「家族」という「生存ユニット」

  
あけましておめでとうございます、というのも間抜けすぎるぐらい間が空いてしまい、なさけないかぎりの1月末である。
  
他のブログのように、年の最初のエントリをカッコよく始めたかったのだけれど、今年は個人的な事情で、きれいさっぱり「年末年始が存在しない」年末年始を過ごしてしまった。
その事情のほうは落ち着いてきたものの、今度はそのために停滞を余儀なくされていた仕事に追いまくられ、ほぼ1ヶ月、ウェブ的には消滅状態だった。その間、いただいていたコメントをながながと放置してしまったりして、えらい非礼も働いてしまった(ほんとうに失礼しました、早く返事しますね)。
  
まだ仕事はほぼ年度末までバタバタしているため、更新は停滞がちになりそうなのだけれど、できる範囲で、少しずつ書いていこうと思う。というわけで、今年もどうかよろしくおねがいします。
  
  
さて。
このブログには、あまり僕の身辺の個人的なことは書いていない(書くようなことが何もないからだが)。しかし、このエントリではこの消滅期間しばらく考えていたことを書こうと思っているのだけれど、具体的なその内容もそれについての僕の考えも、ダイレクトに個人的なことであったりする。別の視角から客観的に分析してみるという作業も経ていないので、読んだ人にどんな印象を与えるか分からない、独善的でいびつな思考を開陳してしまうかもしれない。そんなふうに"はらわた"をぶちまけるのは、匿名HNでも勇気がいるのだが、考えてみたらほかのエントリだって多かれ少なかれ人にはどう見えるか分からない「個人のはらわた」をぶちまけてるわけだし、とりあえず去年のはらわた(??)は吐き出して記録しておかないと前に進めない、という気持ちがあるので、書いておこうと思う。

  
「年末年始」が吹き飛ぶことになった急な事情というのは、父が倒れて手術をしたことだ。
長年の持病の影響で、ここ2,3年目に見えて体を悪くしていた父なので、病気そのものは、決して驚くことではなかった。しかし、急いで手術しなければ危険だというほど健康状態が悪化したのは突然のことで、仕事納めのゴタゴタをどうにかやりくりし、とりあえず実家へ行った。やはり離れて暮らしている兄と妹もやって来た。
  
兄妹が集合したところで、手術をするのは医者と病院だから何になるというわけでもないが、雑用は多いし、先の見えない状況で母を1人にしておくわけにもいかない。けれど、兄と妹にはそれぞれ家族があり、さらにバッド・タイミングが重なって、父の容態が安定するまで何日も待機していることはできなかった。けっきょく、独身の僕が一番機動力がある、ということで、年末年始は母と一緒に実家に留まり、担当医との面談や親戚との連絡やそのほかの雑用に走り回った。年明けて5日からは自宅と仕事に戻ったが、スケジュールを調整しながら何度も実家へ行って、母と交代で父の付き添いをしたり、父の病気は要介護認定を受けられるので、地域の介護サービスのことを調べたり、実家のリフォームについて兄と相談しながらプランを立てたりした。 10年前、祖母を介護したときの設備がある程度あったが、これから歳を取っていく両親の生活環境をいまから整えておいたほうがいい、という点で話が一致した。
  
こんなふうに、あれだこれだと走り回っていたのだが、走り回りながら僕が考えていたのは、「家族」というのはつくづく「生存ユニット」なんだな、ということだった。
  
「家族」というのは「生殖」と「生存」をその単位で行うことが法的・倫理的に要求されているユニットであり、そのために様々な法的・制度的便宜が図られている、といっていいのだろう(このエントリは何も文献や教科書を参照せずにてきとうに書いているので、こんないい加減な定義づけがボロボロ出てきそうだが、どうか勘弁してもらいたい)。「生存」にはさまざまな局面があって、親が病気で倒れる、というのはその1つに過ぎないが、分かり易い状況だ。構成員の、とくに生死に関わる警鐘が鳴ると、「家族」の「生存ユニット」としての機能が「起動」する。僕の実家のように、儀礼的なつきあいしかしていない「家族」でもそうなのだから、大したものだ、と、人ごとのように感心していたのである。
  
