ゲームキャラはノンケかゲイか


ネットを見ていると、わけが分かるような、分からないようなネタに、時々ぶつかる。


ジョディ・フォスターアウティング」問題(4月9日エントリ)がしばらく頭にあったせいか、「『有名人』のアウティング」にアンテナが働き、こんなニュースを拾ってしまった。
2月の古い記事なのだけれど―


Gay.com-UK & Irland―「彼らはゲイ?」ゲームサイトが5人のゲームキャラの「アウティング」記事で炎上


ゲームサイトGamesradarの記事「彼らはゲイ?」(Gay.comのリンクから飛べる)が、5人のゲームキャラを「ゲイかもしれなくない?」と「アウティング」したそうで、それで人気ゲームキャラの身に危険が、及んだわけでもなさそうだが、Gay.comが突っ込んだ、そういう話である。


アウティングされてしまった方々は、次の5人である―


「ゴッド・オブ・ウォー」のクレイトスさん
「ギアーズ・オブ・ウォー」のマーカス・フェニックスさん
Bully 」のJimmy Hopkinsさん
「デッド・ライジング」フランク・ウェストさん
「ファイナル・ファンタジーXII」のヴァンさん


この件の問い合わせを行ったGay.com編集者ハッサン・ミルザさん(ご苦労さまだ)によれば、「同性愛嫌悪的な意図は感じられない」が、ゲームキャラを「ゲイだ」という理由があまりに「幼稚なステロタイプ、紋切り型だ」。


これをステロタイプというのか、なんというのか―

「ゴッド・オブ・ウォー」のクレイトスさんは、


自分の妻子を『たまたま』殺したあたり、女に対する怨恨が感じられる」から、ゲイ。


ギアーズ・オブ・ウォー」の マーカス・フェニックスさんは、


戦士だから同性の仲間と一緒にいるのが好きで、たぶん健全にノンケっぽくだけど友だちにサカるのも楽しんでて、同性愛だらけのムショにもいたことがあって、バンダナをしてる」から、ゲイ。


「ファイナル・ファンタジーXII」のヴァンさんは、この姿が「アタシってちょおーーーーーーーーキャムプ!(I AM SOOOOO CAMP)」って感じなんだそうだ。そうなのか?
[:center]


もはやこれは、キャラデザインに対する欧州と日本の感覚の違いという問題じゃないかと思うんだが。
日本の漫画・ゲーム・アニメキャラは「ちょおーー(略)」であふれてることになるぞ。


なんというか。
同性愛嫌悪的ではない、のは、そうかもしれない。「ゲームキャラがホモなんて絶対許さん!」というのに比べれば、同性愛肯定的にも思える。
誰がどう否定しようと、人口の数%は同性愛者なのだから、創作世界のキャラクターにもレズビアンやゲイがいると考えるほうが、ある意味「自然」だ。
しかし、だからといって「女嫌いだからゲイだよな、男とジャレてたらゲイだよな、ムショで掘られたらゲイになっちゃうよな、バンダナしてたらゲイだよな」と言われては、腹を立てる気も失せるが、脱力してジワジワ肩が下がってくる。
それは結局、同性愛者についての偏見のこもったラベルを、キャラに強引にはりつけているに過ぎないからだ。



「ゲーマーたちがゲームキャラの性的指向に関心を持つというのは、頼もしいことなのだけれども」と、ミルザさんは言う。
この感想は、僕にもとても分かる。


漫画やドラマでよくある、「友情の絆で結ばれた男/少年たちがケンカしあい助け合いながら目標に邁進する」シチュエーションを目にすると、僕は高校生の頃の自分を思い出しながら、「この中にゲイはいないのかな」と思うことが時々あった。


高校生の僕は、「ホモソーシャルな関係はホモフォビアを前提に同性愛者を排除する」なんて分析はもちろん知らなかったが、自分が同性愛者だと知れたとき、親しい友人たちとの関係は壊れるかもしれないという恐れは、肌で感じていた。そして、それは寂しかった。
もちろん、僕がゲイだと告げても、友情は壊れなかったのかもしれない。だが、学校や友人のあいだ以外、ほかに居場所も持たないのに、世界を失うかもしれない賭けをする勇気は、僕にはなかった。


はっきり意識していたわけじゃないが、青春ドラマ!的な漫画や物語の中に、自分と同じ人間がいないことに、僕はどこか納得いっていなかった。漫画などに出てくるゲイやバイは大抵奇妙で、敵かノンケの主人公を追い回して迷惑をかけたりする、ヘンなヤツばかりだった。


映画版「ウォーター・ボーイズ」が僕にとって画期的に思えたのは、「一丸となって目標に邁進するスポーツ男子たち」という超ホモソーシャル集団が挑戦するのが「男らしくない」シンクロナイズドスイミングであり、なおかつ彼らのなかに同性愛者がいたことだ。
早乙女君は少々オネエで乙女なあたり「わかりやすい」キャラではあったが、それこそ「フツーの子」だった。
少年たちがシンクロへのジェンダー的偏見を克服するきっかけを、ゲイでオネエの彼が作るとか、そういうアリガチな役も振られていなかった(「リトル・ダンサー」のマイケルにはあったと思う)。高校生の仲間たちの間に普通にゲイがいた、これは愉快だった。
ドラマ版が面白くなかったのは、映画にはあったこの「リアル」さがなかったためだ。
映画では、ステロタイプなドラマに入った切れ込みから、ずっとリアルな世界が見えた。



漫画やゲームの世界は異次元ファンタジー世界であったりして、現実とは違う。
だが、そのファンタジー世界も人間が現実を投影しながら作る以上、そして読者やゲーマーにはLGBTもいる以上、「登場人物はとうぜんヘテロ、ゲイなんてとんでもない」というのは、いくらなんでも寂しい。
だが、同時にそれは、特別なことじゃない。レズビアンやゲイにだけ特殊なマダラや斑点を探そうとするから,勘違いが起きる。
「ゲームキャラはノンケかゲイか?」問いの答えは、「本人に訊かなければ分からない」。これが正解だ。