ガラスのクローゼット


いまさらだが、バディジェーピィの4月6日付ニュースを見てびっくりした(ニュースにびっくりしてばっかだな)。


バディジェーピィ―bjニュース―海外ゲイ雑誌「OUT」の表紙にジョディ・フォスター?




アメリカのゲイ雑誌『Out』の表紙にジョディ・フォスターが載った〜?!

カミングアウトしたのか?とうとう?!


そうではなかった、というのは、バディの記事を読めば分かるわけだが。
『Out』の特集とは、これだ。


Out.com-The Glass Closet


しかし、いいのかなあ、こんなことをして、と、僕は思ってしまった。
ハリウッドの「ガラスのクローゼット」―ある俳優たちがLGBTであることは「公然の秘密」「暗黙の了解」だが、当人たちがカミングアウトせず、見てみぬふりがされている現状―に対する『Out』の考えは、分かる。
日本にも、そういう俳優・アーティストはいーっぱいいる。
ゲイの情報ルートでは同性愛者だと「ほぼ確定」的な情報が流れ、なんとなく「お仲間」芸能人という感じでゲイ友のあいだの話題に上ったりしているが、結局のところ、本人の口から語られないかぎり、永遠に確証はない、「認定」できない―そういう芸能人が、何人いることか。
そうした有名人たちの中身丸見え(場合によっては、すりガラス)のクローゼットは、同性愛を公に目に触れるところでは「存在しないもの」としておきたい、社会意識の反映にほかならない。それをなんとかして打ち破っていかなければならない、それは分かる。特にハリウッドは、アメリカの保守性との戦いのシンボリックな場である、それも分かる。


だがそれでも、クローゼットでありたい、公に同性愛者だと名乗りたくない人の意志は、尊重しなければならないんじゃないだろうか。
それに、本人が語らない以上、フォスターがレズビアンだという確証はどこにもない。「異性愛者だ」と決めつけるのがおかしいなら、「同性愛者だ」と決めつけるのもダメなはずだ。


こういうサプライズも非難も、ジョディ・フォスターという人に対する(過剰な?)評価があるゆえなんだろうけど―その美しい存在をもって我らのアイコンたれという期待もあるゆえなんだろうけど*1―一番大切なのは、彼女自身の意志だろう。クローゼットもカミングアウトも、彼女自身の人生なのだ。


それに、レズビアン・ゲイであることを、恥じるというのではないが重要なことじゃないと考え、自分のパフォーマンスが「LGBTによるもの」と観られるのを嫌うアーティストもいる*2
もちろんゲイ・アート、クィア・アートの魅力というのもあるけれど、あれも結局人間の表現の一つなわけで、別にヘテロがやっても構わない。人間の表現力にはほんとうのところ、ゲイもヘテロレズビアンもないのだ。


「同性愛者と名乗らなければ自動的に異性愛者扱いを受ける」―この通念が問題なのだ。もちろん異性愛者は圧倒的多数派で、同性愛者は少数派なのだから、確率的にはそれで正しいことが多いのだろうが、それでも問題なのだ。
この通念こそが、自分は同性愛者だと口に出さない同性愛者のまわりに、クローゼットを作る。
社会が「誰だって言うまではゲイかヘテロか分からない」というコンセンサスを持つなら、たぶん、カミングアウトはたいした問題ではなくなる。
そして、「誰かが同性愛者であることは、誰かが異性愛者であることと同様、たいした意味があることじゃない」と分かっていれば、性的指向ごときで人の性格や芸術の質まで判断されるといったこともなくなる。
ゲイ俳優にはヘテロの役が回りにくくなるといった、バカげたこともなくなる。


だが、現状では、残念ながらそうではない。特に俳優やアーティストや有名人の場合(もちろん一般人もだが)、カミングアウトすれば「あちら側」に選り分けられ、カミングアウトしなければなんとなく「みんな」の中に留まる、そういう振り分けが働く。
ほんとうは、「みんな」は異性愛者も同性愛者も入っての「みんな」であるはずなのに。


やれやれ、頭が混乱してくる。


ガラスのクローゼットをガシャンとやってもらいたい気持ちは僕も同じだが、ジョディ・フォスターは、自分の性的指向に縛られない生きかたとパフォーマンスを選ぶ権利がある。


その一方で、日本のスレンダーで美人で演技派でもあるあの女優さんは、言われているようにレズビアンなのかなあ違うのかなあカミングアウトして答えを出してくれることなんてないのかなあと、つい思ってしまう。


どうも事態は面倒で複雑で、僕の頭では収拾がつかない。


波紋―?

