Boris Dittrich「ジョグジャカルタ原則とMSM」


性的指向と性自認の問題に対する国際人権法の適用に関するジョグジャカルタ原則


約7ヶ月前、3月に公表されたジョグジャカルタ原則だが、その後の世界での反応はどうなっているのか。
実は、3月の公表のとき以来、この原則について、これといった関連ニュースや論説はない(笑)。*1


そんな中で、9月30日付の次の論説を見つけた。著者Boris Dittrich氏は、ヒューマン・ライツ・ウォッチのLGBTI問題関連のadvocacy director、自身のサイトBoris Dittrich.nlに掲載した論説である。


Boris Dittrich.nl - 09/30/2007 - The Yogyakarta Principles and Men having sex with Men.


この論説が興味深いのは、まず、ジョグジャカルタ原則のその後の推進について、最新のニュースを含んでいること(11月6日にNY国連本部で公表される)。それから、Dittrich氏は特にHIV/AIDS予防・治療対策という観点からMSMを取り巻く状況改善を強く訴えているのだが、そこでジョグジャカルタ原則の適用を実践していることだ。


Dittrich氏がこの論説で強調しているのは、HIV/AIDS拡大防止に必須なのは、「MSMを含む感染ハイリスクグループの人権の尊重」ということだ。
HIV感染ハイリスクグループを法的・社会的に差別・排除する環境は、感染者の検査・予防・治療へのアクセスを妨げ、HIV感染拡大を促進こそすれ、決して抑止することにはならない。

男性同士の性行為が偏見を持たれ、有罪扱いされている地域では、HIV感染のかかりやすさが劇的に増加している。

HIVに感染するような奴を抑えつけておけば感染は広がらない」とでもいうような意識は、感染の現実とは完全に逆であることを示すこの言葉は、よく肝に銘じておくべきだろう。
同性愛を処罰する刑法や、同性愛者に対するあからさまなバッシングがない日本では、あまり関係のないことに思われるかもしれない。
けれど、HIV検査を受けに来た時点ですでにAIDSを発症している「いきなりエイズ」の割合が都市周縁部で圧倒的に多いという現実は、大都市と地方での検査体制の整備の差、そしておそらく検査に対する意識の差が、HIV/AIDS拡大の状況にダイレクトに反映されているのだ、ということを示している。HIV感染予防対策へのジョグジャカルタ原則適用の有効性は、日本でも考えられることじゃないだろうか。


※以下の仮訳は、紹介・参考のためのもので、著者からの許可を得た翻訳ではありません。転載等はされず、参照の際は必ず上記リンクの原文をごらん下さい
※10/14追記:記事を訳したむね著者にメールで報告したところ、ブログでの公表は構わないとの返事をいただきました。しかし、やはり正式な許可を得た翻訳ではありませんので、ご注意下さい。


Boris Dittrich
ジョグジャカルタ原則とMSM
The Yogyakarta Principles and Men having sex with Men.


はじめに Introduction.

性的指向性自認についての、革新的な文書が発表された。それはジョグジャカルタ原則と呼ばれる。2006年11月に弁護士と人権法専門家のグループが集まったインドネシアジョグジャカルタ市にちなんで名づけられたものだ。彼らは性的指向性自認に関する現行の人権のすべてを成文化した。その時まで、このような文書は存在しなかったのである。男性と性行為を持つ男性ー以下MSMと呼ぶーやトランスジェンダーのような集団の権利は、さまざまに異なる条約や法体系の中に、一貫性なく分散していた。この編纂を求めたのは人権高等弁務官 Louise Arbourであった。国際法学者委員会(ICJ)がこの文書を起草した。


ジョグジャカルタ原則が革新的なのは、世界でゲイ・レズビアンバイセクシュアル・トランスジェンダーインターセックスの置かれた状況が、いかに悪いかを目に見える形で示したことである。世界の多くの国々が、人権について口では調子のよいことを言う。が、ジョグジャカルタ原則に向き合ったとき、彼らはしぶるか、時としてあからさまに敵意を示す。「人権がああいう種類の人間たちに適用されるとは予想していなかった」と。そのように言いつつ、これらの国々は、人権が普遍的、不可分一体的、相互依存的であることを無視するのだ。人権はすべての人間にある。LGBTIコミュニティにもしかりである。


