AfterElton 「“Yowie!”:ボーイ・ミーツ・ボーイYAOI コミックのアメリカでのアピール」


米国のゲイサイトAfterEltonに、やおい(YAOI)に関する記事が載っている。

AfterElton.com − “Yowie!”: The Stateside appeal of boy-meets-boy YAOI comics


3部構成で、1,2はだいたい、こんな内容。

  • YAOI*1の基礎知識。
  • YAOIは本来女性作者・読者を中心とするジャンルであるが、ゲイのセクシュアリティを無視せず、登場人物をゲイとして描く作品もある。そういう作品の紹介。


第3部の「Female and Gay Male YAOI Readers: Whose Genre Is It, Anyway?
(YAOIの女性読者とゲイ男性読者:ところでそれは誰のためのジャンルなのか?)」
が面白かったので、ざっくり訳してみる。


この部分は、YAOIの主な担い手である女性作者・読者と、ゲイ男性読者の対立点に触れている。


日本でも、やおいやBLの男性同性愛表現は、しばしば問題にされてきたと思う。
ここで上がっている対立点とは、YAOIの同性愛関係がしばしば異性愛関係のコピーのように見えること、「YAOIと同性愛は違う」という主張などで、これはやおいやBLを批判するときに、日本でもしばしば言及されていることではないかと思う。が、ここで僕が面白い、と思ったのは、YAOI に対するこうした批判が、それを嫌う・批判的なゲイからではなく、YAOIを愛好し、「自らのストーリー」として読むゲイのファンによってなされている、という点だ。


やおいやBLは現実のゲイ・同性愛とは違う」という主張は、僕もときどき見てきたと思う。
そしてそれは、自分たちの娯楽としての男性同性愛表現を「現実の同性愛」から切り離すことで、ゲイに対し「表象上の搾取」をしない意志を示そうという、やおいBL当事者のまじめさの表明なのだろうと考えていた(全然違うかもしれない、とにかくゲイと関わるのがイヤでしょうがないだけかもしれない)。
が、なんとなく違和感も感じていた。
男同士の恋愛関係や肉体関係を描きながらそれが「男性同性愛ではない」というのは論理的に変だと思うし、現に「ゲイ」「ホモ」という言葉が使われたり、カミングアウトやHIVホモフォビアといったゲイ・イシューが登場する作品もあるのに、それが「現実の男性同性愛とは無関係」はいくらなんでも無理がないか、と感じる。


もう1つ、「やおいやBLは”現実”の同性関係とは別物なんだ」と線引きをするのは、やおいやBLを「同性愛のストーリー」として読んでいるゲイやクィア男性を排除することにならないか、とも。


AfterEltonのYAOI論は、あくまでゲイ視点である。やおいBLの当事者である腐女子からは違和感があるかもしれず、なんでゲイが私たちのモノに文句つけてんだよ、我が物顔に振る舞うんだよ、と思われるかもしれない。
でも、「ところで誰のためのジャンルなのか?」と素朴に問うてみる、つまりYAOIが「女性のものでゲイとは無関係」という枠を取っ払い、ゲイをやおいの批判者ではなく、読者でもありうると考えると、同じ問題も違ったふうに見えてくる、という、ひとつの例ではないか、と思う。
まあ、異論の出る内容かもしれず、僕には判断できないが、海の向こうのやおい/ゲイ事情が参考になるかならないか、とりあえず頭の中にクリップしておこう。



YAOIの女性読者とゲイ男性読者:ところでそれは誰のためのジャンルなのか?


上述のような例[ゲイ・キャラクターを登場させる例]があるとはいえ、YAOI作品の多数派はゲイとアイデンティファイされるキャラクターを登場させず、むしろただ1人の男性に性的に惹かれるキャラクターを描く。このジャンルは概してゲイ・イシューに取り組もうとはせず、むしろ異性愛関係に支配的でよく取り上げられるテーマを、非現実的な、切迫感のないやりかたで追求しようとしている。異性愛関係に固有の男性的/女性的な二分法が根底にあるために、多くのゲイ男性にとっては疑問視したくなるようなテーマや発想が出てくる。


1つ欲求不満を抱かせるのが、 YAOIに一般的な攻め/受けの紋切り型表現だ。多くのYAOIのストーリーは、主役のカップルを攻めと受けに分ける。攻め(attacker)はより男性的でー外見や所作が受け(receiver)よりアグレッシヴだ。受けは、通常より女性的な外見で、より感情的で慈愛深い。ひどいときは、この紋切り型表現は、ゲイのカップルの関係では一方が「男性」、他方が「女性」であるかのように示す。
この、多くのYAOIにコアな、同性ロマンスについてのどちらかというと空想的で非現実的な見かたは、YAOIの女性作家と、このジャンルがセクシュアリティを歪曲的に単純化していると感じているゲイのファンの間に、摩擦を引き起こしてきた。


