とても愛しいクローゼット・ゲイ〜『Avenue Q』


クィアやBLについてのエントリをいつも興味深く読ませていただいているid:nodadaさんの日記で、面白いことを教えていただく。
腐男子じゃないけど、ゲイじゃないーIf You Were Gay


Youtubeでよく見かけるファンビデオに、2004年トニー賞受賞の人形ミュージカル『Avenue Q』(2003)の人気ナンバー、「If You Were Gay」(もしキミがゲイでも)の「やおいビデオ」がたくさんあるそうだ。


『Avenue Q』公式サイト:http://www.avenueq.com/
サントラ歌詞:Stlyrics.com - Avenue Q soundtrack
Avenue Q - en.wikipedia
ウィキペディアーアベニューQ


NYの架空の通り、アベニューQ。ユダヤ系で芽の出ないコメディアンのブライアン、高学歴だが機会に恵まれず、下手な英語をバカにされる日本人クリスマス・イヴ、この国の"モンスター"差別に不満を覚えるケイト・"モンスター"、クローゼット・ゲイの共和党員ロッド、その同居人でニートのニッキー、エロネット依存症のトリッキー・"モンスター"が暮らす安アパートに、大学は出たけれど役に立たない文系で、金もなければ人生の目的も探しあぐねているプリンストンがやってくる。人形と人間(人間とモンスター)が一緒に歌い騒ぐ、ポリティカリー・コレクトな正統派子ども教育番組『セサミ・ストリート』を思い切りブラックにひねったミュージカル*1で、ロッドとニッキーが歌う「If You Were Gay」は、とくに有名なナンバーだ。
映画・ドラマ・舞台での同性愛表現やLGBTの可視化に常に注目しているゲイ・メディアからも、高い評価を受けた。
PllanetOut - June 7 2004 - GLBT Tony wins for drama, musical, actor
クィア・ミュージックの巨大アーカイヴQueer Music Heritageでも、ゲイ・ミュージカルとして紹介されている。
Queer Music Heritage - Gay Musical



『Avenue Q』については、日本語のサイトやブログでもたくさんの詳しい記事がある。
アメリカ在住のミュージカル通、44 Streetさんの、『Avenue Q』のページ(うわ〜!大勘違い、失礼しました!)
Misoppa's Band Wagonさんの[ゆけむり通信Vol.54] 8/1/2003『アヴェニューQ AVENUE Q』−誰もが少しだけ差別主義者


「If You Were Gay」と、愛すべきクローゼット・ゲイ、ロッドについても、いろんな方が書いておられるわけだが、『Avenue Q』のゲイ表現そのものの効果について書かれた記事はあまり見当たらないようなので(あるのかもしれないけど)、少しまとめてみよう。というか、僕が好きで書きたいんで、あったとしても無視して書く(笑)。


Avenue Q

Avenue Q

(ただし、僕は『Avenue Q』の舞台を観ていない。以下は、サントラとシノプシスだけで、それだけで書けることを書く、というものだ。台詞を聞いておらず舞台を観ていないのに『Avenue Q』の本当の面白さがが分かるとは思えないし、かなり見当違いのことを言っているかもしれないが、どうか見逃していただきたい。って、見逃す見逃さないの問題なのか分からないが、見逃して。
あと、リリックの和訳は相変わらず恐ろしく適当なので、歌詞の一言一言のニュアンスを大切にするファンを泣かせてしまうかもしれない。どうかそれもひとつ、お見逃し。)



If You Were Gay



ロッド:ああ、僕の好きな本『1940年代のブロードウェイ・ミュージカル』とともに過ごす一人きりの午後
 ウルサイ同居人もいないし
 こんなイイことってないね〜

ニッキー:やあロッド!

ロッド:やあニッキー

ニッキー:ねーロッド、今朝地下鉄で何があったと思う〜?
 男がさー、僕に笑いかけてきてさー、話かけてきてさー

ロッド:そりゃ面白いね

ニッキー:マジ愛想よくてー
 彼、僕に関心あったんだと思うんだ
 僕のことゲイだと思ったんじゃないかな!

ロッド:えへん、で、あー、なんで君はそれを僕に言うのかな?
 僕がそんなこと気にする必要ある?
 興味ないね
 今日は昼飯なに食べた?

ニッキー:え、なにそんなに構えてんの、ロッド…

ロッド:ボグバガバエデナイッ!
 君が会ったどっかのゲイのことなんか、僕はどーでもいいから、分かった?
 僕は本を読みたいんだっ

ニッキー:えっ、別に意味はないけどさ、ロッド
 ただ話のタネになるかな〜と思って

ロッド:僕はそんな話はしたくないねっ、
 ニッキー!この話は終わりっ!!!

