ジョグジャカルタ原則と「家族」

「性的指向と性自認の問題に対する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則」


11月7日、国連総会でジョグジャカルタ原則の公布式が行われるって本当ですか奥さん?


ジョグジャカルタ原則の承認を、国連事務総長に求める署名を集めてるって本当ですか奥さん?



11月7日NY国連本部でのジョグジャカルタ原則デビューまであと2日(日本時間で)。一日一善一ジョグジャカルタ


の、はずだったのにッ!!!


昨日はサボってしまいました。



このところジョグジャカルタ原則の追っかけと化し、思わずりょうたのお友だちの「じょぐじゃかる太」と擬人化してみたい僕であります。毎日yogyakarta principlesを検索しては、
「やあ、相変わらずニュースが少ないね」
ジョグジャカルタ原則」と日本語でGoogle検索して
「相変わらず『こんなモノ許さん』の保守な方々かゲイジャパンニュースか俺のブログしか引っかからなくて、しかもいつも反対派がトップだねアハハハハ」


         ……(沈没)



今日は、ジョグジャカルタ原則に反対する主張について、考えてみましょう。


僕が見ているのはネットの英語メディアだけですが、ジョグジャカルタ原則には、2007年3月国連人権理事会(@ジュネーブ)での公表直後から、「認めさせるな」「警戒しろ」と非難反対の声も上がっています。


「反ジョグジャカルタ原則」、僕はまだそれほど押さえているわけではありません(ゲイの僕には「ゲイの両親より死んだ両親の方がマシだ」みたいな主張を読んでいくのは、結構シンドイものがあるので)。だいたい1つのソースから伝播している反対主張を、いくつか挙げてみましょう。


C-FAM(Catholic Family and Human Rights Institute):国連NGO(国連経済社会理事会と協議資格を持つ)のサイト。★のレポートが、他の保守メディアに伝播している(日本にも)ようです。
March 29/2007 −国連職員たちが性転換擁護の人権を要求する文書著わす(UN Officials Author Document Calling for Human Rights Protection for Sex Changes)
LifeSiteNews.com への転載CathoricWorldNewsへの転載


April 12/2007 - 国連特別報道官が人権委員会で宗教を攻撃し、過激な権利を促進(UN Special Rapporteurs Attack Religion, Promote Radical Rights at Human Rights Council)


Family Policy International - Family Policy Resource Center
※「家族問題資料」の1つとしてジョグジャカルタ原則批判「Yogyakarta Principles」(PDF)があります。

LifeSiteNews.com - 2007/10/30 - Government of Catalonia Joins International Homosexual Organization Associated with Pedophilia
※ILGAヨーロッパ年次大会へのカタロニア自治政府の参加を非難するとともに、ジョグジャカルタ原則も批判しています。


日本語のもの:
a)World Congress of Familiesの日本支部のサイト
World Congress of Families Japan−CFAM通信(March 29, 2007の通信)
※★の和訳を紹介しています。
b)日本会議首都圏地方議員懇談会のブログ
草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN−2007/4/1−児童の性転換、自由な性表現を要求する国連職員
※「国連通信」としてa)と同じ★の翻訳を掲載しています。
草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN−2007/4/8−ジョグジャカルタ原則
※上記に関連して、ゲイジャパンニュースの報道の転載です。
c)老兵の独り言− 今週の国連通信第24号
※「国連通信」の転載です。
d)日本会議地方議員連盟−2007/5/11−「家族の絆を守る会」設立総会盛大に開催ーご入会のご案内
※関連リンクとしてb)がリンクされています。



ジョグジャカルタ原則に反対する、つまり同性愛・トランスジェンダー異性愛・ネイティブと対等な立場の容認を拒む立場というのは、2つあるか思います(2つ以上あるかもしれませんが、特に目立つ傾向として)。


