旅先から

  
ご無沙汰しております。お元気ですか。
この3週間ばかり、旅をしています。
って、ただの仕事なんですけども。
  
職場の仕事の関係でここ数年、だいたい年に1回、1,2週間長くて3週間ぐらいの海外出張に行かせてもらうことがある。
  
といっても仕事はチーム行動だし、僕は技術担当なので、毎日朝から夕方まで無言の資料と機材とパソコンを相手に過ごし、生きている人とは行きと帰りの下手な挨拶ぐらいしか接触がない。あまり外国を旅行をしているという気にならない。
  
それに、相当な強行軍で、すこしも大名旅行じゃないけど、少なくとも僕については、至れり尽くせりなんである。トラブルは訪問先を知悉してもいれば言葉も堪能なメンバーがささっと解決してくれるし、食事の注文すらしなくていい。自分でやることといえば、専門家の間での交流やミーティングを免除してもらい、スタンドでテイクアウトを買って帰るときか、ホテルの洗濯機の前で辞書を引くときぐらいだ。臨場感に欠けることはなはだしい。
  
新聞も読めないしTVのニュースも理解できないから、いま何が起きているのかもほとんど分からない。精神的引きこもり状態になる。花と言われる都に来ているのに、なにやってるんだ。
短期間訪れて去るだけのよそ者は、その土地や街と自分なりに語り自分なりの接点を見いだそうとしながら、その過程で「旅人」になるんだろう。なにもしていない僕は、どこまでもただのよそ者だ。つくづく自分は旅がヘタだと思う。しかしもう何年も出張以外で旅行をしていないな。
  
でもさすがに歩くぐらいのことはするので、犬も歩けばなにかに当たる。
  
虹色のものを見かけると、たあいもなく喜ぶ。
  

    
マドンナ様には虹色が似合う。
  

  
2010年ゲイ・ゲームはケルンなのだった。
「ここではゲイ・ゲームを応援しています」(で、いいのかな?)
  

  
ゲイバーに行ってみたくはあるけど、スケジュール的に無理があり。
  
ちょっとステキなものを手に入れる。
  

  
これは僕好み。
  

  

  
しかし、気分はあまり明るくない。まあ精神的引きこもりのせいが大きいのだけれど。
今回は3か国を強行軍で回っているのだが、ここに来るまえは、もっと厳しい国にいた。とはいえ自分の目で見たわけではなく、ただの聞きかじりに過ぎない。抑圧や差別の実相が、何も知らない旅行者に理解できるわけもない。ただ、何も姿が見えない、それだけだった。
だがそれを思い出して、そのギャップが辛いのだ。自由で、目に見えることが当たり前である社会が一方にあることを見せられると、むしろ「なぜ」と思ってしまっている自分がいる。そこにあるギャップに戸惑い、どう受け止めていいのか分からなくなっている自分に戸惑っている。
  
でもそれもみな、積み重ねられてようやく可能になったものなのだということも思うのだが。
  
  
ともあれ、この精神的引きこもり状態(仕事はしていますが)も、あと数日で終わる。そのあと、日本に帰ります。どうやって生活を再開することやら。
  

  
ここでも、あなたに会う。