ニッキー:うーん、でも〜…

ロッド:終わりっっ!!!

ニッキー:えーまあいいけどー、でもさー分かってると思うけど−


 もし君がゲイでも♪
 かまわないさ♪
 つまりさ、ほら♪
 僕はとにかく君のこと好きだから♪
 だって、分かるだろ♪
 もし僕がゲイだったら♪
 僕は気楽に言うだろうね♪
 僕はゲイだって♪
 (でも僕はゲイじゃないけどね)♪


ロッド:ニッキー、頼むから!
 僕は本を読んでいて…
 …(凝視)
 なんなのッ?!


ニッキー:もし君がクィアでも♪

ロッド:あー、ニッキー!

ニッキー:僕はここにいるよ♪

ロッド:ニッキー、僕はこの本を読もうとしてるんだけどねっ

ニッキー:何年も何年も♪

ロッド:ニッキー!

ニッキー:だって君は僕の大事な人だもん♪

ロッド:あ〜!

ニッキー:それに僕は分かってるよ♪

ロッド:ナニが?

ニッキー:君だって僕を受け入れてくれるさ♪

ロッド:僕が?

ニッキー:もし僕が今日♪
 『ねー考えてみてよー!
 僕ゲイなんだよー!』って言ったって♪
 (でも僕はゲイじゃないけどね)♪
 僕は嬉しいよ♪
 ただ君と一緒にいるのが♪

ロッド:『ハイ・ボタン・シューズ』『パル・ジョーイ』…

ニッキー:だからさ♪
 僕にとって何の問題があるっての♪
 君がベッドで男と何しよーが♪

ロッド:ニッキー、キモいっ!

ニッキー:ちがうよそうじゃないよ!
 もし君がゲイならっ♪
 僕はフレーッ!って叫ぶよっ!♪

ロッド:聞いてないからねっ!

ニッキー:そんでここにいるよっ♪

ロッド:ララララララ〜

ニッキー:でも君のジャマはしないからっ♪

ロッド:ああああああ〜!

ニッキー:僕のことはアテにしていて♪
 いつだって♪
 毎日君のそばにいて♪
 かまわないじゃんって君に言うから♪
 君はただ生まれたんだ♪
 そういうふうに♪
 んで言われてるみたく♪
 君のDNAに書き込まれてるんだ♪
 君はゲイだって!♪

ロッド:でも僕はゲイじゃなーい!

ニッキー:もし君がゲイでもさ♪

ロッド:ああ…




「If You Were Gay」が脊髄反射的な笑いを誘うのは、ここで散々な目に遭っているロッドが、今どきのアメリカで笑いのツボを刺激するゲイのステレオタイプを押さえているからだろう。


こんにちわ、ロッドです。
姓はないです。シェールだってないですから。


ワスプ、ウォール街投資銀行勤務、保守、共和党。スーツにネクタイ、メガネと見た目は堅苦しいが、中身はミュージカルオタクのバリバリのオカマである。
ヘタな説明をするより、『Avenue Q』公式サイトのロッドのプロフィールを見た方がいいかもしれない。

体型    水泳選手(でも泳げませんが)
民族    パペット
煙草    いいえ
アルコール いいえ
宗教    WASP
政治    共和党
職業    投資銀行勤務
興味のあること 一緒に外に出るときゲイでないフリができる献身的なパートナーを探してます。僕はすごく優しくて思いやりのある人ですから。キミが僕らが恋人だって誰にも言わなければ。僕はすんごく楽しい人です。キミが黙っていてくれれば。
どんな関係が? 次の質問を
そそられるタイプは 慎重な男
嫌いなタイプは それを見せびらかすヤツ


『Avenue Q』のキャラクターの中でも、ロッドはダントツの人気で、今では押しも押されぬセレブ(?)らしい(Wikipediaにも項目がありますよ、Rod_(Avenue_Q) - en.Wikipedia)。
44 Streetさんがエントリ「人形セレブ」で紹介しておられるが、今年8月、ミュージカル・ニュースサイトPlayBillがブロードウェイ・スターに質問するPLAYBILL.COM'S CUE & Aに、人形の分際で登場している。ここで脚本のジェフ・ウィッティJeff Whittyが書いた回答が、また笑わせてくれる。44Streetさんの上掲エントリが細かくツッコミを入れておられるので、ぜひ読んでいただきたいが、生まれはマサチューセッツのゲイ・ヘッド、星座はおうし座(コンサバな星座らしい)、iPodはまるごとジュディ・ガーランドで(何曲入れてんだよ)、「これがなければ生きてゆけない1枚」はガーランドのAt Carnegie Hall*2、最近観て良かった映画は『300』と、分かりやすい小ネタ満載である。


