アメリカの同性婚と「家族の価値」


先日のアメリカ大統領選で、民主党バラク・オバマ氏が大差で新大統領に当選した。そのいっぽう、カリフォルニア州では、住民投票により、結婚を男女に限り同性間の婚姻を禁じるProp.8(プロポジション8)が可決された。
  
2つの象徴的なできごとが起きたように感じられた。
  
オバマ新大統領は勝利演説で、「アメリカ国民」の多様性を表す表現の1つとして「同性愛者もストレートも」という言葉を用いた。アメリカ国民の「性の多様性」が、大統領の言葉によって明言された。
  


 若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党員と共和党員、黒人と白人、ヒスパニック、アジア系、先住民、同性愛者とそうでない人、障害を持つ人とそうでない人が出した答えだ。我々は決して単なる個人の寄せ集めだったり、単なる青(民主党)の州や赤(共和党)の州の寄せ集めだったりではないというメッセージを世界に伝えた米国人の答えだ。私たちは今も、これからもずっとアメリカ合衆国だ。
  
「米国に変革が到来」 オバマ氏勝利演説(全文)ーasahi.com
  
だがその一方で、アラバマ、フロリダ、サンフランシスコ州で、同性の結婚を許すなという保守派の主張が勝利した。
Prop.8という法案が、今回サンフランシスコ州民投票にかけられた経緯についてよく知らない、知りたいという人は、サンフランシスコにお住まいのJapanSFOさんがとても分かりやすくまとめておられるので、こちらを見ていただきたい(JapanSFOさん、ありがとうございます)。
  
同性婚排除 Proposition 8 ー♂♂San Franciscoのひとりごと...3
  
同性婚に反対しProp.8を支持する派が盛んにメディア宣伝を行ったことはニュースでも報道されていたが、JapanSFOさんのブログでその一例を見ることができる(「同性婚を認めたら、重婚も、親子の結婚も、幼児との結婚も、犬との結婚も認めることになる、だから認めるな!」という、メチャメチャな、しかも聞き飽きた情けない煽りだ)。
  
アメリカの性的少数者は、アメリカ「国民」としての揺るぎない存在を固めた。
だが、アメリカの「家族」からは、また排除を宣言された。
正しい印象かどうか分からないが、僕はそんな印象を受けた。
  
  
6月、カリフォルニア州最高裁が結婚を男女に限る民法に対し、州民の平等を守る州憲法に反するという判決を出してから、カリフォルニアで結婚登録した1万8000人のカップルのことを思った。彼らの結婚は、無効になるかもしれないと報道されている。
  
パートナーと結婚式を挙げた日系アメリカ人俳優ジョージ・タケイさんの言葉を思い出した。住民投票がなければひっそりと結婚するつもりだった、訴えるために敢えて出た、と語っていた。
  
ジョージ・タケイさん 同性パートナーと結婚した日系米国人俳優ーmsn産経ニュース
【グローバルインタビュー】「念願がかなった」 同性婚を果たした日系米人俳優、ジョージ・タケイさんーmsn産経ニュース
  
そして、8月に87歳で亡くなった、デル・マーティンさんのことを思った。
  
訃報〜デル・マーティン(1921年ー1929)ー『QM』〜NPO法人アカーWEBマガジン
フィリス・ライオンPhyllis Lyon(1924年ー)とデル・マーティンDel Martin (1921年ー1929):レズビアンのコミュニティ活動のパイオニアたち&半世紀をこえるレズビアン・パートナーシップの実践者たちー『QM』〜NPO法人アカーWEBマガジン
  
アメリカ最初のレズビアン組織「ビリディスの娘たち」の創設者の1人。50年以上のパートナーのフィリス・ライオンさんと結婚(正確には2004年の婚姻届の再受理)し、「生きている間に同性婚ができるとは思わなかった」と語っていたという。
でもその嬉しそうな言葉に、気づかされる。この人は、自分のためではなく、自分が死んだあとの未来のために戦っていたんだ。
でも彼女が亡くなったあとの未来は、こうなっている。
  
おまえには関係のない海の向こうの話だろうと言われても、悲しくなった。
  
  
同性婚について、「愛の証が欲しいのかな」「そんな形式にこだわらなくてもいいのに」と思う人は、少なくないと思う。
また、平等を求めるひとつの手段として同性婚を求めることは、性的少数者の権利を真剣に考える人のあいだでも、しばしば批判されている。
「差別を是正するというのは、異性愛中心制度と同じものを無批判に求めることじゃない」
「結婚制度じたいに、さまざまな問題がある、それを認めてどうする」
  
