Prensa Latina(Latin American News Agency)ージョグジャカルタ原則国連公布式報道〜「選べる」「選べない」の問題


「性的指向と性自認の問題に対する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則」


11月7日に国連本部で開催された、ジョグジャカルタ原則公布式
このエントリでも見たように、ジョグジャカルタ原則支持のパワーの1つの流れは、ラテンアメリカから盛り上がっているようです。国連公布式は、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイラテンアメリカの3カ国の共催を得て行われました。


ここで紹介するのは、ラテンアメリカ系のニュースサイトPrensa Latina(Latin American News Agency)で見つけた、国連公布式についての簡潔なレポート(11月8日)です。
Prensa Latina - UN Debates Free Sexual Orientation


どんな報道でしょうか?う〜ん。
恐らく、かなり、批判的です。
まあ、見てみましょう。



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国連、自由な性的指向について討論
UN Debates Free Sexual Orientation


国連、11月8日(Prensa Latina) アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ政府は、国連本部で性的指向性自認を選択する個人の権利についての国際討論を提案した。木曜日、そう報道された。


同性愛者に対する差別撤廃の要求は、国連と、これらの人々の権利を擁護するNGOに支援されたあるパネルのもたらした結果の1つである。


この会議は、国連総会第3委員会のさまざまな討論と平行して行われ、それにはアルゼンチン外務省人権局長Federico Villegas Beltranの講演が含まれていた。


この官僚は、ある学術的な討論で示された、性的指向や好む性自認を選ぶ権利に関する一連の原則があると述べた。


この外交官にとっては、人種・民族・宗教的な典型的差別についての多年に及ぶ進歩ののち、「今や、国連とすべての加盟国にとって、性自認性的指向に対する差別との戦いを意識すべき時である」。


このパネルは、「性的指向性自認の問題に対する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則」についての討論に焦点が当てられた。


ジョグジャカルタ原則は、いかなる人間も彼らがどのような外見をし、誰であり、誰を愛するかということを理由に、暴力や差別に苦しめられてはならない、という事実を強調している。
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「どこが『かなり、批判的』?」と思ったでしょうか。
一見、とてもニュートラルな叙述に見えます。
でも、違いますね。ここです。



性的指向性自認を選択する個人の権利についての国際討論(an international debate about the individual right to choose sexual orientation and gender identity)


性的指向や好む性自認を選ぶ権利についての一連の原則(a series of principles about the rights to choose sexual orientation or favorite gender identity that were proposed in an academic debate.)


ジョグジャカルタ原則にニュートラル、またはポジティブな関心を持っているなら、こんなことを言うはずはないと僕は思います。


まず、(当ブログの一応仮訳序文を読んでもらえば分かりますが、)ジョグジャカルタ原則は、「好む」性的指向性自認を「選択する権利」についての原則ではありません。
法の前の承認、生命の安全から、就労・医療・住居・教育・表現の自由などのすべての社会生活において、あらゆる性的指向性自認の人間に平等な権利を保障しなければならない、と言っているのです。
性的指向性自認を自分の「好み」で「選択」できるか、してもよいか否かということは、一切関知していません。


むろん、セクシュアリティは、自分に快適な生きやすいスタイルを、好きに選択することができるものでもあるでしょう。ジョグジャカルタ原則は、結果的にそれも保証するでしょう。


しかし、それは別にジョグジャカルタ原則の主旨ではない。


つまりこの記事は、ジョグジャカルタ原則の報道としては、どうかと思うほどその主旨を曲解して書いています。
もっとはっきり言わせてもらうなら、ジョグジャカルタ原則が平等な権利を保証しようとするセクシュアリティの多様性を、「選択か否か」の議論に引っ張り込もうとしているのがあからさまであるように、僕には思われます。



多様なセクシュアリティに対する平等が人権の問題として論じられている今、それに反対する立場が問題にするのは、「セクシュアリティは人権の対象になるか」=「セクシュアリティは人種や民族や性と同じに尊重されるべきか?」であるようです。
そこで、「少数の性的指向性自認(同性愛・バイセクシュアル・トランスジェンダー)は、他にどうしようもないやむを得ない自然の所与の状態か?」を問うてきます。


以下に挙げるのは、ジョグジャカルタ原則にも反対・批判的主張をしている家族問題NGO、Family Watch Internationalのニューズレターです。先日、さまざまな問題を抱えたまま米連邦議会を通過してしまった雇用反差別法ENDA*1についての批判記事ですが、ここに見えるのも、「LGBTの人権を認める」ことに対する対抗言説の典型です。