『Avenue Q』のステージは、ブライアンとケイト・モンスターを皮切りに、アパートの住人たちがいかに自分の境遇がどうしようもないか(It Sucks To Be Me)を語るシーンから始まる。角突き合わせるようにして登場するロッドとニッキーの不満は、お互いの共同生活だが、そこで何を言うのかというと−



It Sucks To Be Me(部分)


ブライアン:やあロッド、ニッキー、
 俺たちに決着をつけることができるかい?
 ちょっとだけいいかな?

ロッド:あー、もちろん

ケイト・モンスター:どっちの人生がひどいかしら?
 ブライアンの?あたしの?

ニッキー・ロッド:僕らの!

ロッド:僕らは一緒に暮らしてる♪

ニッキー:これ以上ないってぐらいくっついて♪
ロッド:僕らは最高の連れだった…
ニッキー:初めて会ったその日からずっと
ロッド:だから彼、
 たくさん知ってるんだ
 僕を本当にイラつかせる方法を
 ああ、毎日が
 腹立ちの種だ

ニッキー:おーい、そりゃ
 誇張だよ!

ロッド:君は服を出しっぱなし
 ( You leave your clothes out.)
 僕の椅子の上に
 足を置く

ニッキー:あ、そう?
 君はパンツにアイロンかけるみたいな
 細かいことしてるよな
 (You do such anal
 Things like ironing
 Your underwear)

ロッド:君のせいで
 すごく狭いアパートで
 地獄をシェアしてるようなもんだ

ニッキー:君がそう言うから、
 僕もミジメになるんじゃないか

ロッド:僕は最悪だ!

ニッキー:イヤ、僕が最悪だ!


It Sucks To Be Me - Tony Awards



「君は服を出しっぱなし( You leave your clothes out、要するにクローゼットからアウトしっぱなし)」「パンツにアイロンがけするような細かいことをする(You do such anal Things like ironing Your underwear)」。のっけからロッドがカミングアウト嫌いのゲイだとバレバレになっているのだ(「anal thing」は肛門性格的なってことだけど、アナルセックスも意味する)。


もちろん、リパブリカン・ゲイ、イコール、クローゼットというわけでは、全然ない(たとえば共和党LGBT組織Log Cabin Republicans)。しかし同時に、クローゼット・ゲイ共和党議員のスキャンダルは、しばしばアメリカの政治を騒がせていることも、また事実である。むろん、同性愛者にもさまざまな政治的立場があり、性的指向を隠すのもオープンにするのも個人の権利で、政治家のような公人であろうとそれは変わらないだろう。が、保守政治家のクローゼットは「自分は隠れながら他の同性愛者の権利を阻害する政策を支持・推進する」と見なされ、それが厳しい批判につながる。


アメリカのゲイ表現は、男性同性愛者を短絡的にドラアグやオネエ、あるいは陰湿な罪悪感に結びつける古い他者的ステレオタイプ・イメージを批判し、多様な人間味のあるゲイ・イメージ(それもまた新しいステレオタイプだが)を生産してゆく中で、しばしば「保守のゲイ」を描いている。その強烈なモデルの1つが、マッカーシズム時代に保守・反共・反同性愛で悪名を轟かせエイズ合併症で死んだ隠れゲイの弁護士、ロイ・コーンだろう(彼自身は民主党員だったが、一貫して共和党大統領を支持していた)。1980年代のエイズ・ショックの直後、ゲイとエイズアメリカ国家の未来を荘厳に描いた1990年代初のゲイ演劇『エンジェルス・イン・アメリカ』は、シニカルな権力主義者として死にゆくロイ・コーンと、共和党員でモルモン教徒のジョー・ピットを通して、アメリカのゲイネスの1つの顔としての「保守のゲイ」をシンボリックに描いた。


保守・クローゼット・共和党は、(現実の保守・共和党とどれほど関連があるかは別として、)1つのステレオタイプ・イメージとして、『Avenue Q』に連続しているのだろうと思う。『Avenue Q』は、クローゼットの共和党ゲイを笑いと風刺の記号にした。今年の夏わいせつ行為のおとり捜査に引っかかった共和党のラリー・クレイグ上院議員の「私はゲイではない(I am not gay)」演説は、早速「If You Were Gay」でからかわれている。


