ルーファス・ウェインライトのじょそう


人様のブログにリンクするとき以外あいかわらず大した中身のない軽量ブログGO WESTですこんばんは。


今日リンクさせていただくのは、これまでもなんどもリンクさせていただいている最強Pet Shop Boysサイトマスター・マーガレット様のPSBライブ鑑賞レポート@パリ・ロンドン。


マーガレットの妄想日記―「パリ・ロンドン一人ツアー?」


まるで街を歩いている気分になる散策記、愛に溢れたライブレポート、充実してます。
ここで取り上げる注目トピックは、レポートのメインテーマからは外れてしまうのだけれど、パリでのルーファス・ウェインライト・ライブのレポート
マーガレット様撮影の貴重なルーファス・ウェインライト女装ナマ(?)画像が見られる。


さっそくYoutubeに上がっているライブ映像とあわせて必見・必読だ!


Rufus Wainwright - Come On Get Happy - Live @ Le Trianon, Paris (2007)


ルーファス・ウェインライトがオープンリー・ゲイのアーティストであることは言うまでもないけれど。彼の音楽のファンは、いちいちそんなことは気にしていないだろう。
もちろん、僕も気にしない。たしかに彼がゲイであることに親近感を持つし、彼がゲイ的なテーマをこめた曲を思い入れを持って聴いたりする。だが、ルーファス・ウェインライトを「ゲイが書いた音楽」という枠に押し込めるのは、彼の音楽を矮小化することだとも思っている。つきつめたところ、音楽のよさは性別や性的指向と関係ない。



だがそれでも、ルーファス・ウェインライトはゲイ・アーティスト、としか言いようがない。
それは、歌詞にゲイネスをはっきり表現するというだけじゃなく、彼がゲイとしてナチュラルに吸収してきたらしいゲイ文化を、またえらくナチュラルに漏洩しているところからも、感じとれる。
マーガレットさんも書いておられる、ジュディ・ガーランドをカバーするという最近のパフォーマンスもそのひとつ。
女装・ドラァグもそのひとつだ。彼のアルバム『Want Two』のジャケットが、ちょっと惚れ惚れするような女装なのは見てのとおりだが。

Want Two (CD / DVD combo)

Want Two (CD / DVD combo)



ぶっ飛ぶような汚れヘンタイ系もやっている。


なかなか多くのアーティスト画像を持っておられる Olivergray.comさんの画像。
diebertrandenさんの画像。


僕らは、好きなアーティストを「人」として見て、愛する。そのジェンダーセクシュアリティは、たいして重要じゃないと考えている。
でも、どんなアーティストだって、ごく自然にまとっているジェンダーセクシュアリティがある。男性アーティストなら(大抵の場合)男子カルチャー、女性なら女性カルチャーを、ファッションやパフォーマンスの中であたりまえのように滲ませている。それが魅力にもなっている。
それと同じように、ルーファス・ウェインライトは、あたりまえのようにゲイカルチャーをまとい、滲ませている。しかも、彼のその身振りには、なにか特別に「変わったことをしている」という感じが、全然ない。
いや、↑の女装ダンスや汚れドラァグを「変わってない」とは、世の人びとは思わないかもしれない(つか、思わないだろう)。だが、ルーファスはこれをただ楽しいから、面白いから、自分が好きだからやっているという感じがする。普通ならゲイの二重生活の後ろ側に押し込まれて隠される趣味を、彼はさくっとパフォーマンスに取り入れてしまう。なんだか彼にとって、ゲイカルチャーとは少しも隠れたもの、特殊なもの、ゲイバーやクラブの中に閉じ込められたものではないんじゃないか、とさえ思えてくる。


アーティストの個人的なセクシュアリティは作品に関係ない、とは思う。
でも、女性アーティストが化粧してフェミニンな服を着たり、男性アーティストが男性的なファッションやたたずまいをしたり、彼らの個性の一部として自然に見える、ライフスタイルとしてのジェンダーセクシュアリティはあるわけだ。
それと同じように、レズビアンやゲイの好みやライフスタイルが、そのアーティストの一部として自然に目に見えたって、少しもおかしくない。
ルーファス・ウェインライトは、パフォーマンスの中で、あたりまえのように自分がゲイで、ゲイ文化が培ってきたものを楽しんでいることを見せる。別にラディカルなメッセージ性を持たせるわけでもなく。そしてファンにも楽しませてしまう。
その自然さには、少し驚かさせられてしまう。
もちろん、こういうパフォーマンスには好き好きもあると思う。しかし、この手の遊びがわりと好きな僕としては、本当に彼は「オープンリー」なゲイ・アーティストだなあ(?)、と感心してしまうのである。