ナタリー・ポートマンは「選択的バイセクシュアル」になるのか?

いいかげん古いネタなのだけれど、気になっていたニュース―


NCR2−ナタリー・ポートマン「同性との恋愛もありえる」

ナタリー・ポートマン(Natalie Portman)が同性との恋愛もありだと語っている。
ポートマンは、過去に同性と関係を持ったことはないが、交際の可能性がないとは言えないと告白、「女性と交際したことはないし、それっぽい経験もないけど、恋する相手によるとは思うわ。人口の半分を除外する理由はないわよね」と語ってる。

ナタリー・ポートマンは、地球人口の半分を恋愛の対象から外してしまうのはもったいないので、相手がいれば女性と恋愛してもいいと思っているそうで、同性愛に関してはオープンな考えを持っているようだ。「女性とデートしたことがあるとかいうわけではないけど、相手が男性か女性かということより、どういう人間かということのほうが大事だと思うの」「50%の人間を恋愛対象と見なさないなんてもったいない」と語っている。

OCNシネマ生活―ナタリー・ポートマンは同性愛志願?

Hollywood actress NATALIE PORTMAN would consider embarking on a lesbian relationship, because she doesn't want to cut herself off from half of the world's population. The Star Wars beauty admits she has never dated a woman, but is open to the idea of a same-sex relationship. She says, "I've never dated a woman or anything like it, but I think it's much more about the person you fall in love with. "Why would you close yourself off from 50 per cent of people?"

AfterEllen.com-Natalie Portman, I will gladly be your "first."- NATALIE PORTMAN CONSIDERS LESBIAN AFFAIR


僕はナタリー・ポートマンのことはあまり知らないが、ガエル・ガルシア・ベルナルを食ったとか振ったとか聞いて以来なんとなくビッチ認定していたので(←オイ)、このニュースを読んだときも「ポートマンにアミダラ・パワーで食い荒らされるレズビアンやバイ女性が続出するのか」と失礼な嫌疑をかけてしまった。悪かったナタリー。


だいたい、ナタリー・ポートマンほど、ビッチとはほど遠い俳優もいないのである。びっくりするような高学歴、演じる役でも女性の性的描写に注意したり若い女の子のロール・モデルになることを心がけたりと、意識の高さで知られている。真面目なユダヤ教徒でもある。人種問題がらみの舌禍事件を起こしかけ、誠実な謝罪で逆に高い評価を受けたりもした。
この「同性との恋愛もありえる」発言の反響を、詳しく追ったわけではないので分からないのだけれど、たぶん言えるのは、この人が「政治的に正しい」確信なしにこういう発言をしているはずはないだろう、ということである。


正直言うと、まあ、よくあるバイ・ワナビーな発想だな、と感じた。「バイなら倍楽しい」というわけだ。バイセクシュアル差別でいやな思いをしたことがあるバイには、「なにを呑気な」と思う人も、いるかもしれない。


ナタリー・ポートマンのような恋愛観を、「選択的バイセクシュアル」と名づけてみる。
ほんとうは、こうしてカテゴリー化するのはよくないのだ。ポートマン自身「レズビアン」とも「バイセクシュアル」とも言っていないし、むしろそうしたセクシュアリティの線引きを無化することこそ、彼女の狙いだったのかもしれない。
それを分かった上で、とりあえず、彼女のセクシュアリティを「選択的バイセクシュアル」と名づけてみる。


「選択的レズビアン」というセクシュアリティがあるそうだ(参考: みやきち日記ー選択的レズビアンって、多いの?少ないの?)。「自分の意志で、それも、多くは政治的・フェミニズム的意図をもって、レズビアンであることを選んだ人」 で、フェミニズムと女性同性愛が一部クロスする歴史があったからこそ生まれた選択的セクシュアリティなのだろう(「選択的ゲイ」というのは、あまりいそうにないのだ)。


僕がいま想像している「選択的バイセクシュアル」というのは、そういうアクティブな政治的な意味合いとは、たぶん関係ない。ポートマンのように「異性だけじゃなく両性愛せたらいいんじゃない?」とバイセクシュアル体験に期待感を抱く人だ。同性愛や両性愛に拒否感はなく、むしろ興味がある。たぶん女性が圧倒的に多く、男は少ないだろう。