むろん、人間の生死に直接に関わるのは医療であり医療保険ありさまざまな社会保障制度であるわけだが、それを動かす責任は、当人が無力な場合まず当然のように「家族」に回って来る。母は患者代理人として、膨大な量の同意書にサインしなければならなかった。ゲイの僕は親兄妹以外に「法的家族」を持てるあてがないが*1、「法的家族」が代理人になれない場合は誰が同意書にサインするのか、そのためにどんな手続きが必要なのか、考えたことがなかった。
  
しかし、僕の実家の「生存ユニット機能」は今回は比較的スムーズに「起動」できたわけだが、たまたま今回はそうだったというだけで、次はどうか分からない。考えてみたら、今回みたいに実家に長期間泊まり込むというのも、年末年始の休暇の時期だったからできたことで(病院の機能の縮小には不便を味わわされたが)、仕事が忙しい時期にはこうはいかないだろう。それに、「次」はどうなっているかなんて、誰にも分からない。僕のほうが病気で倒れているかもしれないし、深刻な経済危機に見舞われているかもしれないし、なんらかの事情で誰かが家族の縁を切って音信不通になっているかもしれない。
  
この社会で「家族」は「生存ユニット」としての機能を求められていて、そのために法的・制度的便宜が図られているのだが、そのユニットが求められているほど機能できないという状況は,少しも珍しくはないのだろう。
  
家族を持たない人は、大勢いる。
そして、病気の親や子どもの看病をしたくても、距離的に、時間的に、経済的に不可能だという人も、大勢いる。
物質的な問題がなかった(または大きくなかった)としても、精神的な障壁もある。
「家族の関係」は、べつに「良い関係」というわけではない。たとえ生死に関わる状況でも、最も近づきたくない人間が家族だ、という人も、きっと少なくないのではないか。
家族に虐待を受けたり、耐えがたい暴力を被った人には、家族の世話になることも、世話をすることも、耐えられなくて当然だと思う。
明らかな虐待や暴力ではなくても、その人にとって深く癒えない傷や、虐待に等しいほど積み重なった抑圧というものもある。何らかの理由で、精神的な平安を保つためには、家族から離れていることが必要だ、という人もいる。
そういう人たちが、経済的な、または健康上の理由で生存の問題に向きあったときに、家族がいるなら家族のもとへ帰るべきだ、あるいは家族の世話をするべきだと強制されるのは、あまりに暴力的だと僕は思う。たしかに命はつながるかもしれないが、精神的な問題はどうなってもいいのか。生きてゆくためには自尊心などどうでもよい局面は、確かにあるのかもしれない。でもだからといって、それを人に強いて良いわけではない。
  
さまざまな社会保障の問題とは別に、「生存ユニット」として「家族」が機能することは、自明のように「べき」ことと見なされている。だが実際には、「家族」がその機能を発揮できるかは、さまざまな経済的・物質的条件と、「家族」という人間関係をどう維持していくのかという複雑な努力と、多分に運にもよっている。そんな不確実なまとまりの上に、人間が生存を預けなければならないというのは、実はとても危うい話なのではないか、と僕は感じる。
  
少なくとも目下のところ、僕の「家族」の「生存ユニット」は起動できている。これを僕は、恵まれていると感謝すべきなのだろうか。類似の状況でもっと厳しい選択を強いられている人(家族の看護のために、仕事を辞めるなど―)が大勢いることを思えば、感謝すべきなのだろう。だが僕は、あまりそういう気分にはなれないでいる。僕の「家族」は「生存ユニット」として、すでに大きな失敗をしているからだ。
  