If Larry Craig were Gay


AfterEltonの関連記事:
When Avenue Q Met Larry Craig


『Avenue Q』がトニー賞を受賞した2004年は米大統領選の年だったわけだが、『Avenue Q』は『Avenue Q & A』というパロディ大統領候補討論会を企画し、ここでもロッドと「If You Were Gay」が活躍している。

"Avenue Q & A", A heart-"felt" Presidential Debate


AVENUE Q presidential debate part 1 - If You Were Gay


「ケリー」候補が「ブッシュ」候補に「If You Were Gay」をやっている。「ディックとベッドでなにをしようがかまわないよ」「それはチェイニーのことかッ!」



でも、じゃあ、しかし。
ロッドはラリー・クレイグのような、保守的クローゼット・ゲイの冷笑的なカリカチュアなのか?というと、そうではない。
だいたい、こんなことを書いている僕だって、身近な友人や同僚にカムアウトしているだけの、毎日通勤する職場の上司には何も言っていない、ロッドと同じ勤め人のクローゼット・ゲイだ。
人により違いはあれ、ロッドの経験は、ゲイなら何らかのかたちで経験しているものだろう。ロッドのドタバタぶりを笑うとき、僕らは自分自身の経験を「あるある」と思い出し、抱きしめるように笑っているのではないか。


「If You Were Gay」の面白さの1つは、ゲイの存在やクローゼットやカミングアウトに対するノンケとゲイの態度が、逆転しているように見えるところだろう。ニッキーの側にはゲイがゲイであることを隠さねばならない理由はなにもない。必死で隠しているのはロッドだけである。
でも、じゃあ、ニッキーが「理解のある」「寛容な」ノンケなのかというと、そうも思えないのだ。


もし僕がゲイだったら
僕は気楽に言うだろうね
僕はゲイだって
(でも僕はゲイじゃないけどね)
「もし僕がゲイだったら」というニッキー(ノンケ)の想像力は、とにかく薄っぺらだ。ロッド(ゲイ)がそれまでの人生で、学校で、社会で、空気の中で呼吸してきて、クローゼットのまま今に到っている経験を、彼は少しも想像できていないだろう。ニッキーの歌で繰り返される「(でも僕はゲイじゃないけどね)」は、決して自分が火の粉を被ることはない「正しさ」を能天気に唱えるリベラルへの痛烈な皮肉にも聞こえる。ロッドが保守的で自己否定的なクローゼット・ゲイのカリカチュアだとしたら、ここでのニッキーは「リベラルに自己満足したノンケ」のカリカチュアだ。


だいたい、ニッキーは、基本的にどーしようもないアホである。
結局彼はこのあとで他の住人に「ロッドってゲイじゃない?」とアウティングし、キレたロッドにアパートを蹴りだされ、ホームレスになる。路上で会ったプリンストンに25セントくれ!とせがみ、「小銭がない」と言われると、


ニッキー:ふ〜ん…分かった
 1ドル札ちょーだい
プリンストン:そういう意味じゃないって
ニッキー:んじゃ5ドル札
プリンストン:おちょくっとんのか
The Money Song
というお約束なネタをキッチリやってくれるような奴である。


そんなアホでも、ロッドは彼のことが好きだ。


ノンケなんだから、好きになっても仕方がないと分かっている。でもずっと一緒にいるうちに、いつの間にか心の中にも住んでいる。そんな思いをしたことのある・している人は、決して少なくないだろう。
「ニッキーも実はゲイだった」という夢を見て、ロッドがつかの間の幸福に有頂天になる「Fantasies Come True」は、あまりのベタさに笑えつつも、別の笑みがこみ上げる歌だ。


『Avenue Q』の主人公はプリンストンで、話の主軸はプリンストンの「人生の目的」探しとケイト・モンスターとのラブストーリーにあり、ロッドはあくまで脇役である。
が、先行のレビューの数々で説明されていることだけれど、『Avenue Q』の演出の際立って個性的なところは、人形の使い手が浄瑠璃のように姿を見せ、時に人形と交代することすらあって、人間と人形の境界が曖昧になっているという点だ*3。これは、1人の人形使いに操られる人形たちも、その境界が曖昧になるという効果を出しているのではないかと思う(舞台を観ていないので、ただの推測だが)*4。主人公のノンケのプリンストンと、ゲイのロッドは、1人の人形使いによる1人2役だ。ともに人生に欠落部分を抱えるプリンストンとロッドは1つの人格のように錯覚され、ノンケとゲイの経験が1つに重なって、「ゲイだから/ノンケだから理解できない」という壁を取り払う。


