彼以外の他の誰でもなかった彼


昨日9月5日はフレディ・マーキュリーの誕生日だった。
1946年生まれだから、生きていれば61歳で、まだ元気に歌っていただろう。
昨年は生地ザンジバルで生誕60周年の祝賀が開かれようとしたが、宗教的な圧力で潰されたと聞いた。今年はどうだっただろうか。


フレディ・マーキュリーというと、その楽曲やヴォーカルやパフォーマンスだけでなく、その出自にも興味を惹かれる人が、けっこういるのではないか、と思う。
インドのゾロアスター教徒(パールシー)の家庭に生まれ、アフリカのザンジバルで成長し、インドで教育を受け、英国に渡り、世界のロック・スターになった。
フレディ・マーキュリー−ウィキペディア
Freddie Mercury - Wikipedia.en


生まれ=民族=国籍=故郷=文化がきれい1つに揃っている人間なんて世界でそれほど多いわけじゃなく、そうしたアイデンティティの境界を生涯で2回3回超えている人は、別に珍しくはない。
彼は、そういう境界線上に生きた人の1人だった。


でも、境界線で一色ずつ分けられたアイデンティティは、そうした人を放っておかない。
このエントリで引用したゼイディ・スミスの『ホワイト・ティース』(isbn:4105900234,isbn:4105900242)で、フレディ・マーキュリーは、そうしたアイデンティティのカテゴリーに奪い合われる人として登場する。
「異なる文化を尊重しましょう」と得々と多文化教育を行うロンドンのイングランド人小学校教師は、「私たち(英国)の文化の音楽」として、QUEENとフレディを引き合いに出す。その傍らで、そのイングランド人教師に恋いこがれるバングラディシュ移民の中年男は、フレディはインドで暮らしていた色白のペルシャ人だったよなと思い出しながら、それを黙って聞いている。


これは、旧大英帝国が旧植民地に対して行っている文化的収奪や、「私たちの文化」も多様なものからなりたっていることに気づかない鈍感さを、皮肉っているひとこまだと思う。
しかし、民族的出自とブリティッシュ・ロック、どちらにフレディ・マーキュリーを「おらがモノ」として縛る権利があるのか?読者には結局分からない。


「フレディの宗教」としてゾロアスター教に言及する語りは、ネットで検索しても、それなりにザクザクと出てくる(フレディの葬儀は、ゾロアスター教の司祭によって執り行われた)。
Famous Adherentsは、さまざまな宗教の有名人をリストアップしたサイト(たとえばリチャード・ギアチベット仏教徒、など)だが、フレディはゾロアスター教徒の有名人の中に入っている。
Famous Adherents-Famous Zoroastrians - The Religious Affiliation of Freddie Mercury
または、彼の音楽やパフォーマンスをインドのゾロアスター教徒の出自と関連づけたり。
僕はゾロアスター教のことは全然知らないし、フレディのこともコアなファンのように知っているわけではないので、こうした語りをどう取ればいいのか、よく分からない。
同じゾロアスター教徒以外の、キリスト教徒や仏教徒が語る場合、フレディがゾロアスター教徒という「異教徒」であったことは、なにかなし関心をそそる材料なのではないか、と、想像しないでもない。
変則的なものとしては、「フレディの悲劇的な死は誤った宗教のせい」などと主張するクリスチャン系サイト、なんてのもある。


「インド人」としてフレディ・マーキュリーを見るスタンスもある。彼の伝記映画やドキュメンタリーは、当然その出自に遡っている。
興味深かったのが、月刊『インド通信』さんのバックナンバー記事。
「インド人としてのフレディ・マーキュリー」について書いておられるが、フレディが属していたパールシーの社会のいきいきとした描写が、とても面白い。
インド通信バックナンバー 1999.10.1発行、第252号
インド通信バックナンバー 2006.12.1発行、第338号

こちらもだ。
誰も知らないインドカレー−極私的インドとロック パート6 〜偉大なるインド人ロッカー、フレディ・マーキュリー〜
その名の通りインドカレー料理研究家さんのサイトなのだが、ロックとインドについてのコーナーが面白く、その中には当然、フレディの一章がある。


こうしてスーパースターのルーツを追うことは、ファンを興奮させる。
だが、フレディ自身は、インド人というバックグラウンドを語らなかった。彼の民族的出自が公に語られるようになったのは、その死後だ。
時代的制約のために語れなかった、というのが大方の理解になっているようだ。しかし、フレディが自分のルーツをどう考えていたのか、ということは、もう知ることはできない。
フレディ自身のアイデンティティの表現がない以上、彼という稀有のパーソナリティの「起源探し」は、どこまでも解答がない仮説でしかない。


彼のセクシュアリティについても、じつはそうなのだ。


彼はエイズ合併症に罹っていたことは公表したが(当時、非常に勇気のある行動だ)、公にゲイだとカミングアウトしなかった。
が、彼がゲイだというのは周知の事実、ということになっている。
が一方、彼が「家族」と呼ぶほど大切にしていたのは、ガールフレンドだったメアリー・オースティンさんだというのも、よく知られている。
オースティンさんはフレディの巨万の財産の半分を相続し、遺灰も彼女の手元に保管されているという。


どういう、とは具体的に言えない印象に過ぎないのだけれど、フレディの生涯についてネットであれこれ検索して読んでいたとき、僕はなんだか少し居心地の悪い気分になったことがある。
フレディのセクシュアリティをめぐって、ゲイとヘテロが「奪い合い」をしているような気がしたのだ。


フレディはゲイのスーパースターである、とか。
フレディはゲイだが、最も愛したのは女性である、とか。


スーパースターの出自やセクシュアリティが「主流ではない」場合、往々にしてそれは無視され、隠蔽され、スルーされる。そうした黙殺の行為は,僕を苛々させる。
だが、フレディ自身が何も語らないまま逝った後、彼の宗教的ルーツや民族的ルーツやセクシュアリティを云々することは、いったい「なんのため」で「誰のため」の行為なのか、ということも、同時に僕の頭に引っかかる。


たとえば僕にとっては、フレディ・マーキュリーが「ゲイのヒーロー」で英国人とは違う「アジア人」であるほうが、都合がいいのだ。なんたってロマンがある。僕がいい気分になれる。
だが、フレディ・マーキュリーアイデンティティを都合良くピックアップして悦に入る、そんな資格が僕にあるのか、というと、ない。


彼にはさまざまなルーツやバックグラウンドがあった。そういうルーツやバックグラウンドを負いながら、なにより彼は彼以外の何者でもなかった。空前絶後の「フレディ・マーキュリー」だった。


人のアイデンティティは、その人だけのものだ。そして人は、その人という人以外の何者でもない。
フレディ・マーキュリーという人は、そんなことを僕に絶えず思い出させる人でもある。


そういうわけで、昨日はフレディの誕生日だった。生きていれば61歳だ。元気に歌っていただろう。