観たときも、「ギリシャ」のイメージを裏切るその暗い曇り空に度肝を抜かれた、という、なんだかピントを外した第一印象が、いまだに忘れがたかったりする。


アンゲロプロスの映画は、神話的な空気に満ちている。どこまでもリアルな現代ギリシャを描き続けているアンゲロプロス映画に、軽く「神話」といった例えを使うのは躊躇われるのだけれど、あの曇天の下に描かれる世界の無情さ、ままならなさ、荘厳さには、恐ろしく気まぐれで冷酷で残忍なギリシャの神が、本当に潜んでいるんじゃないかと錯覚してしまう、なにかがある。


神や神話というのも、自然と人間の世界の残酷さ、無情さ、ままならなさ、荘厳さへの畏れや哀しみや怒りを象ったものなのかもしれない。アンゲロプロス映画が神話的に見えるのは、彼にはどんな作家よりも正確に世界の姿が見えていて、それを映像に写すことができるから、なのだろう。



霧の中の風景』は、ギリシャを歩くロードムービーであるとともに、ギリシャという時空を旅する映画だ。
父に会うためドイツへ行こうと旅に出た、ヴーラとアレクサンドロス。たった11歳と5歳の姉弟だ。警察に追われて連れ戻されたり、冷たい親戚に父の存在を否定されたり(シングルマザーの母親が、父親はドイツにいる、と言い聞かせてきたのだ)、2人の旅が辛く厳しいものになることは、最初から予感される。


旅の途中で2人は、旅芸人一座のバスに乗りあわせる。この一座、アンゲロプロスの13年前の作品『旅芸人の記録』(1975)の登場人物だ。父アガメムノン、母クリュタイムネストラ、長女エレクトラ、息子オレステス、母の愛人アイギストスと、名前がみな悲劇『アガメムノン』にちなんでいる芸人一家だが、この唐突な映画作品の「共演」には、結構驚かされる。
だって、『旅芸人の記録』は第二次世界大戦期から大戦後の、独裁政権期。『霧の中の風景』は、1980年代の話なわけで。時間越えてきたの?空間ねじれた?兵役から戻ってきてからパルチザンになり死んだオレステスは、これから兵役に就こうとしているし。だが旅芸人一座は舞台衣装を売るほど落ちぶれていて、たぶんその「旅」は行き詰まるように終わりを迎えようとしているのが感じられる。


ギリシャの過去と現在が、時空をねじったように接続される。この旅芸人一家は、『アガメムノン』の時代から独裁政権期のギリシャに降臨したように、再び激動の時代から1980年代の現代に降臨した神話の時代の人たちなのだろうか?
そう思うと、ヴーラとアレクサンドロスのいわば「守護天使」の役割を果たすオレステスが、僕にはギリシャの神に見えてくる。革ジャンにジーンズ、バイクに乗った若い神だ。



Stratos Tzortzoglou - IMDb
Stratos Tzortzoglou - Wikipedia.en
www.vips24.gr -Στράτος Τζώρτζογλου


オレステス役のストラトス・ジョルジョグロウStratos Tzortzoglouは1965年生まれ。このとき23歳だ。アンゲロプロス作品には他にも『ユリシーズの瞳』(1995)に出演している。IMDbによれば『霧の中の風景』は映画デビュー作だったようだが、彼がギリシャで人気を博したのは、同年に主役を演じたパンテリス・ヴルガリス監督のサッカー映画「I Fanella Me To 9」だという(1989年ベルリン映画祭に出品)。