そのような衝突の1つは、コミックス販売者でブロガーのChristopher Butcher(ブログComics 212)が、もっとも有名な YAOIシリーズの1つ『Kizuna』を描いたこだか和麻(公式サイト)のジャイアント・ロボット・インタビューを引用したときに起こった。自身の作品とゲイ・カルチャーのつながりについて訊ねられ、コダカは「わたしのマンガはYAOIであって、同性愛ではありません。その2つの間には微妙な違いがある…それはキャラクターたちがどのように感じ、最終的に愛を手に入れるまでどのようにもがくかを描いています。この物語は、普通、登場人物たちが感じる痛みとお互いを求める気持ちを描いているもので、これはより女性的な感性です(“My manga is YAOI, not homosexual, and there’s a subtle difference between the two … It’s about how the characters feel and how they struggle to obtain love until it’s finally achieved. The story is usually about the characters’ feelings of pain and longing for each other, which is a more feminine sensibility.”)」。ゲイの読者はコダカのコメントに怒りを示した。このコメントが、ゲイ男性の関係は、彼女のストーリーの主人公たちのように愛に基づいていないと暗に言っているように解釈されたのだ。彼女の女性ファンたちは、すぐさま彼女の言葉を擁護した。
[※この議論は、英語YAOIファンサイトYaoi 911のエントリYaoiは女性だけのもの?(Should Yaoi Be Just For Women?)で取り上げられている。]


この議論は、YAOI読者の間にある不愉快な亀裂を明らかにした。一部のゲイ男性は、YAOIコミックスに見出される自身のセクシュアリティのイメージのリアリティは、ストレートのポルノにおけるレズビアン描写と同程度だと考える。他方、一部の女性ファンは、女性が男性にあれこれ言われずに自身のセクシュアリティを追及することが許されうる場を持ってもいいはずだと主張してきた。
確かに、正直な感触として、ゲイが直面する現実がYAOIに反映されていないことは、YAOIを現実逃避の理想的な材料にしうる。YAOIのキャラクターが同性愛関係を持つゆえの差別や拒絶にほとんど直面しないという事実は、これらの作品を、同性愛関係がショッキングでもスキャンダルでもない世界を垣間見るような気持ちにさせる。


たとえば。『Only the Ring Finger Knows』(神奈木智『その指だけが知っている』isbn:4199602038)では、ワタルとユウイチの高校のカップルの間で、婚約指輪を愛の証として買うことが流行っている。2人の少年はシングルなのだが、彼らが婚約指輪をはめているということが知れ渡る。このため2人に関するゴシップが流れるが、そうしたゴシップはどれも、ホモフォビックではない。そうではなくて、2人の少年がカップルだという考えは、他の少しばかり興味をそそる学校のゴシップと同様に扱われる。『Only the Ring Finger Knows』の世界は、男性カップルが異性カップルと少しも変わらないように見なされる世界であり、ゲイであるために学校で排斥されるという危険がない世界である。ホモフォビアの完全な不在は、それを多くのゲイが少年の頃にそうあってほしいと望んでいた世界にする。


たとえ彼らがゲイとアイデンティファイされていなくとも、YAOIの主人公たちは、他の男たちと恋愛関係にある男たちだ。多くのYAOI作品では、異性愛の登場人物たちは、物語の同性カップルに起こることを打ち明けられる親友か、煽る役に限られている。ゲイ男性は、逆の設定を見慣れていた?そこでは、彼らが、異性カップルが愛を見つけたり、自己状況の改善をはかる手伝いをするアドバイス役や相談役だった。しかし、YAOIでは、彼らは同性関係が中心の物語を見出すことができるのだ。


マンガがラディカルにコミックス読者のありかたを変えるまで、ゲイ男性の関係に焦点を当てたコミックスは、小さな隙間市場に限られていた。YAOIの登場とともに、そうしたストーリーは特殊コミックショップの片隅から多くの書店の 目立つ書棚に移動した。このジャンルがゲイのファンにとって問題のある要素を持つとしても、YAOIの成功は、ゲイ男性のコミック読者が、彼ら自身の生、あるいは彼らが欲しいと思う生が反映されたコミックスに出会う、より多くの機会を持つことを意味するのだ。


※記事中に登場するYAOI作品の日本語原題を、ブックマークで教示いただきました。ありがとうございました。

*1:やおいと言っているが、日本ではBL、ボーイズラブとされる作品を指しているようだ。とりあえずここではそのままYAOIとしておく。