1)宗教または文化的理由で性の多様化の容認が不可能である。
2)性の多様性の容認は、「伝統的家族」を破壊する。


1)について。ジョグジャカルタ原則に限らず、性的少数者の権利の擁護に関する問題が国連で冷遇される可能性が高いのは、今さら言うまでもないことだけれど、国連加盟国には同性愛否定を「正しい」とする国が少なくないからです。
同性愛を法制度でなんらかの処罰対象にしている国は、50カ国以上にのぼります。
国連加盟国は全部で192カ国ですが、2006年の国連人権理事会「性的指向性自認に基づく人権侵害非難声明」に賛同した国は、54カ国だけでした(日本は賛同していません)。
性的指向(sexual orientation)」を理由とした人権侵害が初めて国連で取り上げられたのは2003年ですが、B.ウィテカー(中東イスラムの同性愛問題に詳しいGuardian.ukコラムニスト)はその時のパキスタン代表の発言を、次のように伝えています。
「これは我々の社会の根本的価値観に関する問題だ…これは、ある特定の価値観を別の価値観を持つ人々に無理強いしようとする試みだ」*1


こうした立場には、「固有の宗教・文化・信条はそれぞれ尊重されるべきだが、人権は普遍的であり、性的指向性自認による例外はない」ことをなんとか納得・共有してもらう、そのための対話を重ねるしかないのだろうと思います。



で、2)の「伝統的家族」ですが。
このブログで紹介した、特にアフリカのHIV/AIDS問題のためにジョグジャカルタ原則の普及を急務と考えるボリス・ディトリッヒや、アラブ・イスラムの同性愛問題に通じるB.ウィテカーは、どちらかというと1)を懸念しているようでした。


でも、欧米それに日本などでは、この2)が圧倒的に多いのではないか、という気がします。


僕が上に挙げたリンクは、完全にこちら側に属します。僕が純粋に聖書やコーランに立脚したジョグジャカルタ原則批判を見つけられていないせいもありますし、おおもとのソースが家族問題関係の保守的NGOから出ているせいもあるかもしれませんが。


1)と2)は、根本的に異なる主張、というわけではありません。アメリカのキリスト教保守やバチカンなどの主張で、大概の場合、1)と2)はセットになっていると想います。
が、1)が「聖書」「コーランイスラム法」など、「おのれに固有なものの主張」の立場に立っているとしたら、それはそれである意味潔い(?)気がします。しかし、2)は「(異性愛)家族」に「普遍的価値」を見いだし、それを脅かすものとして、同性婚をはじめとする性的少数者の対等な権利の容認に難渋を示す−ていうか、猛反対します。
1)が2)の口実になっているのか、どちらが大きいのか分かりませんが、言えるのは、こんにちでは言われるほど宗教はそれだけで同性愛者の存在や権利を否定する根拠にはなっていない、ということです。一番力を持っている「信仰」は、「家族」です。社会を構成する基本ユニットとしての(少なくとも近代以降の)「家族」のありようを変えない、それに関わるセクシュアリティの規範を変えない、それが同性愛やトランスジェンダーを認めない最大の根拠になっている。キリスト教保守の家族問題NGOジョグジャカルタ原則批判が、そのまま、まるごと日本の保守に受け入れられているのを見れば、「欧米キリスト教社会は同性愛に不寛容、日本は寛容」という認識は、ここではあまり意味を持たないことが分かると思います。


そういうジョグジャカルタ原則批判の性質は、日本語のリンクの方で簡単に読めますが、すぐに分かります。
盛んに繰り返されているのは、「子どもの性転換」「小児性愛」、ようするに、「子どもが危険に晒されている」です。国連NGOであるILGAは、すっかり「小児性愛(ペドフィリア)推進NGO」にされちゃっています。


ILGAのどの活動を指して「小児性愛の合法化を主張した」としているのか分からないので、それへの僕の判断は控えますが、ILGAに向けられた「小児性愛の合法化うんぬん」の批判を「なんとなく」ジョグジャカルタ原則にリンクさせている論調には、はっきりと反論しておくべきでしょう。