性的少数者には、なにもかも性別二元論/異性愛を前提に作られている現行の社会諸制度にそもそも疑問を感じている人が多い。結婚はその最たるものだ。「結婚の権利の平等」という分かり易いものにこだわることに、冷淡な、批判的な人は多い。そんなにこだわる必要があるものか?という意見は、僕が畏敬する人たちのあいだからも聞かれている。
  
僕も、結婚制度については、同じように思う。けれど、同性婚の議論にまるで意味がないとは思わない。
第一に、「結婚したい」と思う人ができないというのは、不当な差別だからだ。
そしてまた、同性婚は「愛し合う2人は結婚してもいいはず」というだけの問題ではないと思うからだ。
僕はアメリカ合衆国の政治や文化のことはよく知らないので、以下は推測いや妄想レベル、または誰でも分かってる言う必要もないレベルのことになるかもしれない。
だが、忘れられて欲しくないという意味で推測なりに書いておきたいのは、アメリカ合衆国同性婚論争というのは、社会の「家族観」の問題、アメリカ保守派の主張するいわゆる「家族の価値(family value)」との論争だということだ。
  
Family values ? en.Wikipedia
  
「家族の価値」は、アメリカ政治で保守派がたえず掲げる「錦の御旗」だ。この8年のブッシュ政権のあいだ、アメリカの保守系の言論でイヤというほどこの言葉を耳にしたのを、よく憶えている。
アメリカ保守派の同性婚反対や中絶反対は、「宗教的な理由」とよく言われる。だが、同性婚や中絶を毛嫌いする保守的ディスコース(言説)のなかで出てくるのは、この「道徳」「伝統」「家族の価値」といった言葉である。そのバックボーンはもちろんキリスト教だが、聖書の文言が直接飛び出すわけではない。
  
今回Prop.8賛成投票キャンペーンを推進した組織「プロテクト・マリッジ」のサイトのデザインを見れば、Prop.8賛成がなにに基づいているかは一目瞭然だろう。「カリフォルニアの子どもを守れ」というスローガンに、両親子ども2人の「家族」を表すロゴマーク、幸せそうな異性愛白人核家族の写真。
  
Protect Marriage - Yes on 8
  
アメリカ政治に無知な僕だが、このブログでときどき追っている2006年に発表された性的少数者の人権原則・ジョグジャカルタ原則に対し、常に反対キャンペーンを張っているキリスト教保守系の家族問題組織も、さかんにこの言葉を用いるのが、さすがに気になっていた。LGBTの人権を無制限に認めれば、子どもが危険にさらされる、家族が崩壊する、そのロジックは、ほぼパターン化している。こう言って不適切でなければ、「家族」が信仰である、と言えるのである(参考エントリ)。
  
しかし、強硬な保守でなくとも、「家族という価値」という観念を否定することは難しいだろう。もちろん親兄弟や家族など持たない人間は大勢いるが、多くの性的少数者は家族のなかで生まれ育った。もちろん家族はつねに愛する対象ではなく、時として憎むべき対象、縁を切りたい対象にもなる。だがそれも含めて、多くの人間にとって、家族という価値の呪縛から抜け出すことは難しい。
断ち切り難い親密さで人間存在の中に食い込んでいるのが、家族だ。だからこそ保守派はそれを「錦の御旗」にしているのだろう。
  
そして、性的少数者にのしかかる抑圧の非常に大きなものの一つは、まさにこの「家族」からの排除に他ならない。
異性愛家族のなかで、同性愛者の子どもは異端者だ。アメリカでは家にいられなくなってホームレスになる未成年の性的少数者があとを断たず、彼らの救済はLGBT運動の大きな課題となっている。
  
これは「差別の厳しいアメリカ」に限った話ではない。日本でも、性的少数者の家族に対するカミングアウトは、大きな困難だ。まったく偏見を持たずに子どもを受け入れる親もいるだろう。だが、同性愛者の子どもを受け入れられずに苦しむ親のほうが、哀しいことに恐らく多い。
LGBTの家族と友人をつなぐ会」は、性的少数者の子ども・友人を持つ人々が、サポートしあう会だ。子どもからカミングアウトされてショックを受け、どうすれば分からず悩む親たちに、アドバイスやサポートを提供している。だがそのようなサポートが必要となるぐらい、つまり日本の「家族」からも性的少数者は当然の前提のように排除されている*1。そのために、家族も当事者も苦しめられる。
  
アメリカの同性愛者は、暴力やさまざまな社会的不平等のみならず、「家族の価値」の名のもとの排除とも戦ってきたのだと思う。
  

TopPunで販売されているプライド・ピンバッジやTシャツのデザイン
  
 

  
「家族は『家族の価値』」
「市民権は『家族の価値』」
  
 

  
「家族を愛している」
 loveのハートがゲイのシンボル、ピンク・トライアングルになっている。
「私は家族のピンクの羊」
 「黒い羊(異端者、余計者)」とかけている。嫌われるのだろうか?そんなことはない。
  
