「ザ・コンプリート・クローヴィス」


仕事と関係ない趣味の本を原書で読むようなゆとりも能力もないのだけれど、できれば欲しいな読みたいなと思い続けていた本があった。


Saki, The Chronicles of Clovis


サキが好きな人は世界中に大勢いるが、サキのファンとはすなわち絶対にクローヴィス・サングレールのファンである。確信を持って言える。


よく言われるように、サキの世界の第一の主人公は子どもだ。作家の子ども時代を反映して、抑圧され、悲しみを胸にため、しかし頭が切れ、冷徹で、なにより肝が据わっている。強烈な想像力を持ち、自分だけを頼み、自分の尊厳を守るためなら人さえ殺す。
こんな冷静で頭がよく容赦ない子どもが成長して自由になると、無敵である。サキの世界は、こうした天上天下唯我独尊のヒーロー・ヒロインが渡り歩く無法のジャングルだ。ヒロインの代表格は「開いたままの窓」のヴェラだが、ヒーローはなんたってクローヴィスだ。


ハンサムでオシャレでナルシスト、とてつもない自惚れ屋で自信家だが、実が伴わないわけではない。不動の自己中心主義と怒涛の嘘と舌先三寸で、強引に世の中を渡りたおす。
なにしろ、並みの嘘つきではない。モットーは「つく価値のある嘘は上手につけ」。「禁じられたハゲタカ」は彼がめずらしく友人の恋のライバルを追い払う手助けをする話だが、そのためにつく嘘がムチャクチャである。独創性がありすぎだ。
「セプティマス・ブロープの秘密の犯罪」は、話自体はたいしたことないが、どこにいっても一番うまい汁を吸うクローヴィスの頭がいいんだかせこいんだか分からないテクが堪能できる。恩を売ってせしめるタイピンの品選びもちゃんと自分でする、というのが僕的にはツボであった。自分のためにはどこまでも手を抜かない男。


このクローヴィスの名を冠した短編集が、『クローヴィス年代記』だ。新潮社の『サキ短編集』筑摩書房『ベスト・オブ・サキ』に入っていないクローヴィス物があるんじゃないかと、高校生の頃から悶々としていた。とはいえ原書を手に入れるために腰を上げるほどでもなかったので、ずっとうっちゃらかしていたが、最近、ウェブで原文が読めることが分かった。


Doklands-The Complete Clovis


…なんだか、ちょっとヘンなサイトである。
HTML化したサキの作品サイトはにもあるのだが、このサイトが(ヘンながら)気にいったのは、各作品集からクローヴィス物だけを徹底して集めているところである。その名も「ザ・コンプリート・クローヴィス」だ。おお、同志よ。
「ルイーズ」みたいな、クローヴィスの名前が一回しか出てこない作品まで入れているのだからおかしい。『年代記』以外の作品集からの未邦訳クローヴィス物も入っていて、得をした気分だ。
このサイト主も、どうやらクローヴィスにベタ惚れらしい。

Clovis Sangrail is one of the most wholly remarkable creations in all of fiction. He is not so much a cliché as an archetype. He is young, handsome, witty, rude, healthy, innocent, sensuous and very much alive. I am more than a little in love with him, and this archive is my way of spreading the word about this supraordinary young man. I think his voice comes across in the stories collected here.
Doklands-Saki and Clovis


サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)は1870年にビルマミャンマー)で生まれた。大英帝国の植民地っ子だ。彼の小説には通奏低音のようにオリエントの響きが流れている。ビルマの植民地警察に勤め、その後ジャーナリスト、作家になった。1916年第一次世界大戦に志願し、塹壕で死んだ。結婚はせず、ゲイだった。
クローヴィスは、サキの理想の自分か、恋人だったのかもしれない。


少しずつ読んでいけるか、な?