そもそも、記事の言う「ペドフィリア」という言葉は、「小児性愛」というセクシュアリティを指しているのか、「子どもと性愛行為をする」ことを指しているのか、曖昧で分かりません。
大人が子どもと性的関係を持つことは、僕は反対ですし法により規制されている状態が望ましいと思います。が、それさえしなければ、小児性愛指向じたいに何も問題はないと思います。小児性愛指向を持つことをダイレクトに子どもと性行為をする可能性に結びつけ非難するのは、謂れのないことです。
さて、ジョグジャカルタ原則でしつっこいぐらいに繰り返されているのは、「許諾年齢を超えたの個人の間の合意による性行為(原則4:生命に関する権利)」が非合法化されてはならない、ということです。未成年との/への性行為は認めていません。また、子どもの自由意志については、「その子の年齢と成熟度に合わせて重きをおかれる(原則24:家族を構成する権利ほか)」として、無作為に子どもにすべてを任せているわけではないし、「子どもに関するあらゆる行為と決定は、その子の最善の利益が第一に考慮される(原則24ほか)」ことが強調されています。むしろ、親や周囲の大人の判断で子どもが性同一性障害や同性愛の「治療」、インターセックスの手術を強行される危険を考慮した条文でしょう。
たとえ、マジョリティの異性愛家族の価値観が尊重されるべきという保守の人びとの主張に正しさがあるとしても(僕は、あると思います)、上掲の批判はジョグジャカルタ原則に目を通してもいない「煽り」でしかありません。


性的少数者異性愛者と同じ権利を認めることが、異性愛者の「伝統的家族」の存続を脅かすのか。
このエントリでも述べたことですが、両者にまるで関連性はないと僕は思います。
むしろ、同性愛やトランスジェンダーを否定する方が、傷つく家族を生み出しているのです。



先日、イタリアのトスカーナ州自治政府が同性愛差別撤廃のために作ったポスターが、批判を呼びました(QM'sさんが、関連ニュースを集めています)。新生児に「同性愛者」と書いたリストバンドを巻き、「性的指向は選ぶことができません」と書いたポスターは、「悪趣味だ」「引く」と言われました。
が、僕は、同性愛者・バイセクシュアルが「性的指向は生まれつきで選べない」と主張せざるをえなくなること、そうして自己防衛しなければならない立場に絶えず追い込まれねばならないことが、問題だと思います。


なぜ同性愛者やトランスジェンダーが生まれるのか、現代の科学では解明できません。僕が同性愛者であることが先天的なのか後天的理由によるのか、そんなこと分かりゃしません。分かっているのは、僕は同性にしか性愛感情も性的関心を持ったことがないしこれからもそうだろうし、それを何らかの手段で変更することは恐らくできない、やるだけ無駄だろう、と経験的に分かっている、それだけです。どの地域にも一定のわずかな割合で発生するそういう人間が、なぜそれだけで家庭や子どもを持つ権利を奪われ、その上で「次世代を作れない同性愛者は劣った存在だ」と矛盾したことを言われ、人間の尊厳を摩滅させられるようなヴァルネラビリティを植え付けられねばならないのか、それが問題なのです。


ジョグジャカルタ原則は、同性愛やトランスジェンダーの原因や正当性には一切関知しません。性的指向の不可変性や先天性に、同性愛を擁護する根拠を求めたりしません。
ただ、「「性的指向」とは、ひとりひとりの人間が持つ、異性または同性または複数の性別の個人に対し深く感情的・愛情的・性的に惹きつけられ、親密かつ性的な関係を持ちうる能力のことである」「「性自認」とは、ひとりひとりの人間が深く感知している内面的、個人的なジェンダーの経験」と定義し(序文)、その上で、「性的指向性自認は人間の尊厳に不可欠のものである」と宣言しているのみです。


僕がジョグジャカルタ原則をすごいと思うのは,この点です。


セクシュアリティの多様性の「是非や理由」は問わず、「いかなる性的指向性自認(もちろん、最大多数の異性愛者・ネイティブを含めて)にも、すべての人間に平等に人権はある」という理念のみにおいて、一点突破を計ろうとしているからです。


無謀なことをしているように見えるかもしれません。が、実のところ、性的少数者の人権と尊厳を本当に守ることができる方法は、他には存在しないのです。


ジョグジャカルタ原則の登場は、だからすごいことなのだ、と、僕は思います。


保守がジョグジャカルタ原則を恐れているとしたら、案外、ジョグジャカルタ原則を正しく理解していると言えるかもしれません。