中村中さんのイツハク


はじめて中村中さんのブログを読んだ。
読んでいたら、彼女が「ヘドウィク・アンド・アングリーインチ」で演じた役、ヘドウィクの夫イツハクについて、こう書いているのに出くわして、思わずハッとさせられた。

あたしは髭面で、女の格好を禁じられた女。
でも旦那だ。
いや、「だから」のほうが正しいかな?


だから旦那だ。 だね。


旦那っていうのはどんな時も、例えば何かあって別れる時でも、旦那らしく「男の方が格好悪くなくちゃいけない」「女には恥をかかせちゃいけない」っていう姿をやりきらなきゃいけない生き物だと思ってる。


男って本当はそういうもんだと思う。(あたしが思うだけだけど)


女はそこで甘えなくちゃいけない。
上手に騙されてやるのが女だ。


追求してはいけない。
問うのはいけない。
ただ黙ってうなずく。
男はわかってて格好悪い姿になる。
だから今以上男に恥をかかせないように、全てに騙されなくちゃいけない。


例えばそれが、見え見えの嘘でも、涙のひとつくらい零して、男に「あぁ、泣かせちまったぜ。惨めだぜ、バカ野朗だぜ俺は」くらい思わせてやって調度いいくらいだ。


中村中ー恋愛中毒ー2007/02/15−本日、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチの産声がノ

「ヘドウィク」は何者か(僕は映画しか観ていないが)。


ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」に登場する「身体」や「セクシュアリティ」はあくまでシンボリックなもので、「ヘドウィク」がいったい何者で「イツハク」がいったい何者で2人の関係はいったいどういう関係なのか、具体的な説明はなにもない。


観客は、それぞれに自分自身は何者かという思い、自分と他者や社会との関係性を投影しながら、この物語に感動する。


だからゲイの僕は、ヘドウィクを「(なりゆきで性を変更する手術に失敗した)ゲイ」と見た。そして、いつ頃からか、ヘドウィクとイツハクの悲しい夫婦関係を、「より立場の強いマイノリティが、より立場の弱いマイノリティを殴る」構図だと思うようになっていた。


マジョリティから見れば同じものにしか見えない「壁の向こう側(マイノリティの世界)」にも、さまざまな人間がいる。その中で、より立場が強く、派手に自己主張できる者(たとえばゲイ)が、より立場の弱い者(たとえばトランスジェンダー?)を抑圧する、しばしば起こることだ。
だが、「壁のこちら側(マジョリティの世界)」からは、その齟齬は見えない。西側世界からは「東側」とひとくくりにされているヘドウィクの出身地が東ドイツ、イツハクはクロアチアであるように。


政治的すぎて、物語を矮小化する見かたかもしれないが、さまざまな切なさ、美しさを持つヘドウィクが、「夫」のイツハクに対して見せる態度は、しばしばシャレにならないほど醜い。自分に楯突いたからという理由で、相手の法的生存権(パスポート)を目の前で引き裂く。滅茶苦茶である。


なんのかんの言って、ヘドウィクは結構喋る。自分の悲嘆を喋り通しだ。だが、その傍らで、イツハクはただ沈黙している。立て板に水のヘドウィクの悲嘆より、イツハクの沈黙は重いことを、ジョン・キャメロン・ミッチェルは分かって描いただろうと僕は思う。


だからこそ、ヘドウィクがイツハクを解放し−彼女への依存を止めー髭面のイツハクがあでやかなドレスの美女に変貌して、ヘドウィクが歌う偉大な女性たちとすべての負け犬たちに捧げられた歌に送られて旅立ってゆくシーンは、すばらしく美しい。あれは、ヘドウィク自身の解放の瞬間だったのだ。


そう思っていたのだけれど。


上の中村中さんのブログを読んで、僕が思いもよらなかった、まったく違う感覚に触れたという気がした。


なんというか−これは僕の勝手な思い込みに過ぎないかもしれないけれど。


この人は、「本来の自分でない自分を引き受けて、毎日を生きる」感覚を知っている人だ、と思った。


僕は、イツハクが髭面の旦那役に苦しみながら耐えているのは、ただヘドウィクがそれを強制しているからだと思っていた。そんなヘドウィクをイツハクが愛していようとは、思いもしなかった。
だが、中村さんのイツハクは、ヘドウィクのために、敢えて「男」の役を引き受けようとしていた。
自分でない役割を、大切な人のために耐える。
男とか,女とか、そんな役割が与える圧力と、その真逆の不確かさを分かった上で。
それを知っている人だ、と思った。



一口に「性的少数者」と言っても、僕は、トランスジェンダーのこともトランスセクシュアルのこともGIDのこともレズビアンのこともバイセクシュアルのことも知らない。


でも、誰かの何気ない言葉から、その人にとってはあたりまえの情景から、何かを知って驚く一瞬がある。
誤解かもしれないし、僕の思い込みに過ぎないかもしれない。
それはその人たち「自身の想いや現実」というより、僕が僕自身を少しでも偏狭さから救い出すための何か象徴的なきっかけだ、といった方がいいと思う。
そういうものに触れるたび、僕はハッとさせられる。



中村中Website「恋愛中毒」
ヘドウィク・アンド・アングリー・インチ公式HP
日本舞台版ヘドウィク・アンド・アングリー・インチ公式HP