「Fantasies Come True」は、ロッドの夢の中の有頂天に、愛を語り合うプリンストンとケイト・モンスターの、つかの間の幸福の歌が重なる。同性愛と異性愛は重なり合い、2人のマイノリティ、ゲイのロッドとモンスターのケイトが、愛する人への思いのたけを叫ぶ。夢から覚めて我に返ったロッドが呟く「ああ、いい夢だったよ」は、はっきりいって泣ける。



Fantasies Comes True


ロッド:夜は本当に寂しい気分になるよ。ニッキー、起きてる?
ニッキー:あー、それ一角獣?
ロッド:あー、また寝言言ってるし。
ニッキー:いや、僕紫の靴履くから。へ、誰が子猫に色塗ったの?
ロッド:うう、なんだか揺さぶってやったほうがよくないか?
ニッキー:愛してるよ、ロッド
ロッド:なんて?
ニッキー:君の微笑が好き
ロッド:ニッキー、起きてんのか?
ニッキー:シャツを脱げよ
ロッド:おい、ニコラス!おまえ、ずっと躊躇っていたのか?
 僕たちはずっと…お互いに隠していた?そんな…


 ずっと夜を
 僕はベッドに横たわっていた
 君への思いが
 頭の中を駆け巡っていた


ニッキー:分かってる、僕のイヤマフをクッキーに被せてくんないかな


ロッド:でも、思いもしなかった
 僕の頭の中で考えていたことが
 本当に起こりうるなんて
 僕のベッドで


ニッキー:君、デビッド・ハッセルホフみたいだね


ロッド:何年もずっと
 僕はしるしを見逃していたんだね
 行間を読むってことができなかった


 誰が考えただろう
 こんな日に巡り会えるなんて
 君が言うのを聞くことができる
 君が僕に言ってくれたことを


 そして今、僕は知った
 いつも僕の心にあったものは、君の心にもあったんだと
 誰が知っていただろう?夢が叶うと
 そして今,僕は見る
 ずっと夢見てきたことは、現実なんだと
 君と僕と君と、夢が叶うと


ロッド:君と僕は夢の中に生きていた
 でも、僕らは現実になる


プリンストン:ケイト、ステキだったよ!
ケイト:あなたこそステキよ
プリンストン:ねえ、これを持っていて欲しい。これは幸運のお守りにと持っていた1ペニーだよ。僕の生まれた年の硬貨だ。
 わかる?誰にも分からないよ?たぶん、これは君に幸運をもたらしてくれる。僕にもそうしてくれた。僕は君を見つけたよ。


 君に知って欲しい
 僕らが過ごした時は
 なんてすばらしかったのか
 どれほどの意味を持っていたか


ケイト:ああ、なんて言えばいいのか分からない
 そんな風に感じてくれて本当に嬉しい
 だって、怖いから
 あなたのことを好きなのが
 これまで好きになったどんな男の子より


ロッド・ケイト:だって、今、だって、今
 大好きな人、大好きな人
2人:ずっと夢見ていたことを、かなえようとしている
ロッド・ケイト:それがあなた、ああ、ベイビー
2人:夢が叶う
ケイト・ロッド:だから、今、だから、今
 誓うよ
2人:君が望むとき、私はきっとそこにいて
ロッド・ケイト:大切にするから
2人:あなたを
ケイト:そうするから
ロッド・ケイト:あなたの夢を
2人:叶えるから


ロッド:夢は叶うから


ニッキー:うーん、やあ、ロッド、オマエ、寝言言ってるぜ
ロッド:おい、僕は君が寝言を言っていると思ってた
ニッキー:違うよ、僕は今ベッドに来たところさ。はあ、ずっと夢見てたんだろ
ロッド:あ
ニッキー:いい夢だったみたいだな、でも
ロッド:ああ、いい夢だったよ
ニッキー:おやすみ!
ロッド:おやすみ、ニッキー



しかし結局、愛するアホのニッキーはロッドをアウティングし、ロッドがブチ切れて「僕はクローゼットホモナントカじゃない!僕には遠恋の彼女がいる!カナダに!」とやったのが、「My Girlfriend, Who Lives in Canada」。
これがまた笑える。
だけど、これはそんなに面白いギャクだろうか?自分は同じことをやったことがないのか?というと、程度の差こそあれ、ある(僕は)。
日本語は性の区別がないのを幸い、「好きな人がいる」「つきあっている相手がいる」。嘘はついていないと思いながら、僕は相手がそれを「女性」と取り違え、「当然」と聞き流すことを期待している。ノンケなら純粋にギャグとして笑えるのだろうか。僕にとっては、これも日常の断片だ。どこかで身に憶えがあることとして、だから余計に笑える。自分を笑い、こんなアホな話が現実にまかり通っている異性愛社会を笑いのめす。



My Girlfriend, Who Lives in Canada


うううう…
君らが僕の恋人に会えたらなと思うね、カナダに住んでる恋人に
これ以上ないってくらい優しくて
君らが彼女に会えたらなと思うね
カナダに住んでる僕の恋人に!