約10年前、僕が大学生の頃だが、両親は父方の祖母(つまり父の母)の介護をしていた。祖父が亡くなってから長く独り暮らしをしていた祖母が、体を壊して息子の家に同居するようになったのは、僕が高校生のときだ。はじめは元気だった祖母は、僕とひとつ年下の妹が大学に進学した頃から少しずつ衰えはじめ、何かと人の、特に祖母の面倒をみていた母の手を必要とするようになった。そういう祖母を、父は虐待しはじめた。僕の家は、高齢者虐待があった家庭なのである。
  
もともと僕が育った家庭というのは、父の怒声と折檻が絶えない家庭だった。とはいえ僕ら兄妹はセコくヌケヌケと生き抜いていたし、末の妹が他県の大学に進学すると、父の強権もさほど影響力を持たなくなっていた。だがそれと入れ替わるように、父の癇癪は加齢によって子どものようになってゆく祖母に向かうようになった。
兄はすでに就職して自立していたし、妹は寮に入っていて、その頃、実家にいたのは両親と祖母、僕だけだった。あの頃のことは、未だ平静に思い返すことができない。母や僕が祖母を庇おうとすれば、父はさらに激昂した。全体主義国家の卑屈な小役人のように、父の癇癪をヘラヘラやり過ごすことしかやってこなかった僕は、父の暴力を止められなかった。
  
結局、どうしたのかというと、大学4年に上がるとき、僕は大学の専門の厳しさを口実に、強引に家を飛び出した。その口実が嘘だったわけではないが(通学に片道2時間以上かかる生活は、限界に来ていた)、要するに逃げ出したのだ。
たしかにその頃の僕の精神状態は酷かったし、荒れた実家を離れた解放感は、(極貧にはなったけれど)身震いするほど大きかった。だが僕は祖母を見捨てて1人で逃げた。祖母は逃げられなかったし、祖母を介護していた母も、祖母を虐待していた父も逃げられなかった。祖母はその約2年後、介護病棟で半年を過ごしたのち亡くなった。
  
祖母が亡くなってから、手遅れなのだが、ようやく状況が見えてきた。なぜ僕は祖母の虐待を通報できなかったのか。あのとき起きていたのは犯罪だったし、僕がやったのは犯罪幇助ではなかったのか(2006年(平成18年)以降、高齢者虐待防止法(高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律)が施行されている)。祖母が悲鳴を上げたり怯えて泣いているあいだ、電話に手を伸ばすことも思いつけずにただ突っ立っていた自分のことを思い出すたび、怒りと恥ずかしさで震えてくる。恐らく僕は家族の間で犯罪が起きる事実を認めたくなかったし、恥じて隠していたかった。この10年間、僕が父と祖母のことを話したことはない。「人に知られたくない家庭の事情」を「クローゼットの中の骸骨(skeleton in the closet)」というそうだが、僕と父に相応しい言葉だ。
  
  
「家族」について考えたり語ったりするたび、僕は混乱する。
「家族」ほど個別的でありながら、恐ろしく普遍化されて語られるものもない。誰も自分が経験した家族関係しか知らないのに、「家族とは」「親子とは」という規範的言説を自明のように語る。そしてその規範的「家族」イメージに引きずられ、自分がどれほど「家族」に恵まれているのか不幸なのか、見えないものさしに振り回される。「家族」ほど、不条理な支配力を持つ規範はないかもしれないと思う。だが、「家族」という規範のこの異常な支配力が、「生殖/生存ユニット」を強引に存続させてきたのかもしれない。
  
僕は、「家族」に夢や幻想を抱いている人間だと思う。親をやりたい、次世代を育てたいという気持ちはあるし、「愛し合う同性カップル」の問題より、性的少数者が「家族」を形成する権利や条件のほうに関心がある。自分には無理でも、「家族」を作り育てようと努力している人たちを応援したいという気持ちがある。
その一方で、「家族」という「密室」がどうやって人を拘束し、暴力を隠蔽するかを恐れている。僕は「家族」を信用していない。
  