以前、同性愛@2chでノンケ来訪者の質問を受けつける一般質問スレをしばらく見ていたことがある。そこでもっとも多かった質問の1つが、「私はレズビアンまたはバイの素質があるのではないか」という女性からの質問だった。過去ログを引っ張ってこられないので具体例は紹介できないが*1、そういう質問のたびに「またか」と思ったぐらいだから、相当多かったのだろう。男からの同じ質問は、とても少なかった。
女性のセクシュアリティのことなので、はなはだ曖昧な想像になってしまうのだけれど、性欲がかなり単純に分かる男(勃つか勃たないか)と違う女性の性愛感覚が、ヘテロか、レズビアンか、バイセクシュアルかという性的指向のはっきりした線引きになじまない一方、それを比較的軽く飛び越えることができるのだろうか。
むろん、男にもそういう感覚を持つ人はいると思う。だが、男はそういう性愛感覚を表に出しにくい。女性のほうが敏感で、発露しやすいのだろう。

志木令子「レズビアンバイセクシュアル女性の「セクシュアリティ」」
クィア・スタディーズ編集委員会 編『クィア・スタディーズ'96』1996年


僕は、ポートマンが口だけではなく、魅力的な選択的バイセクシュアルとして行動すればいいのに、と思う。選択的バイセクシュアルにも、 ロール・モデルが必要じゃないだろうかと思うのだ。というのは、そもそも僕がポートマンの発言に関心が向いたのも、前に見たこんな掲示板のやり取りを思い出したからなのだ。

最近バイかもしれないと思っている女です。
だからなんやねんってカンジですが、どうしたらいいか分かりません。多分どうもしないんですけど…。
中高が女子校で、昔から「あ〜この子カワイイなあ」と女の子に対して思うことがよくありましたが、それはペットや赤ちゃんに対して思うような気持ちかと思ってましたし、今まで付き合って来たのは男の子だけです。
しかし最近ゲイの友達と話していたとき「自分がゲイだと分かったのは同性とHしたいと思ったことに気付いたからだ」とその友人に言われ、そういえば私は昔から女の子とのHという概念(またはその可能性)に抵抗がなかったなあ、と思い至りました。また、以前同性愛について女子校時代の友人達と話していたときに(実際校内でカップルが数組いたので)、私が「したことないけど私は女の子とHできると思うわ〜」と言ったらドン引きされました…。普通の女の子は引くけど私は引かない、ってことは私はバイ、またはその素質があるのでしょうか?

kyoto-u.com京大生のためのコミュニティサイト―談話室―相談―バイかもしれないです


この女性の問いかけは、同性愛@2chスレに質問に来た女性たちとほぼ同じである。これを読んだ僕は、やはり「またか」と思った。
同時に、この掲示板の人を含む「バイかもしれない」人たちは、なぜそれを「人に尋ねる」のか、承認を必要としているのか、と不思議に思った。

私は今も昔も、特定の女の子と付き合いたいと思ったり恋愛と言う意味で好きになったことはありません。しかしそれは男の子に対してもそうなのです(自分から好きになったことがないです)。だから積極的にレズってわけではないと思いますが、もしも仲のいい女の子に迫られたら興味本位でHしてしまうと思うし、付き合ってと言われたら、自分に彼氏がいなければ付き合うと思います。
自分からアプローチすることは一生ないと思いますが(上のおいおいさん※のように思われる方が多数派かと思いますので)、同性と付き合うとかHするとかは興味あるのです。中高が女子校だったということも関係しているかもしれません。
なんというか、ゲイやレズやバイを気持ち悪いと思うことそのものがよく分からないんですよね…。特に男性は抵抗感が強いように思います。


※おいおい=「思い悩むのは結構だけど、倍でも何でもない他人に迷惑を賭けるのだけはやめてくれ。お前らだって猿とか馬に欲情されたり「俺は人間とエッチしたいと思ったことに気づいた」とか言われたら気持ち悪いと思うだろう」と言った人。


この人は、なぜ自分をバイセクシュアルだと思えないのだろう。人のセクシュアリティをわずかな文章だけで云々するのはいけないとは分かっているが、これだけ頭の中をバイセクシュアル的性欲で漲らせていれば、東西南北どこから見たってあからさまなバイじゃねえかと僕などは思ってしまう。
恋愛には受身の待ち子らしいが、同性との恋愛・セックスには関心は大ありである。同性愛にも偏見はない。じゃあ、この掲示板のやり取りのなかで、この人が自分をバイセクシュアルと言えない唯一の障害はなにかというと、「バイセクシュアル」は「引かれる」、いつ「サル」「馬」と悪罵を投げつけられるか分からない立場だということ、それではないか。
トゲのある言いかたになるが、 「セクシュアルマイノリティという二級市民として扱われる」ことで負わされる偏見と危険が怖いのだ。


明らかにこの掲示板の流れには同性愛嫌悪的なものがあって、この人もそれに迎合せざるを得なかったのだろう。だが、僕にとってやりきれなく思われるのは、自分のバイセクシュアル的性欲を認め、同性愛に偏見はないと言いながら、「自分から同性を求める人間」とは同一視されたくない、バイセクシュアル・同性愛者を「サル・馬」と呼び捨てる偏見に同調して疑問を感じていない自分に、この人自身が気づいていないということだ。