原則は29ある。生命に関する権利、公正な裁判、拷問からの自由にはじまり、思想と表現の自由、難民保護を求める自由、家族を構成する権利にまでいたる。29原則はみな、政府その他の事業受容者がいかにしてこれらの権利を履行するかという勧告を伴っている。


2007年11月6日、ヒューマン・ライツ・ウォッチと他数団体のNGOは、ニューヨークの国連でジョグジャカルタ原則の始動を組織する。ブラジルとアルゼンチンは、この始動式の司会を、できればあと2カ国とともに勤めることを承諾している。これはジョグジャカルタ原則がニューヨークで全国連加盟国に紹介される、最初の機会となる。これは、この原則があたたかく受け入れられることを期待して良いことを意味するだろうか?
否である。


世界の同性愛嫌悪 Homophobia in the world.

タンザニアの例を挙げたい。私は、タンザニア代表団に、ニューヨークの国連本部でジョグジャカルタ原則について話をするよう招かれた。とても感じの良い女性が人権問題を担当しており、私を会議室に案内してくれた。彼女が最初に言ったことはこれだ。「同性愛はタンザニアでは違法です」。それから私たちは席に着いた。彼女は説明した。「タンザニアには、男と性行為を持つ男性はいません。それは私たちの宗教・文化・伝統に反します」。私は彼女に、ダール・エッサラームでゲイ男性に会ったことがあると語った。彼女はそれを信じなかった。「その人たちは旅行者かアラブ人男性だったに違いありません。インド人かも。でも、タンザニア出身の黒人男性は男性と性行為を行いません」。彼女は私に、同性愛を有罪とする法律が最近改正されたと語った。男性同性愛者のみならず、レズビアン女性も有罪となったのである。同性愛に対する反感がどれほど強く感じられているかということを私に説明するために、彼女は自身の母親の例を出した。彼女の母親は、彼女と一緒に数週間ニューヨークに滞在していた。彼女がその朝、その日はあとで私とのミーティングがあると言うと、母親は強く反対した。「神様、我が子をお護り下さい。どうかそのミーティングの後は手を洗っておくれ」。


同性と性行為を持つ男性ーMSM Men having sex with Men *MSM*.

この会議のテーマに話を戻すが、私たちが男性と性行為を行う男性または女性と性行為を行う女性の生活の改善を試みているのは、それがHIV|AIDS問題と関わりがあるからだ。
HIV/AIDSのリスクを持ちながら、顧みられていない主な集団は4つある。MSM、セックスワーカー、注射器によるドラッグ使用者、そして囚人である。多くの国で、これらの集団は一般人よりHIV感染の普及率が高い。彼らは感染するリスクがより高い行動をとっているからだ。また彼らは、社会のさまざまな集団に対し、もっとも周縁化され、差別される集団に数えられる。また同時に、これらの集団のHIV予防と治療・介護に充てられるリソースは、HIVの流行に見合っていない−リソースの深刻な管理ミスが起きており、基本的人権の尊重が行われていないのである。


原則17
原則17は、得られる限りの最も高い水準の医療を受ける権利である。それによれば:
「すべての人間は、性的指向または性自認を理由とする差別を受けることなく、得られる限りの最も高い水準の身体的・精神的健康に関する権利を持つ。性と生殖の健康は、この権利の基本的な要素である。」

これに9の勧告が続く。
注意せねばならないことは、MSM、セックスワーカーおよびその他の弱者集団は、HIVを含む、自身の生命を左右する意思決定のプロセスで、大抵の場合十分に自己表現できず、声なき状態にあるということだ。彼らがこの感染症にかかわり合っているところではいまだに、彼らはしばしばそれに関して極めて巧みに演技をしてきている。タイ、ブラジル,オランダが良い例だ。
ウガンダの例を挙げよう。ウガンダHIV/AIDSとの戦いへの取り組みで広く評価されているアフリカの国である。しかし、MSMについて語ろうとすると、話は違ったものに見えてくる。数週間前、あるLGBTI-NGOウガンダで公に登場した。彼らは同性愛をソドミーとして違法とすることに反対した。彼らのスローガンは「私たちをそっとしておいてくれ」であった。その結成式のまさに翌日、カンパラで大規模デモが行われた。人権・差別撤廃副大臣は会合で演説を行い、「我々は同性愛者を逮捕しようとしている」という意味のことを述べた。のちに、新聞Red Pepper紙上に同性愛者の名前と住所が公表された。

