コクトー「サフォの墓」
ボードレールのレズビアン詩について考えている今日このごろ、コクトーが同じく伝説のレズビアン詩人サッフォーに寄せた詩を読む。
ボードレールの「レスボスの島」は、たしかにサッフォーのヒロイックな生に共感を寄せた讃歌だ。だが、ロマンティックで悲劇的だからこそ感興をそそられる、というたぐいの、ヒロイックでも悲劇的でもない現実の生としての女性同性愛や「人」としての女性同性愛者など眼中にない「共感」だった。
コクトーは、レズビアンの元祖に祭り上げられ、想像力豊かな(おもに)男性作家・芸術家たちに散々に消費されてきた苦労の多い(?)「中途半端な女神」サッフォーを、ユーモラスに、あたたかく労っているように感じられる。
こちらのほうが僕はずっと好きだが、どうだろう?
サフォの墓
これがサフォの遺骨
ヴィナスよ、あなたが渚辺に
口開かせる生きた貝
あれをあんまり好きなのが
彼女の小さな咎でした。
彼女が海で消したのは
蝋燭形の炎(ひ)ではない。
由来未通女(むすめ)は花に似て
ほんのり紅い顔するが
サフォだけはそうでなく
鉄の火ほども紅くなる。
いまは冷たい灰ながら
この火がむかし市(まち)一つ
屠ったことさえあったのだ。
いや、そう言っては言いすぎだ。
ソドムを焼いた天の火は
その裏側へ落ちたのだ。
未通女よ、サフォは身をもって
君らに読み方、書き方を
教えてくれた恩人だ、
それかあらぬか彼女いま
愛する自分の竪琴の股にもたれて眠ってる。
神の世界にいま住んで
妙な響きの琴に跨(の)り
キューピッドとディアナにはさまって
中途半端な女神のサフォ
しずかないこいを眠ってる。
ジャン・コクトーのサイト(仏・英) Jean Cocteau