彼女の名前はアルバータ
バンクーバーに住んでいる
僕の母親みたいに料理上手で
掃除機みたいなフェラしてくれる


僕は毎日彼女にメールする
ただ何もかも順調と確かめるために
彼女があんなに遠くにいるのが悲しいよ,カナダに!


先週彼女はここに来た、でもインフルエンザでね
すごく悪かった
君たちに彼女を紹介したかったから
すごく残念だったよ
彼女はなにもできなかった
でも彼女と一緒にベッドにいて、足を彼女の頭に載せて
ああ!


君たちが僕の彼女に会えたらと思うよ
でも無理だね彼女はカナダだから
彼女を愛してる、会えなくて寂しい、彼女にキスするのが待ち切れない
すぐに僕はアルバータに発つんだ!
 (沈黙)
じゃなくてバンクーバーだ!
クソッ!彼女の名前はアルバータ、住んでいるのはバンクーバー


彼女は僕の恋人!
僕のすてきな恋人!
そう僕には彼女がいる、カナダに住んでる!


で僕はまた彼女のアソコを食うのが待ち切れない!





『Avenue Q』の人気は、初演から5年ちかく経った2007年も終わりの今も、衰えるところを知らないようだ。
アメリカのゲイ・メディア、コミュニティとの関わりも、しかりである。
昨年2006年は、シカゴで第7回ゲイ・ゲームズが開催されたが、オープニング・セレモニーにはロッドとニッキーが出演、30000人の観衆の前で「If You Were Gay」を披露している


Gay Games 2006 website
Gay Games: Sports and Cultural Festival - 15-22 July 2006 - Chicago, USA
Gay Games VII Chicago 2006 2: Let the Games

Gay Games VII Chicago 2006 2: Let the Games


また、2006年3月からプリンストン/ロッド役に抜擢されているHowie Michael Smithが自身ゲイであることも、ゲイ・メディアには特別の印象を与えているようだ。
 
Howie Michael Smith website


そもそも、オリジナル・キャストのプリンストン/ロッド役であり、トニー賞主演男優賞にノミネートされたJohn Tartagliaも、オープンリー・ゲイである。サントラの素晴らしい歌は、彼の声だ。


Howie Michael SmithへのOasis MagazineやAfterEltonのインタビューは、ロッドに重ねてスミス自身のカミングアウトについて尋ねているが、ここでロッドの経験、演じるスミスの経験は、まぎれもなくすべてのゲイの観客の経験に重ねて共感されようとしている。そして、それは舞台を通して、ノンケ、ゲイを問わないすべての観客に開かれてゆく。


Oasis Magazineのインタビュー(2007年2月22日)。


Oasis Magazine - 22 February, 2007 - Howie Michael Smith Interview


−舞台であなたが気に入っている場面は?
 ああ、僕が一番好きな場面は、ロッドがカミングアウトするところ、自分はもともとルームメイトに恋していたのに、彼を失ってしまったとクリスマス・イヴに語ろうともがくところだ。なぜ彼はあんなに1人ぼっちなのか?他の人には皆誰かがいるのに?演じるという観点からすると、本当に偉大な瞬間だよ。ただすべてを投げ込んで、そしてただ、分かるだろう、客席から鼻をすする音が聞こえたら、「そう、OKだ、それで良かったんだよ」と言われているようなものなんだ(笑)。


−あなた自身のカミングアウトは、ロッドのように大変だった?
 僕はさっさとカミングアウトしたと思う。大学を出て,シカゴに移って、男とつき合い始めるとすぐ、「OK、皆に言ってしまえ」という感じだったな。待ちたくはなかった。僕はただ、その先起こりそうな不快な状況は、全部取り除いておきたかった。 だから、家に戻って、両親と家族にカムアウトした。良かったよ。


−では、初めてあなたがそれを受け入れ、自覚したのはいつ?
 ああ、たぶん、もう…いつだったのかも思い出せないけど、僕はたしか22歳のときカミングアウトした。6年前?たぶんそうだな。


