サル・ミネオのセクシー・ショットその2

またかよ!


「サルたんのセクシー画像萌え〜!」と100%スケベ心だけで掻いた書いた前ネタをなんで恥ずかしげもなく繰り返したいのかというと、どうにもサル・ミネオという人が面白いからである。
とはいえ、僕は映画や演劇にぜんぜん詳しくないし、彼の出演作は簡単に手に入らないものも多いし、ネットの関連情報をあれこれかじってみると、というレベルの話なのだが。


オフィシャルサイトwww.salmineo.comは、サル・ミネオのことを「公に同性愛者としての生を受け入れたたぶん最初のハリウッドのメジャー俳優で、後のゲイ俳優たちのパイオニアだった」と評している。
同性への性的指向に素直に生きただけでなく、俳優として自己表現した。キャリアの後半は凋落の憂き目を見たが、メインストリームから外れることで自由になり、ゲイ表現の方へ向かっていった。珍しい人だったのではないかと思うのだ。


サル・ミネオがバイ(どっちかというとゲイ?)として生きた1960年代後半〜70年代前半は、アメリカのゲイ・リベレーションの大転換期である。
そうした時代の動きと、サル・ミネオが関係あるのかないのか、僕は知らない。
彼のゲイ表現は、今的なセンスからすると、あまり良い評価がつかない。AfterElton.comの「ゲイのステロタイプ、ホモフォビア、スクリーン上の悪役:ハリウッド製の戦い」という記事は、1950-60年代のハリウッド映画が生産していたネガティブな同性愛者イメージの中に、サル・ミネオを位置づけている。

Gay actor Sal Mineo set a new standard in suspect, off-color character behavior in films like Rebel Without a Cause (1955), Who Killed Teddy Bear (1965) and Fortune and Men’s Eyes (1971).


ゲイのアクター、サル・ミネオは、『理由なき反抗』『Who Killed Teddy Bear』『Fortune and Men’s Eyes』で、(ゲイを表す)曖昧でいかがわしい身振りの新しいスタンダードを作った。


afterelton.com- Gay Stereotypes, Homophobia and On-Screen Villains


ポール・ニューマン主演『栄光への脱出』(1960)での17歳のポーランドユダヤランドー役は、『理由なき反抗』(1955)に並ぶサル・ミネオの代表作だが(この作品で再びアカデミー助演男優賞にノミネートされた)、これにも同性愛嫌悪的な場面がある。
絶滅収容所で生き残ったランドーを、ナチにこびへつらった裏切り者だったのではないかと、仲間が責め立てる。するとランドーは、自分が生き残れたのは「ナチに女として使われた(They used me. They used me like you use a . . . a . . . woman)」からだと慟哭する。
「同性愛者のナチ」は、ナチをモンスター化したい連合国のチープな想像力の産物だろう。その徹底してホモソーシャルな軍隊組織の内部が実は腐っていたと言いたいがために、スティグマとしての同性愛=退廃イメージを持ち出す。リリアーナ・カバーニがクソ映画『愛の嵐』で使ったのも同じ手である。何千人もの同性愛者を収容所で虐殺した、むしろヘテロセクシズムの怪物であったナチが、「同性愛者」として貶められる。『栄光への脱出』のホモフォビックな表現が、サル・ミネオが漂わす同性愛的エロティックさで盛り上がっているのだと思うと、たしかに複雑な気分になる。

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しかし、サル・ミネオという人が僕にとってインパクトがあったのは、彼がその短い生涯で、同性愛者のプライドやアイデンティティといったことより、同性愛の欲望そのもの、もっとはっきり言ってしまうとゲイの男への欲望を、ダイレクトに表現してしまったように見えるところだ。
男への欲望をスクリーンにダダ漏れにしたゲイ/バイ映画監督は(ヴィスコンティのように)けっこういそうだけれど、それを自分の体で、ポルノグラフィックなぐらい直裁に演じてしまったゲイ/バイ俳優というのは、珍しいのではないか。


サル・ミネオが自分の同性への性的指向を自覚したのは60年代前半(20代半ばぐらいか)だそうだが、それ以前からこの人は、「御用達」と言いたいぐらいゲイ的欲望にかなっていたように感じる。


繰り返しになるけれど、『理由なき反抗』のプラトーは、スクリーンに登場したはじめてのゲイティーンと言われる(ジムとプラトーの関係に同性愛を匂わせることを提案したのは、バイセクシュアルのジェームズ・ディーンだったそうだ)。16歳にしてゲイ映画史に金字塔を打ち立ててしまった。


また、彼はビルダーで、不良少年役で売っていたこともあってか、やたら脱ぎっぷりがいい男である。www.salmineo.comのフォトギャラリーを見ると、どうしてこんなに脱いでくれるんだというぐらい裸が多い。ほんとうにこれがみんな「Mineo Mania」と呼ばれたお嬢さんがたのためだけのサービスショットなのか、お兄さんのことも考えてくれてたんじゃないか、と思いたくなる。

