玉野真路さんの「性の生物学」開講しました


玉野真路さんが、シリーズ「性の生物学」を開講(?)されました。

シラバス(?)
新装開店☆玉野シンジケート−シリーズ「性の生物学」はじめます

しょっぱなから面白いです。
第1回・性のはじまり?大腸菌の接合


玉野真路さん、僕が紹介するまでもないですけど。
生物学の先生で、科学技術評論家。
ゲイ・コミュニティのHIV問題に、科学者の立場から長く真摯な発言をしてこられた方、という印象が、僕にはあります。


サイモン・ルベイ『クィア・サイエンス』の共訳者でもありますね。

クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷

クィア・サイエンス―同性愛をめぐる科学言説の変遷


「なぜ人は同性愛者になるのか?」同性愛発生は科学的に解明しうるのか?
19世紀から20世紀にかけて次々に登場した、性的指向の原因をめぐる科学的言説。しばしば同性愛者に「治療」という名の暴力を振るった科学理論は何を明らかにし、何を明らかにできなかったのか。同性愛に関する科学言説の変遷と、同性愛者の権利にかかわる政治的・社会的な時代状況の相関を、科学者ならでは誠実さで辿った書。


玉野さんの訳者代表あとがきの一節を、引用してみましょう。

 本書には科学的根拠があいまいなまま、さまざまな科学理論が「[同性愛の(引用者補)]治療」に使われてきて、結果として同性愛者が重大な不利益を蒙ってきた事例が紹介されている。こうした事例を見るにつけ、同性愛者に科学が不利益として襲いかかることが今後もないとは限らないだろう、という予測を抱かずにはいられない。遺伝子や脳を操作する技術が開発されてくれば、それがゲイを「治療」する試みに使用されないという保証はない。ルベイのリベラリズムの立場を継承すると、そうした技術が開発されたといわれたとき、それを自分に適用するかどうかは、判断力のある成人であれば基本的に自分ということになる*1。(略)それゆえ科学的な考えに慣れ、社会通念にほだされて自分を傷つけないような知識を蓄えておく必要がある。またそうした技術の安全性が疑わしいまま、治療に適用されそうになったりした場合には、同性愛者のコミュニティとして,実験のモラトリアムを求める活動なども必要になるかもしれない。その際コンセンサス形成に参画できる主体が、あまりに特権的な知識を有している人だけだとすると、民主的な判断ができなくなる。そうしたコンセンサス形成に参画し、自分の身を守るために、科学に対する抵抗性をつけておく必要があるだろう。


玉野真路「訳者を代表して」『クィア・サイエンス』pp.346-347.


「男と女が生殖するのが正しい人間なんだよホモとかレズとかオカマみたいな欠陥品はミジメに引っ込んでやがれグガー」「うるせーこの異性愛中心主義者めヘテロセクシストめ性の多様性はとっくに自明なのに異性愛至上性別二元論にしがみつきやがって必死だなプギャー」
昨今とかく僕らはこうした主張の対立に明け暮れがちで(別に誰も明け暮れてませんか、そうですか)、その中で性やセクシュアリティの概念やイメージも、ひたすら多様な拡散の一途をたどっているようにも見えます。
ここで「性」に関する生物学の学説について、きちんとマジメな授業を受けてみるのもよいのではないでしょうか??

*1:引用者注:WHOは「国際疾病分類」(ICD)改訂第10版(1992年)で「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と宣言し、日本もこれを遵守している(参考)。しかし、仮に将来「同性愛者を異性愛者にする方法」が見つかった、ということが起きれば、「同性愛は『治療』されるべき」と主張をする集団は必ず出てくるだろう(現に今も絶えないのだから)。「(異性愛者になれるのに)好きで同性愛者をやっている」人間の冷遇など、性的指向変更を受け入れない同性愛者への社会的・心理的な圧力も、かけられてくるかもしれない。