−ねえ、このインタビューをするのは不思議ですね。私たちには若い読者がいます。彼らに繰り返し繰り返しこのストーリーを語って、いま彼らがいる場所を出たあとに人生があるのだと気づかせる(注:Oasis Magazineは若者のカミングアウトのサポートを行っている)。しかし、これがBroadwayWorld.comからリンクされると、完全に罵詈になるんでしょうね。「おやまあ、ゲイのブロードウェイ俳優だって?」みたいな。


 (笑)



AfterEltonのインタビュー(2007年5月2日)。


AfterElton.com - 2 May 2007 - Interview With Howie Michael Smith


AE:人々は様々な異なるテーマに関心を持つわけですが、ゲイの観客はロッドと彼の経験に惹きつけられます。この舞台は、ある種のカミングアウトの物語を、とても楽しく、とても優しく語っていますね。この部分を演ずるために、あなた自身のカミングアウトの経験を引き比べますか?
HMS:うん、それから得るところはあったね。特に、ロッドが第2幕で[『Avenue Q』のキャラクター]クリスマス・イヴにカミングアウトするとき。彼はほんとうに、完全に彼女にカミングアウトしていない。ちょっと薮の周りを叩いてみるようなことをしている。でも、彼女はそれを理解する。これは、僕が両親にカムアウトしたのと同じやりかたなんだ。僕はそれをちょっと利用した−ただ神経質に,興奮しているように感じながら、でもまた「彼らはこれをどう思うだろう?」「あまり多く話したくない」と。毎晩僕はそういう境地に辿り着こうとしているんだ。


AE:あなたはいろんなゲイ・イベントや運動に参加していますね。先週はBroadway Cares/Equity Fights AIDSのための例年のEaster Bonnet Competitionに参加しましたし。
HMS: 前は1つも出たことがなかった。ほんとうに楽しかったよ。僕はCheyenne JacksonとMo Roccaと一緒にスケッチを紹介したんだ。巨大な劇場で、 あなたがたの仲間たちの前で、ほんとうにすごく楽しかった。そして、多額のお金を集めたんだ…


AE:それから、昨年の夏、シカゴのゲイ・ゲームズで歌いましたね。
HMS:あれは大騒ぎだったよ。僕らはオープニングで、30000人の前で「If You Were Gay」を演った。もう、みんな狂乱したね! 面白い経験だったよ。それに、実際に、国の名前やアスリートの名前が呼ばれたとき、本当に感動的だった。なにもできなくても、楽しめるし、こうした体験に感動することはできるんだよ。


[※このあと、いきなりロッドがやってきて、カミングアウト、アウティング同性婚などについてAfterEltonのインタビューを受けるんだけど、これがえらい面白い。これも脚本家のジェフ・ウィッティのアイディアなんだろうか、いちいちしゃれたことするなあ、『Avenue Q』。]


2006年8月1日、Playbillの記事。


 27歳のスミスは容易に2人のキャラクター[ 注:プリンストンとロッド]両方と一体化するが、彼の最も魅力的で感動的な場面は、ロッドが第2幕で友人クリスマス・イヴにカムアウトし、なぜ自分には人生に「特別」な人がいないのか、と訊ねる場面だ。「初演のとき、父が観客席にいた。その瞬間、ぼくはなんだかそれを忘れていた。人々が鼻をすするのが聞こえた。彼らは泣いていた。観客が僕とともにいるのだと、本当に感じた。できるものなら、僕は毎晩その場に自分を連れてゆこうとするだろうね」。スミスは、自分はロッドがオープンリー・ゲイになってゆく道程が理解できる、という。「僕が父にカムアウトしたとき(22歳のときだ)、それは父にとってとても辛いことだった。僕らは小さな町で暮らしていた。数週間前、僕らは一緒にフロリダで休暇を取って、そのことについて再び語り合ったんだ。父は言った。『なあ?おまえを(『Avenue Q』に)観に来て、皆があの舞台をどんなに愛しているか見たあとで、私はそれがいいんだと思うようになったよ』。そして僕らは2人とも泣いたんだ」。


Playbill - 1 Aug 2006 - The Leading Men - MR. SMITH GOES TO BROADWAY



 「ほんとうに大勢の人が、ショーのあと僕のもとへやって来て言うんだ、『僕はロッドだ。あれは僕のことだ。完全に僕と同じだ』。でも、ショーの終わりには」彼[John Tartaglia]は間を置いてつけ加えた。「ロッドは'Hey, world!'*5みたいなものなんだ」。