原則6
これは、原則6、プライバシーの権利に対する明白な違反である。プライバシーに関する権利には、通常、故人の性的指向または性自認に関する情報の秘匿・公開の選択の権利が含まれる。原則は、国家に対してだけではなく、メディアのようなその他の行為者にも向けられているのである。


MSMと健康管理へのアクセス MSM and access to Health Care.
このような風潮の中で、MSMが注意深い医療を求めることは非常に難しい。彼らの予防の必要が無視されていることは、HIV感染経路に深刻な影響を及ぼすことになるだろう。男性同士の性行為が偏見を持たれ、有罪扱いされている地域では、HIV感染のかかりやすさが劇的に増加しているのである。多くのMSMは、女性とも性行為を行う。彼らは妻の健康をもリスクにさらすのである。
上記の副大臣は、MSMについての自身の見解を他の新聞the Nation紙に発表した。曰く、「同性愛者にはウガンダを出てゆくよう命じる」。このような風潮では、MSMがその性的な感情について語ることなどないと考えるのが論理的である。彼らは人目につかなくなり、それゆえAIDSワーカーが彼らと連絡を取ることは困難になる。
その他の、差別がそれほど強固ではないセネガルのようなアフリカ諸国では、MSMの間でのHIV感染度の高い割合が記録されている。
UNAIDSリポートによれば、現在の指標は、世界的に見てわずか9%のMSMしか必要とするHIV予防・治療サービスにアクセスできていないことを示唆している。


刑法
合意の成人の間での特定の私的な性行為を禁じる刑法ー姦通、ソドミー、密通、自然・社会秩序・道徳に反する行為といったもの−さまざまに名づけられうるが−は、多くのMSMがHIV予防情報・必需品・治療・介護にアクセスする可能性を深刻に制限している。法的または社会的制裁に直面して、MSMは同性愛者と思われることを恐れて、性的な健康管理と福祉の機関から閉め出されるか、自ら入ろうとしない。そうすれば、有罪判決と懲役に直面することになってしまう。
原則2
これらの刑法は、ホモフォビアを反映している。これらの法は、すべての人間の治療へのアクセスを実現させようとしている、効果的なHIVへの対応を阻む主たる障害だ。これらの法は、原則2、平等と差別を受けない権利に明らかに違反する。

こうした法は、ただちに廃止されねばならない。私は、HIV/AIDS問題と援助の拡大に主に貢献を見せているオランダなどの国々に、それらの国々と友好関係を通し、刑法の廃止へと影響力を行使してくれるよう呼びかけたい。同性愛は全世界で脱犯罪化されねばならないのである。

原則4
サウディアラビア、スーダン、ナイジェリア、パキスタン、イランの法律は、MSMによる性行為に死刑を科している。これらの法は、原則4、生命の権利への違反の明白な事例である。
原則4によれば、「何人にも、許諾年齢を超えたの個人の間の合意による性行為、または性的指向性自認を理由に、死刑を科されることがあってはならない」。刑法がもたらす破壊的な影響として、一部の国で「同性愛を推進する」と呼ばれるものが禁じられているということがある。これらの法は、コンドームなどセイファーセックスのための道具の流通を妨げてきた。あるいは、セイファーセックスの推進活動や技術指導を阻止してきた。これらの問題に取り組むNGOさえも解散させられ、NGOスタッフは同性愛を推進しているという理由で告発された。このため、多くの人間の生命がリスクにさらされているのである。


結論 Conclusion.
MSM、セックスワーカー、静脈注射によるドラッグ使用者、囚人のような弱者に手を差し伸べるには、これらの集団の人権が尊重されていることが最も重要なことだ。
成人の間での私的な性行為をソドミーや不道徳を理由に犯罪とする法律は、ただちに廃止されねばならない。
これらの法律は、HIV|AIDSの被害を被りやすい人々のための効果的な情報提供、予防、治療、介護を妨げる。
MSMを有罪とする法律は、HIV感染とAIDSによるさらに高い死亡率に貢献するのだ。
支援国は、MSMを有罪とする法の存続を認めてはならず、そのような法を有する国々との友好関係を通じ、法を廃止させるために影響力を行使するべきである。


Boris Dittrich

*1:日本語では、2,3のニュース系サイト・ブログ(僕のブログ含む)を除けば、一番熱心にこの原則を取り上げているのは「こんな原則が通ってはまかりならん」という保守の方々のサイトであったりする。