Family Watch International News Letter - 4/10/2007 - When “Nondiscrimination” is Too Much of a Good Thing


提出された連邦法で定義されている「同性愛、両性愛または異性愛」という「性的指向」は、人種・性別・年齢のような生来かつ不変の性質ではない。これは行為の性質だ。人間は、自分の性的指向を変えることができるし、頻繁に変えている。誰もその人種や年齢を変えることはできない。
“Sexual orientation,” which is defined in the proposed federal legislation as “homosexuality, bi-sexuality or heterosexuality is not an innate and immutable characteristic such as race, sex, or age. It is a behavioral characteristic. People can and frequently do change their sexual orientation. No one ever changes their race or their age.


性的指向は「変えられる」のだ、
個々人の「振る舞い」や「好み」の問題だ。
だから、「権利」ではない。
人間の好み(preference)は、法が保護するものではない。


それが、彼らの主張です。


この主張の背景には、
「人間は、『異性愛者』であり、生まれた身体の性別に順応して生きるのが本来のあり方である」
「同性愛者やトランスジェンダーとして生きることを選んでいる人間は、『異性愛者』『ネイティブの男/女』であれば順当に享受できる権利を、自ら放棄している」
という考えが見てとれます。


恐らくこれは「LGBTの人権」への一番オーソドックスな対抗言説の1つとして、ジョグジャカルタ原則にもつきまとってくるでしょう。いや、現につきまとっているわけですが。
しかし、繰り返しますがジョグジャカルタ原則には「生来」か「趣味」か、ということは何も書いていないので、この主張でジョグジャカルタ原則を退けようとすると、原則が何を書いているかは無視するか、触れない、ということになります。
ですから、上のPrensa Latinaの記事のような「曲解」が生まれたのだ、と、僕は思います。


しかし。
そもそも、人種差別や民族差別や性差別の克服は、「人種や民族や性が不可変のものだから」行われたんでしょうか。
違うでしょう。
まず、「差別があったから」でしょう。
ある人種や民族が、他の人種や民族により差別され、人間がある人種や民族に属するというだけの理由で、さまざまな人生の機会を最初から与えられず、しばしば安全さえ脅かされて、ヴァルネラビリティに押しつぶされていなければならないという現実があったからでしょう。


「生得の不可変のものである」ことを平等と人権承認の根拠とする人たちは、人種や民族や性が可変的なものだったら、「黒人は白人になれば差別されずに権利を享受できる」「ユダヤ人は改宗してキリスト教徒になればいい、それで無問題(実際、歴史の中ではしばしばそれが強制されたわけですが)」「女は男に性転換すれば機会に恵まれた」と考えているのでしょうか。
人間はすべからく強く支配的な人種・民族・性別になることを目指せ、それが社会のあるべき姿だ、とでも言ったのでしょうか。


そもそも、「人種」だって「民族」だって、そのカテゴリーの定義と境界は極めて曖昧で、多分に歴史的な所産として変化してきたものです。アメリ奴隷制時代のワンドロップルール(1滴でも黒人の血が入っていれば黒人と見なす)のような無謀な規則は、人種の境界の法的な設定が、そもそも不自然だったことを示しているでしょう。


そういう歴史を人間の恥と思えばこそ、差別の克服にあれほどの努力が払われ−今も払われ続けているのではないのでしょうか。
しかし残念なことに、性的少数者を有形無形に差別することは、まだ多くの人にとって「恥ずべき行為」だとは思われていないようです。



とにかく。
国連本部でジョグジャカルタ原則の支持を買って出た3国が属するラテンアメリカのニュースメディアで、このような「暗に批判的」な記事が出るというのは、問題を取り巻く状況は易しくないと感じさせます。


前のエントリで、LGBT人権問題でブラジルの活躍が目覚ましいようだ、と触れましたが、こうしたブラジルの行動は、かねてより保守系メディアの非難の対象になっています。

LifeSiteNews - 12/12/2006 -ブラジルがバックアップする条約は南北アメリカで同性セックスを「人権」にしようとしている (Brazil-Backed Treaty Seeks to Make Homosexual Sex a 'Human Right' in North and South America)


ジョグジャカルタ原則は、この先も、楽な道を進むとは言えないでしょう。

*1:ENDA問題については、デルタGさんの消されたトランスジェンダー参照。