2003年7月22日、ゲイ雑誌『Advocate』のJohn Tartagliaのインタビュー
Findarticles.com (Advocate, The, ?July 22, 2003) - Muppet boy makes good: the hit play Avenue Q tells a coming-out story in Sesame Street style?and predicts stardom for out puppeteer John Tartaglia - theater - Critical Essay



ロッドの歌う「If You Were Gay」や「Fantasies Come True」、「My Girlfriend, Who Lives in Canada」は、異性愛中心主義の下でゲイは身を隠すために右往左往「するものだ」と認めるのではないだろう。クローゼット・ゲイの悲喜こもごもを、「ゲイの立場なんてそういうものだよね」と笑って「納得」するための歌では、ないと思う。
Everyone's A Little Bit Racist(人は誰でも少し人種差別主義者)」のものすごいエスニック・ジョークが、「所詮人は人種差別感情から逃れられないもの」と、人種差別を「認める」歌ではないように。
ポリティカリー・アンコレクトな毒を含む歌の辛辣さを、「怠惰の口実」と取り違えてはならない。


描かれているのは、じゃあなにかというと、僕らが生きている「現実」なのだろう。


差別感情はふとしたときに出る、差別的ジョークに笑ってしまう、そして自分が言われれば傷つき,屈辱に歯軋りするが、そのくせ人の痛みを感じることはなお難しい。
ヤワな「政治的正しさ」の虚しさが「現実」のなかに露呈する。だが、「所詮は…」と開き直ることはできない。だって、僕らはこの「現実」を生き抜きたいのだから。


「所詮差別はなくならない」とか「マイノリティは疎外されても仕方ないのだ」と「認める」ことは、特定の誰かにとってだけ都合のよい世界観を受け入れることでしかない。それはむしろ、「虚構」だ。
そんな虚構の世界には回収できない、あまりに多様な人間が、しばしば相容れず、差別の痛みに呻き、なお生き抜こうとしている、それが世界の「現実」だろう。


『Avenue Q』のクローゼット・ゲイのドラマが笑いとともに描いたのは、そうしたむき出しの「現実」だ。そして僕らはその現実のなかで「息をつく」。そこには「少数者は疎外される」「差別はなくならない」という「虚構」が奪ってきた僕ら自身の居場所がある。
あるいは、「ゲイは黙っているしかない」「いや、カミングアウトするべきだ」という抽象的な議論が隠してしまう、僕らの実感を取り戻すことができる。
そしてそれを僕らは心おきなく笑う。ゲイは笑いの対象になっているかもしれないが、自分のことはまず自分で笑う。そしてまた先へ進む力を手に入れる。
厳しい「現実」が確かに受け止められていることこそ,僕らを「癒す」のだ。
『Avenue Q』は、(少なくとも僕にとっては、だけど)そういう物語に思えていたりするのだ。

*1:実際に人形の作製は『セサミ・ストリート』のスタッフ。

*2:「ジュディ、『カーネギー』、次の質問は?」と、あまり答えたくなさそうだが、カーネギー・ホールでのこの伝説のショーを、今年、同じくジュディ・ガーランドを熱愛するオープンリー・ゲイのアーティスト、ルーファス・ウェインライトが再現したのが、もしかして気になっていたりするのだろうか?

*3:『セサミ・ストリート』ではパペットを操る人形師が見えず、「人間」と「パペット」の境界をはっきりさせたうえで、人間・人形・モンスターが平和に共存し差別意識がない世界が描かれている。一方、『Avenue Q』では、人間と人形、人間とモンスターの境界は曖昧に溶解しているのに、差別意識が存在するのだ。この対照と、後者のリアルさが、とても面白い

*4:youtubeの映像を見ていると、1人2役は人形芝居ならではの舞台効果−素早く人形Aをサブの人形師に渡し、人形Bとともに再登場する、といったテクニカルな面白さも生み出しているようだけれど、同時にキャラクターの個性を曖昧にする役割も果たしていると思う。プリンストンとロッドのほか、真面目で夢見がちなケイト・モンスターと妖艶で男を手玉に取るルーシー、陽性ニートのニッキーと陰性引きこもりのトリッキーが、それぞれ1人2役で、女性ジェンダーの規範的な「善」と「悪」、自由な人間の光と闇の境界を突き崩す効果を出しているように感じられる。

*5:'Hey, world!'が何を指すのか分からないのだけれど、ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』のナンバーで偉大なゲイ・アンセム「I Am What I Am」の一節、「Hey, world! I Am What I Am」だろうか?