「日本文学の中のレズビアン表象」
3ヶ月も前の情報だが−
2007年度日本女性学会大会
(6月9日(土)・10日(日)於法政大学市ヶ谷キャンパス)
第6分科会
渡辺みえこ「日本文学の中のレズビアン表象」
村上春樹のベストセラー、『ノルウェイの森』の重要な影の破壊者、レズビアン少女について、また二人の女_性の性愛をめぐる物語『スプートニクの恋人』の分析。村田喜代子の『雲南の妻』の女性婚の関係はなぜ続かなかったのか、雲南の母系社会と女文字、中国女工間の同性愛・金蘭契などの問題を考察。金原ひとみ『アッシュベイビー』のレズビアン表現、サド・マゾヒズムの性愛などをめぐって。
どんな内容だったんだろう。いずれ論文として発表されるのだろうか?
村上春樹のレズビアン表現は,実は前から気になっていた。彼は、この研究発表で取り上げられている2作品で、いわば「陰」と「陽」の2種類のレズビアンを描いている。
『ノルウェイの森』(isbn:4062748681)では、ほんの一場面だが、いち登場人物の人生を破壊する「敵」「他者」として、レズビアンが登場する。悪魔的なセックス・テクニックで異性愛者の女性を誘惑する13歳の美少女(?!)、「皮膚をはいだら中身は全部腐肉」とまで言われている完全なモンスターである。
ネットで見られるこの小説の感想では、この部分は「なまなましい」「官能小説みたい」と、あまり評判が良くない。が、なぜレズビアンがこのように描かれているのか、ということへの疑問は、さほどないようだ(レズビアンへの偏見を広めているから嫌だ、という感想は1件見かけたが)。
『スプートニクの恋人』(isbn:4062731290)では、一転、レズビアンは主人公が恋する女性として登場する。
この小説は『ノルウェイの森』の「愛しても結ばれることができない」をはじめとするさまざまなテーマを反復、はっきり言えば焼き直しした作品だが、『ノルウェイ』では恋人のAセクシュアル状態を原因としていた「愛しているのに結ばれない」の発展型として、「レズビアンの恋人」が登場する。
『スプートニクの恋人』は、「人間は愛し合っても結局出会うことない人工衛星のように孤独に漂い続ける」ということを語っている小説だと思われるが、「愛しても決して近づけない究極の存在」が、(異性愛男性である村上春樹にとっては)「レズビアン」なわけである。
ゆえに、こちらも異性愛者男性にとってのレズビアン・イメージであり、恐らく女性同性愛を取材したわけでもなければ(レズビアンは耳の骨の形が違う、という学説は出てくるが)、レズビアンを読者として想定しているわけでもないだろう。
両方とも、(佳作かどうかはともかくとして)海外で翻訳も出ている現代文学の「ビッグ・ネーム」の作品であり、レズビアン/バイセクシュアルによる批評があってもよいと思うのだが、寡聞にして知らない(あるのだろうか?)。
この研究発表では上記のような部分がどのように読み解かれていたのか、興味がある。
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