ちょっと画像が悪いが、「I Fanella Me To 9」のストラトス・ジョルジョグロウ。


実は彼、マイケル・カコヤニス(『その男ゾルバ』の監督)の『Pano Kato Ke Plagios』 (1993) で、大女優イレーネ・パパスとの共演で、ゲイ役を演じている。ウェブに流れているシノプシスによれば、お盛んな年増女性マリア(パパス)と、この母にしてナントカなゲイの息子スタウロス(ジョルジョグロウ)が、バイでマリア・カラスの親戚だというジム・インストラクターに2人して惚れ込んでドタバタに…というストーリーだそうで、オペラ好きのビッチ&ゲイ母子なんてイカニモな設定が楽しそう。上掲のギリシャ語サイトwww.vips24.grには、ドギマギもんのセクシー画像もあったりするので、彼が「お盛んなゲイ」役なんて言われたらもう、「観せろー!!」と絶叫したくなる(笑)。


IMDbによれば、この数年は主にTVドラマで活躍しているらしい。当年42歳だが、ギリシャ語のサイトで見つけた写真は、相変わらずなかなかハンサムだ。


http://woman.pathfinder.gr/interviews/274058.html



霧の中の風景』は、ザラザラしそうなぐらいリアルなロードムービーの感覚と、ファンタジーが入り混じった映画だ(最後に姉弟がどこへ行ったのか、生きているのか死んでいるのかも分からない!)。過去からやってきた(?)旅芸人の中から、ヴーラとアレクサンドロスの旅の仲間となるオレステスが、本当に人間なのか(?)分からない。トビアスの旅の伴侶になった大天使ラファエルみたいなものかもしれない。そのぐらい、彼は不思議な存在である。
姉弟が旅の最後にたどり着くことになる、霧の中に立つ樹のフィルムの断片を2人に渡すのも、彼だ。


トレイラーに、フィルムのシーンが入っている。



旅芸人一座と別れた姉弟の旅は、さらに過酷になる。
ヒッチハイクで乗ったトラックの運転手に、ヴーラはレイプされる。
たった11歳のヴーラを襲った世界の残酷さは、あんまり恐ろしくておぞましくて、最初に観たとき、僕はアンゲロプロスに嫌悪を感じたほどだった。


だが、踏みにじられた植物が再び頭をもたげるように、傷つけられて間もないヴーラの心には愛が芽生える。
汽車旅行のさなか、姉弟オレステスと再会する。旅芸人一座と別れバイクで兵役に赴くオレステスは、つかの間の子どもたちの庇護者という格好に。寒々とした曇天の下、茶店のラジオが調子っぱずれのロックをがなっている浜辺で、ヴーラは恋に落ちる。


駅にたどり着いても、ヴーラはオレステスとの別れを少しでも引き延ばそうとする。結局、3人は宿を取る。その夜、ヴーラはそっとオレステスの部屋を訪れる。


でも、この愛は叶わないのだ。
だって、オレステスは同性愛者だから。


なんでこうなるんだろう。オレステスもまた、ヴーラを痛めつける人生のままならなさのようだ。


なぜかオレステスがいない空の部屋をヴーラが訪れた翌朝、3人は海辺で奇妙なものを見る。
宙に吊り下げられ、海原の上を渡ってゆく巨大な手。
海から引き上げられた彫像の断片かなにかだったのだろうか。まるで、人間の運命を意のままに動かしてきた古代の神の手が、突如姿を現したようだ。


その夜訪れたディスコで、オレステスは男と一緒に消える。ヴーラはアレクサンドロスを連れ、夜道へ飛び出す。怒りをこめて歩くヴーラのあとを、オレステスが追ってくる。オレステスの腕の中で、ヴーラははじめて泣く。


ヴーラはレイプされたが、その同じ体で人を愛そうとする。同じ体で失恋に怒り、また同じ体で金を稼ごうとする。どれほど痛めつけられようが、生きている限りブレない、失われないものが、彼女の中に一本通っている。だから、彼女の体は少しも損なわれていない。


と、いうのは、僕の願望に過ぎないだろうか。


だがアンゲロプロスも、過酷なギリシャ現代史を撮り続けながら、痛めつけられ続けたギリシャのために、そのようなものを望んでいたかもしれない。


インタビューで「なぜオレステスは同性愛者なのですか?」と訊かれ、確かアンゲロプロスは、「分かりません、その方が神秘的だと思ったからです」と答えていた。