保守の「家族の価値」とのアメリカのゲイ表現の格闘を近年強く印象づけられたのは、実は2006年から放送されているTVドラマ『ブラザーズ&シスターズ』だ。
  
ブラザーズ&シスターズー日本番組サイト
  
カリフォルニア州サンフランシスコに住むウォーカー家の物語だが、5人兄弟姉妹のうち、次男で弁護士のケヴィンはゲイである。次々と問題を起こす家族のために奔走し、自分の恋愛に右往左往し、自分もまた家族に支えられながら不器用に生きる。
とにかく暑苦しいぐらいの家族ドラマで、個人的に本当に好きか、というと、そうでもない。だが、ずぶずぶの「家族の絆」のなかに同性愛者の存在を描きこみ、しかもケヴィンの姉キティは共和党員と大恋愛のすえ結婚するというストーリー展開には、保守の「家族の価値」と同性愛者の存在を真っ向から向き合わせようとする意志を感じる。何話だったか思い出せないのだが、「私が信じてきたのは『家族』だ」と言うキティの言葉にケヴィンが耳を傾ける場面が忘れ難い。共和党イデオロギーである「家族の価値」を同性愛者のいる家族のものとして捉え返す。チェイニー元副大統領もレズビアンの娘のメアリーさんを大切な家族であると表明していたし、さほど目新しい挑戦ではないが、『ブラザーズ&シスターズ』が『ウィル&グレイス』のような「100%リベラルな都会的空間での楽しいゲイライフ」とは異なる、保守的価値観との対話を目指したと見ても,見当違いではないだろう(エクゼクティヴ・プロデューサーのJon Robin Baitzは、ゲイの劇作家である)。
  
  
同性婚に反映した同性愛者と「家族の価値」の問題は、しかし、ただ「家族の中の同性愛者」の問題だけではない。
  
同性婚について、「愛の証が欲しいのかな」と考える人は、もしかしたら「同性愛者にとって結婚はそれ以上の意味はあるまい」と思っているのかもしれない。また、「結婚は次世代再生産(出産と育児)のための制度であり、子どもを産まない同性愛者にその制度的優遇を与えるのはおかしい」と考えている人も,多いはずだ。
  
だが、同性愛者が子どもを持たない、というのは、それこそ大きな間違いである。
  
人間の次世代再生産は、「男女が性交して子どもを生む」で済む問題ではない。親権者の責任のもと子どもを自立するまで養育・教育するという長いプロジェクトであり、「異性愛」が必要なのはほんのごく一部だ。
いま、世界には、養子縁組、代理母精子提供による人工授精、レズビアンとゲイの共同再生産プロジェクトなどのかたちで、子どもを育てている同性愛者が大勢いる。
その再生産のありかた、家族のありかたは実に多様だ。以前、軍隊と同性愛者のことを調べていたときに読んだan encyclopaedia of gay, lesbian, bisexual, transgender & queerの論文の著者ジェフリー・ベイトマンさんも、大学講師をしているコロラドで、パートナーと友人のレズビアンカップルとともに4人で子育てをしているという。
  
「同性愛者に育てられた子どもが幸せになるはずはない」「悪影響が出る」「子どもも同性愛者になってしまう」と、同性愛者の育児を批判しようとする主張も数多くある。だが、レズビアンカップルに育てられた子どもの調査により、同性愛者カップルに育てられた子どもは異性愛カップルに育てられた子どもとなにも変わらず、必要な条件はただカップルの関係が良好であること、親の性的指向が子どもの性的指向に影響を与えることもないということが証明されている。
  
研究の要旨は、以下のサイトで知ることが出来る。
『子どもの養育に心理学がいえること』N.R.シャファーより抜粋「こどもには、両性の両親が必要か」ーレ・マザーの会
  
子どもを育てるレズビアン家族、ゲイ家族がつながりあう助け合いネットワークもいくつもある。育児雑誌や育児書も多数出ている(Amazon.comのGay&Lesbian>Parenting&Familiesの一覧)。
  
むろん、もっぱら欧米での話ではある。だが、日本も例外ではない。
ゲイとしてのライフサイクルを生きつつ(つまり、女性と結婚するという異性愛ライフサイクルに入らず)、子育てをしようとするゲイは、たぶん、まだあまりいないだろう。しかし、レズビアンには、レズビアンとして暮らしながら、子育てをしているレズビアン・マザーたちがいる。人工授精で子どもを生み、パートナーと育てているレズビアンの人もいる。
日本を含む世界各地で、同性愛者の家族形成と次世代再生産はとっくの昔から行われているのだ。
「同性愛者は子どもを作れないから駄目だ」だの「同性愛者が増えると少子化が」だの言う人は、こういう動きを見て、同性愛者の次世代再生産を妨げているのはただ社会的差別と偏見だけだということを知ったうえで言って欲しいと思う。
  

