玉を磨く


しばらくあまり語る気にはなれなかった。直後に相方と「ああ…」と唸り、その後連絡を取ったゲイ友とも「残念だ」とは言ったが、それ以上言葉も見つからず、突っ込んで考えるには気力を要するな、と感じていた。いつも見ているさまざまなブログを読みながら、ただなんとなく考え込んでいた。


きのう職場で、週明け始めて顔を合わせた同僚(僕がゲイだと知っている)に言われた。「残念だったね」
同意しようと口を開いたとき、やたら大きな溜息が出た。−「ああ、残念だった」


「もっといくと思ってたんだけどなあ」
彼も比例区尾辻かな子候補に投票した。僕のささやかな友人関係の中では、ゲイだけでなくノンケも尾辻さんに投票した、という人がけっこういる。言っておくが、僕が宣伝をしたわけじゃない。変化が起きる勢いがついているなら、起こすべき変化の一つ、と考えた人は、多くはないだろうが、たぶん少なくもなく、いたのである。


尾辻さんの得票数がラインを大幅に割ったことが、同僚は意外そうだった。彼の意外そうな視線が、僕にはいささか苦しかった。なぜか?ということははっきりしていた。同性愛者が投票しなかったのだ。


いろいろな理由があっただろう。政治活動への抵抗、選挙運動方法への抵抗、尾辻さんが同性愛者の間でも知名度が低かったこと、比例代表のシステムについての知識が混乱していたこと。だがどんな理由があれ、尾辻さんが議員になることに納得する人の数が、議席獲得ラインにまで達しなかったのは、明瞭な結果だ。


僕は、大いに納得していた一人である。「同性愛者の問題」を「特殊な問題」と考え、「『国政』全体とどう関係がある」と問う主張は、さかんに聞かれた。だが僕は、尾辻さんがたえず同性愛者だけでなくさまざまな少数者を視野に入れた「多様性のある社会」を強調をしてきたのに共感したし、少数者の問題を「特定集団だけの権利問題」にしておかず、社会全体の問題として展開することのできる人だと感じていた。
結婚制度にしろ、家族制度にしろ、このヘテロノーマティブ社会(「異性愛」のみを正常と見なすために、同性愛やマイナー・セクシュアリティを周縁化する社会)全体の枠組みを考え直し、改善していくことは、その束縛に不自由さを感じている多数派の人びとの立場の改善にもつながる。選挙運動でインパクトのある直接的な公約にはしにくいが、大切な姿勢であり、無視していいことではない。僕は「同性愛の問題」を社会全体の問題に属することではないと考えたことは一度もない。


「政治でなにが変えられる」という意見も多かっただろう。もちろん、政治で変わるものは、ごく特定の、制度的なことだけだ(人の心が政治で直接的に変えられたら,恐ろしいことになる)。だが、制度、保障、教育に関する法規、それは政治でしか変えられないのだ。
国会に性的少数者の問題の専門知識がある議員がいる、というのは、必要なもののごく一部だろう。そして変化は、とてもわずかなものの大量の集積なのだ。


はっきり言ってしまうと、僕が考えてた(というか、今でも考えている)のは、「オープンリー・レズビアンの議員がいたっていいじゃん、世界各国でそうなってんだし」ていどのことでもあったりするのである。ごく自然な、当然の社会の姿として。
年齢に対する活動・業績から見て、尾辻さんは無能な政治家ではない。自分の年金のことはもちろん気になるが、尾辻さんの環境・災害問題での活躍も見たかった。こんな議員がいればいいな、と感じさせる人なのだ。
むろん、政党に縛らながら国政でなにができるかは未知数だったが、信頼して期待した(今もしている)。国会に出て支持されているのに何もできずにいたら、「みっともないからさっさと消えてくれ」と思うだろう。いいかげんなと言われるかもしれないが、有権者とは身勝手なものである。


全国区でレズビアンの議員候補が出る、ということに対して、同性愛者の間で起きたさまざまな反応は、やはりこの国で初めての経験だった。目に見えるかたちで具体的な実を結ばなかったにせよ、とても大きな意味があることだった。肯定(支持・賛同・好感)、否定(不信・嫌悪・疑問)、無反応(無関心)、すべてに大切な意味があった。


プロないしアマチュア(と、いう区別ははっきりしないのだが)の立場で長くゲイ・コミュニティについて発言を続けてきた何人かの論者たちは、可能性と現状の両方を見つめながら、疑問は隠すことなく、とても慎重に語っていた。やはりことの大きさを、強く意識しての姿勢だったのだろうと思う。単純な支持や、単純な批判は、声を大にして叫べる。そのなかにあった慎重な言葉が、強く印象に残った選挙だった。


一番大切なのは、否定的意見と無反応だろう。これは、これからも政治を仕事にしてゆく尾辻さんが、なによりも考えてクリアしてゆかなければならないことだ。そこを説得できなければ、当選するだけの支持を獲得できない、それを今回の選挙結果は示したのだから。


そして、尾辻さんに投票した、また彼女に投票したいと思っている僕が、考えてクリアしなければならないことだ。自分と自分の友人たちに、どんな将来を望んでいるのか。−選挙で自分の権利を行使するとき、誰もが考えていることにすぎないが。


もちろん、同性愛のライフサイクルにかかわる制度的な改善やそのための政治家など必要ない、ないほうがいい、という立場もある。「必要だ」と思う人と「必要でない」と思う人が存在しても、それが打ち消し合うわけではない、併存してそれぞれの方向性を追求してゆく、と考えたほうがいい(僕は政治には素人なので、戦略−それが必要な場があることも知っているが−より、自分がそれが正しいと思うことを考える)。
特に今の生活に不満はないが、自分に有利な制度があるなら利用する、という立場もあるだろう。
さまざまな立場が、見えたほうがよいのだ。そこで、何があればより可能性を拓くことになるのかが、見えてくる。


尾辻さんの今後の活躍を、見てゆこうと思っている。彼女には、タフな玉を磨くように、いい政治家になることを期待している。そして僕は遠回りしながら、イラつきながら、生き延びるためのさまざまな−偏狭な見かたに縛られない考えかたを見つけてゆかなければなと思っている。