CONSENT FROM www.salmineo.com


ディズニー映画『Tonka』(1958)もその一つ。ネイティブアメリカンの青年White Bullと名馬Tonkaの物語だが、サル・ミネオのエロいコスプレが、またゲイ男子ズのスケベ心をそそったらしい*1


CONSENT FROM www.salmineo.com


ネイティブアメリカンコスプレ萌え〜!…って、これじゃビレッジ・ピープルですよ。


彼の凋落は1960年代半ばに急に来た。20代半ばにさしかかり、いいかげん薹が立ってきたのに、若者役のタイプキャストを抜けられない(ああまたゲイの凋落そっくり…)。
でも、彼のメジャーからの転落は、彼がセクシュアルに自由になることと同時並行だったように見える。個人的にも、表現者としても。この時期に主演した『Who Kills Teddy Bear?』(1965)は、えらいエロ映画らしいが、カルトムービーとして高い評価を得ている。


Who Killed Teddy Bear?


彼が本格的にゲイ演劇に踏み出すことになったのは、『Fortune and Men's Eyes』(1967原作)の監督だ。
刑務所における同性レイプを題材にし、社会における同性愛者抑圧と刑務所の非人道性を描いた。40ヶ国語に翻訳され100カ国以上で上演された、カナダで書かれた戯曲で一番有名になった作品だそうだ。


Canadian Theatre Encyclopedia―Fortune and Men's Eyes

サイトもある。


この上演権を買う資金のなかったサル・ミネオは、乏しい財産をラスベガスで一か八かのギャンブルにかけたという*2。また、この上演は、事実上のカミングアウト覚悟だった*3。1969年ロサンジェルスで上演。劇評、特にゲイプレスから好評を得て、さらに9ヶ月間NYで上演する。ストーンウォール暴動の年だ。まさに時代は変わりつつあった。


理由なき反抗』の頃、サル・ミネオはバイセクシュアルの自覚はなかったが、バイのジェームズ・ディーンを熱烈に崇拝していた。彼の演技メソッドも趣味―ドラム、ボクシング、ボディビルディング―も、ディーンの影響を受けたのだという。バイだからジム大好きだと思ってたけど、違うんですね。
『反抗』の撮影時ディーンとデキていたと噂されたらしいが、これはサル・ミネオ自身が否定している。伝記作家のH. Paul Jeffersに彼は、「もし僕が男が男を愛することができると知っていたら、ありえたかもしれないね。でも、僕がそれに現実感を持つにはあと数年かかった。ジミーと僕のためには遅すぎたのさ」*4と語っている。
だけど、『Fortune and Men's Eyes』のときは、もう「知っていた」わけだ。この舞台のプログラムには、「ジミーの思い出のために」とミネオのメッセージが添えられたディーンの写真が載っている。
まったく関係のない舞台のプログラムにディーンの写真を載せたミネオの意図は分からないが―宣伝のためかもしれないが―これはミネオからディーンへのラブレターでもあるのだろう。そして、映画のジムとプラトーの関係がなんだったのか、15年経って決着がついた、ということでもあるのかもしれない。


CONSENT FROM www.salmineo.com

『Fortune and Men's Eyes』のプログラムに掲載されたJ.ディーン


1976年、サル・ミネオはコメディP.S. Your Cat is Dead!でのバイの泥棒役が評価されていた最中、強盗の手にかかって37歳の生涯を閉じた。


華やかなキャリアの前半と比べると、落ちぶれた俳優ではあった。だが、終わった俳優ではなかった。もう少し生きていれば、ゲイ俳優としてなにかをやったのではないか。彼の神話化された師であり英雄であったバイセクシュアルのジェームズ・ディーンが行かなかった場所にまで行けたのではないかーそんな妄想をしたい誘惑にかられる、そういう人なんである。サル・ミネオという人は。


ところで。
もはやあまり名の知られていない故・過去メジャー俳優になぜオフィシャルサイトがあるのか。ちょっと驚いたのだが、その理由を。
オフィシャルサイトwww.salmineo.comの管理人John Segerさんは、ジェームズ・ディーンの親戚だそうだ。ディーンとミネオの友情のために、彼を記念するサイトを開いたのだという。
すごく充実したサイトで、貴重な情報や画像がたくさんある、すばらしいサイトだ。
サル・ミネオがバイセクシュアルであることをことさら軽視もしないし、強調もしない。ただ、サル・ミネオというアクターを深くリスペクトし、大事にしている。


これからもがんばっていただきたいなあと思う。
関心を持った方は、ぜひ閲覧を。


で、最後にセクシー・ショットをもひとつ。


あんまりセクシー…って、わけでもないか。でも、カワイイですね。