NCR2―カミングアウトしないジョディ・フォスターをゲイ雑誌が非難
ABC振興会―専門誌OUTによるゲイ実力者リストにジョディ・フォスター&CNNキャスターの名前で波紋


追記:「アメリカ最強の同性愛者50人」?


さて、この「偽ジョディ・フォスター」写真が載った『Out』の目玉特集は、「パワー50:アメリカで最も力のあるゲイ男性・女性」。
アメリカで政治的・経済的・文化的に大きな力を持つ50人の同性愛者男性・女性の名をリストアップしたもので、これもウェブ版で読める。


Out.com- The Power 50: The Most Powerful Gay Men and Women in America


この企画、コメント欄をざっと見る限り、賛否両論、というか相当叩かれている。
ジョディ・フォスターが入っているぐらいだから、一部公にカミングアウトしていない人たちの名が堂々上がっているらしい。これにはドン引いた読者もかなりいたようだ。
「『Out』はアウティングで人を危険にさらすのか」「恥ずべきだ、信じられない」「ゲイは自らゲイと言わない限りゲイではないのに」
アウトがアウトした、と、シャレみたいだがシャレにならん!という非難叱責囂々である。


しかし一方、ほとんどのコメントは、誰が入ってねーぞ彼が入ってねーぞ偏ってんぞーもっとちゃんと作れーと、暢気なものである。
エルトン・ジョンは(アメリカが主な活躍の場じゃないから)入れないと断ってあるのに(「ごめんねエルトン」と謝っている)、「エルトン・ジョン入ってねーぞ!」って人が絶えないし。ちゃんと読めよ。


同号で「ガラスのクローゼット」批判をしているのだから、『Out』もおそらく分かってやっている、彼らが考えるポジティブな意見表明のつもりかもしれない。
ゲイ雑誌の記事は、大メディアへのアウティングとはレベルが違うかもしれない。
しかしゲイ雑誌だからこそ、アウティングへの倫理的な姿勢はきびしく問われる。
どう捉えればよいものやら。


4月10日また追記


AfterEltonもこのリストを批判していた。
4月3日付けの記事。
AfterElton.com-Has Out magazine ended the debate over outing?


アウティングの問題だけではなく、このリストの「有力な同性愛者」の人選が(フォスターやクーパーのような)話題性のあるネタに偏り、同性結婚制度推進の功労者などは無視した、そのいい加減さ、不徹底さを批判している。

Lists like thes always generate controversy over who is included and who isn't (hell, that's the whole idea) but frankly the list seems rather lame even without the "outing" issue. Oprah's pet designer Nate Berkus is more powerful than "Freedom To Marry" founder Evan Wolfson? Uh, don't think so. Berkus is great, but Wolfson is helping to drive the entire country toward same-sex marriage. Methinks Out was thinking more about eye candy when they made that choice and an issue this serious deserves a little more thought than that.


著名人をアウティングまでしてやるなら、その効果を、意義を徹底的に考えてやれ、ということだろうか?僕もこの批判には賛成だ。

*1:この『Out』の記事は、ジョディ・フォスターについて相当イヤミっぽいことを書いているが。

*2:たとえば、2006年秋、俳優イザイア・ワシントンの暴言で、カミングアウトを強制されたT.R.ナイトの言葉「私生活は公にしたくない一方で、僕がゲイであるという事実が僕の中のもっとも興味深い部分であるわけではないこともわかってもらいたい」北丸雄二World Index―こういう大臣のいる美しい国