Two Father 2005(日本語字幕版)


  
プロの作曲家が曲をつけた自作の歌詞を子どもが歌うオランダの子ども向け歌番組で、1歳のときゲイ・カップルに息子として引き取られたテレンス君が、2人のパパがいる自分の家族の暮らしを歌った。
子どもが歌うこの歌を、僕が見かけたアメリカの保守系サイトは「酷い歌だ、2人の父親は1人の母親に叶わない」と罵っていたが…(参考エントリ
  
同性愛者の権利についての分かり易い争点として、同性婚ばかりが過大視されてはならない、というのは正しいが、同性婚は別に「2人の愛を法的に認めてもらう」ことだけを意味するのではない。その背後には、「法的家族」としてのさまざまな権利の問題、性的少数者が子どもを育て家族を作るという問題が、はじめから横たわっている。
  
「異性婚のみが家族の正式な基盤となる権利を独占している」現状は問題だと、僕も思う。「父親と母親の揃った家庭」を基準とすることで、片親家庭、未婚の母親、孤児、性的少数者家庭を、「不完全」な「問題をはらむ」存在にしてしまうからだ。だからこそ「同性愛者が異性婚のマネをしたがってどうする」という同性婚への批判も起こるわけだが、しかし同時に同性婚は結婚制度そのもの、家族制度そのものの幅を内側から押し広げ、多様化する可能性を持っているはずだ。同性婚によってもたらされるものは「愛の証」以上に、「保守的な家族像の変化」なのではないかと思うのである。
  
同性婚の合法化は、同性愛者と同性愛者に育てられる子どもからなる家族を、「これもまたアメリカの家族」と承認する力があったはずだ。保守派の掲げる「家族の価値」が同性婚を叩き潰したことは、同性愛者に、同性愛者に育てられている子どもに対して、「アメリカ社会はおまえたちが家族を作ることを認めない、おまえたちを本当の『価値』ある『家族』とは認めない」と宣言したようなものだろう。
社会の「価値」から疎外されて生きることがどんなことか、どんなふうに人間を蝕むか、ごくわずかでも、なんらかのかたちで経験したことのある人なら分かるだろう。
  
そんなことを考えていたら、精神科医の針間克己医師が、米国精神分析学会から出されたProp. 8への批判声明を、ご自身のブログに翻訳して紹介しておられた。
  
[ ニュース]精神分析家たちが、カリフォルニアの同性婚禁止投票を批判ーAnno Job Log
同性婚に関する米国精神分析学会の立場表明ーAnno Job Log
  
針間先生が翻訳した記事によれば、「2000年の全米人口調査によれば、同居する女性カップルの34%、同居する男性カップルの22%が、18歳以下の子供を育てている」という統計が紹介されており、「同性婚が認められないこと」が、このような同性愛者家族に対する社会の目に影響を与え、かれらの精神的健康に影響を及ぼすことを、精神科医たちが心配していることが伝えられている。
  

同性婚の否定が今日のアメリカに与える、広範な影響について考えてほしい。家族は多様なあり方で存在し、同性カップルにとって、その結びつきが法的社会的に承認されることは、カップルやその子供や家族にとっても重要なことだ。同性カップルやその家族に対してなされる、レッテル張りや差別は、彼らの健康を損ねることが、調査によって次々と明らかにされている。」と、LA在住の精神分析家で、同学会LGBT部会の議長である Ethan Grumbach, Ph.D.はのべた。
  
[ニュース]精神分析家たちが、カリフォルニアの同性婚禁止投票を批判ーAnno Job Log
  
  
これから、アメリカの同性婚問題はどうなるのか。
シンボル的位置にあったカリフォルニア州同性婚禁止が落とした影は大きい。
僕が気になるのは、「カップル」よりも「家族」のこと、同性愛者の子どもたち、同性愛者に育てられている子どもたちのことだ。
  
望みを託せるのは、保守のイデオロギーが政治的・制度的にかれらを「家族」と認めなかったとしても、彼ら自身が社会の中で「多様な家族の価値」を体現していってくれることだ。同性愛者の子どもを育てる家族、成長して自ら子育てをしてゆく同性愛者、同性愛者のもとで成長する子ども、そしてかれらを支えてくれる人びとによって、おのずと社会が、価値観が、家族のかたちが変わってゆくことができるかもしれない。
  
僕自身、いったいどうするのか、家族を持てるのか分からないけれど、これからも世界が変わってゆくことを、望んでいきたいと思う。

*1:「同性愛に偏見はないが、自分の子どもがそうだと話は違う」という言葉を、僕は何度も聞いたことがある。