父の病気をきっかけに、僕が属する「生存ユニット」がそろそろひとつの大きなプロジェクト(これから老いてゆく親をケアしてゆくこと)に起動することを感じながら、僕が考えていたのは「失敗してはいけない」ということだった。
むろん実際に親を介護するのはまだ先のことになるだろうし、そのとき僕らがどういう問題を抱えているか分からないが、父も、側にいる母も、それぞれ家庭を持つ兄と妹(彼らはそれぞれ自分の「生存ユニット」に対する責任を持っている)も、僕自身も、誰も犠牲にならずに生きてゆけなければならない。
たとえば、歳とった親を虐待する自分も、僕には想像できる。それはありえないことではない。それを想定したうえで、そうならないような手を打たなければならないということなのだ。僕はそう思っている。
  
などと、漫然とエラそうなことを書いているけれど、たとえば「家族の養護・介護」という問題には、膨大な「先人の蓄積」がある。社会保険制度の利用法から精神的サポートの問題まで、マニュアル本も多数あるし、家族の介護に携わっている人たちが、ブログで貴重な情報を発信しておられる。10年前、破綻した祖母の介護に何もできずに呆然としていたが、いまは学べること、学ぶべきことの多さに呆然としている。こうした情報は、まさに「生存」のためのセイフティ・ネットのひとつだ。
  
「家族」が「生存ユニット」としての機能を果たせるなら、それはいい。
けれど、「家族」が「生存ユニット」でなければならない、とは、僕は思いたくない。
少なくとも、人間が「生存ユニット」の部品として消耗品のように扱われたり、「家族だから」という呪縛によって、声を上げることもできずに押しつぶされるという悲劇は、起こってはならない。「家族」は聖域でもないし、そのためならどんな忍耐も可能だというような、超越的な関係などではない。
  
「生存ユニット」として社会からサバイバルの責務を負わせられた「家族」は、例えれば部隊のようなものかもしれないと思う。隊員の人権と尊厳を侵害しない軍規を守って行動し、長年の共同生活を通して身につけたチームワークを駆使すれば、効率的な生存が可能になる。部隊がそういう能力を持っているなら、それは結構だ。けれど、隊の指揮系統が破綻し、物資も欠乏し、隊員の尊厳が損なわれ、犠牲が強いられるなら、そんな部隊からは逃げ出せなければいけない。そして、そういうふうに部隊が破綻することは、少しも珍しいことではないのではないか。そのとき、人が逃れられることが必要だ。部隊に属さずとも生きていける可能性と選択肢が。
  
僕は、自分がそこに属して生まれた「家族=生存ユニット」の機能は果たそう、と思う。「生存ユニット」の警報が鳴ったら、両親や兄妹のために、また自分の力に可能な範囲で(あたりまえだが)走り回るだろう。将来のことなど分からないのだが、それが可能なら、走るだろう。
そしてまた、その人のために走りたい人がいる。その人と僕が互いに「生存ユニット」なのか分からない。だが彼に何かあったとき、彼のために走れればよいと思う。どれほど、いつまでそうできるかは、分からない。生存のためのユニットは、僕らにとっては絶えず作ってゆくものなのだろう。永続的な関係はどこにも存在しない。それは不安定だが、呪縛であるよりはましだ。「家族」は人間に「生存」の保障を与える代償に、人間を呪縛してきたのではないか。僕はそう考えてしまう。
  
人は独りだが、本当に独りで生きてゆくことは難しい。
生きてゆくための手がかりは、社会に開かれていて欲しい。
サバイバルする「家族」を救い、「家族」から人を救い出す力が存在し、手が届くこと。決して「家族」が人を閉じ込める「密室」にならないこと。「家族」なしでも生きてゆける可能性があること。
そういうことを、僕は望んでいる。

*1:現在のところ養子縁組が、パートナーとの間に法的関係を作るほぼ唯一の手段である。