こう考えると、結局、「性的指向の違い」というのは「性愛の違い」「どうしても受けつけない生理的感覚の違い」なんかじゃなく、ほんとうに「社会的地位の差」でしかないと思う。


セクシュアリティは、選択できるものなのだろうか。
同性愛者の「性的指向は選べない」という主張は、根本的なところで脆弱だ。セクシュアリティは、たぶん、選択もできるからだ。
それでも多くの同性愛者が、自らの性的指向が非選択的であることを守らねばならないのは、「同性愛は好きで選択していることだ」という根強い偏見に抗わねばならないからだ。「好きでやっているんだから差別されてあたりまえだ」「自業自得・『自己責任』だ」「治療すれば異性愛者になる」―こういう侮辱は、今でもある。さまざまな権利を奪う口実にもなっている。人生をめちゃめちゃに壊された人もいれば、命を落とした人もいる。それは分かって欲しいと思う。


セクシュアリティは人によって選択できないものでもあり、選択できるものでもある。そして、選択したものであれしなかったものであれ、人をセクシュアリティによって差別してはならない。


セクシュアリティを比較的気軽に選択できるものだと考えることは、一つの可能性だと思う。自分のセクシュアリティを束縛のように感じ、その束縛感に抑圧されるよりは、すっとましだ。
選択的バイセクシュアルを望む人、それに近いセクシュアリティのゆらぎを感じている人が多くいるなら、そういう人たちなりの自己表現がもっと必要だろうなと思う。
そういう場合、言葉を尽くすより、1人の影響力のある人間の存在感が、ずっと雄弁だったりする。
ゲイやレズビアントランスジェンダーも、存在感のあるロール・モデルが、社会の意識を変え、当事者自身の手本ともなる、大きな役割を果たした。


だから僕は、ナタリー・ポートマンには、「アタシはレズビアンなんかじゃないけど、同性とも恋愛しなければ勿体ないと思うの」なんてのではない、リスペクタブルな選択的バイセクシュアルのロール・モデルを、今日からでも実践して欲しいと思うのだ。天下の「優等生」俳優には、そのぐらい期待しても良いと思うのだが、ダメだろうか。


5月4日追記


上記リンクのAfterEllen.comのコメント欄にあるが、ポートマンは数年前にも同じ発言をしていた。
ナタリー・ポートマンのファンサイトnatalieportman.comで確認できる。

Q : I hear Natalie is a lesbian, whats up with that and do you have photos?
A : The rumour stems from the Rolling Stone interview. What she says is that she's open to the idea of same sex relationships. While she has never felt that way herself she feels it'd be silly to rule out the possibility. Nothing is ever certain. So to recap: NOT GAY!


Natalie Portman.com-Frequently Asked Questions (2002-10-10)


『ローリング・ストーン』誌のインタビューの該当箇所は、これ。

Have you ever wondered, growing up, whether you were gay?

"Sure. I've never dated a woman of anything like that, But, I mean, I think it's much more the person that you fall in love with ミ and why would you close yourself off to fifty percent of the people?... [Returning to the subject later] I think my personality is more compatible with men than women. Women in environments like my school and my work are sort of trained to be competitive. I mean, I have some girlfriends who I love. I just... in school it's much easier to be friends with guys."

−成長して、自分が同性愛者なんじゃないかと疑問に思ったことはありますか?

もちろんあるわ。私は女性とデートしたりしたことはない。でも、私が言いたいのは、ずっと大切なことは、恋に落ちる相手がどんな人かってこと。−それに、どうして50%の人間と恋愛する機会を閉ざすのかしら?…[後の話題に戻って]私は女性より男性と協調性のある人間だと思う。私の大学や仕事のような環境にいる女性は、なんというか、競争心を持つよう鍛えられている。私は、愛するガールフレンドを持ちたいと思うの。ただ…大学では男の子と仲良くする方が簡単だわ。


子どものころバービーや男の子人形に異性同性問わずセックスさせて遊んでいたというエピソードなんかも語っているあたり、自分のセクシュアリティとしてバイセクシュアリティを強く打ち出しておきたいのが彼女の意志のようだ。


それにしても、僕が驚いたのは、natalieportman.comの「ナタリーはレズビアンだと聞いたんですけどどうなんですか、写真持ってませんか」という質問のほうである。なんだよ、写真、って…
こういうのを見ると、レズビアンってたいへんだよなあと、人ごとながら思ってしまう。

*1:たしか2005年前後だ。「ハードゲイって本当にいるんですか?」って質問がメチャメチャ多かったから。