塚本邦雄「聖父哀傷図」(2007-11-21)


淀川長治さんのヴィスコンティについてのエッセイ「ヴィスコンティの男色」(『男と男のいる映画』isbn:479175509X)をこのエントリで引用したあとで、エッセイの初出誌である『ユリイカ1984年の「ヴィスコンティ特集」を古本屋で手に入れた。いろいろ面白い本だったが、特集の冒頭に高橋睦郎塚本邦雄淀川長治という顔ぶれが並んでいたのが、日本の「ゲイ・コネクション」を感じさせるようで、なんだか妙に嬉しくなった。塚本邦雄のエッセイは、「聖父哀傷図−裏面から見た「家族の肖像」」(『ユリイカ1984年5月号, pp.66-70.)。『家族の肖像』についてだ。


家族の肖像(1974)?-?goo?映画


三島由紀夫の伝説(?)のポルノグラフィ「愛の処刑」を掲載し、「日本探偵小説三大奇書」の1つとされる中井英夫『虚無への供物』のエスキースを胚胎した日本のゲイメディア黎明期の雑誌『アドニス』に、歌人塚本邦雄(1920-2005)も菱川紳のペンネームでポルノグラフィを執筆していたことは、今ではよく知られていると思う。


僕は確か伊藤文学さんのブログで知ったのだが、検索してみると『彷書月刊』2006年3月号の『アドニス』特集「アドニスの杯」で、改めて広く認められたようだ。塚本邦雄が亡くなったのは2005年6月だが、8月の『現代詩手帖』特集版による追悼号『塚本邦雄の宇宙』で、高橋睦郎がそれに触れている。
月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」−2005年10月25日−『アドニス』誕生秘話
彷書月刊を読むー特集 アドニスの杯(2006年2月25日発行)


いわば「バレバレ」な感じのする三島由紀夫や、同性パートナー(『アドニス』二代目編集長田中貞夫)がいた中井英夫と違い、塚本邦雄自身が同性愛者であったことを伝えるような話は,僕は聞いたことがない。結婚していた(子息は作家の塚本青史)塚本邦雄個人のセクシュアリティがどうだったか、詮索するのは完全に無意味だと思う。歌を詠む「われ」と作中の「われ」はイコールではないというのが塚本の歌のありかただったから、彼の歌や文章にしばしば見える豊穣な同性愛表現は、彼の性的指向の如何にかかわらず、まずその作家的想像力の産物だと考えるのが自然だろう(むせ返るほど官能的な同性愛の歌は異性愛者には絶対に詠めないはずと一方的に決めつけるほうが、なんだか不自然だ)。塚本邦雄が1951年に『水葬物語』でデビューしたとき、彼を発掘したのは『短歌研究』の編集長だった中井英夫なのだから、塚本が共通した文学的感性を持つ者同士で創作的ゲイ・コネクションに連なったのは、ある意味当然に思える。中井英夫が『虚無への供物』の習作を発表した1955年前後のことだとしたら、塚本が30代半ばの頃だ。


大切なのは、男への愛や欲望が塚本邦雄の表現の欠かせない要素のひとつだった、という、ただそのことなのだと思う。そして、現代日本文学には、傍流であろうが、男性同性愛を表現のひとつとする系譜がはっきりとあったのだな、と、いまさらながら感銘を受ける。だが、ゲイメディアとの関わりを滅多に口にしてはならないことのように扱ったり*1、表現が同性愛に関わりがあるだけで一気に「特殊分野」に隔離するような見かたは、その認識を狂わせていないだろうか。


現代詩手帖塚本邦雄追悼号に高橋睦郎が寄せた追悼文は、そのタイトルが「「菱川からもよろしく」」という。



 1950年代から60年代にかけて、アドニス会、別名ギリシャ研究会という会があり、会誌「アドニス」および別冊「アポロ」という小冊子が、併せて60数冊刊行されている。
(略)
 同性愛をテーマとする論考・体験談・小説がほとんどだが、三島由紀夫中井英夫塚本邦雄が変名で執筆していることを僕に教えてくれたのは、60年代の短歌運動にも加わった深作光貞である。
 変名というのは三島が榊山保、中井が碧川潭、塚本が菱川紳。榊山作品は一作だけで「愛の処刑」。これは中学校体育教師と美少年生徒の切腹と服毒による心中が主題だが、三島作品として著名な「憂国」の原型であることは明らかだ。碧川作品はいくつかあり、その一つの題名は「虚無への供物」で、断続的に連載されている。中井の代表作として世評高い『虚無への供物』は碧川潭の名でこの小冊子に連載された習作が、成長したものなのだ。菱川作品は数えたことはないが、十作前後はあろうか。
 なぜこんな小冊子が名作の母体になったかといえば、アドニス会の代表の田中純夫[原文ママ]が中井のパートナーだったからだ。塚本が菱川の名で寄稿したのも、短歌誌編集者としての塚本と昵懇だった中井の慫慂によるものだろう。ちなみにこの辺の事情を教えてくれた深作も,光井竜一の変名で実録とも小説ともつかない、パリ生活ものの常連寄稿者だった。
 榊山、碧川、菱川三者の中では、文芸的香気の最も高いのは菱川作品だ。それでいて、ポルノグラフィ必須の淫猥さもじゅうぶんに備えている。(略)


 塚本の歌は根のところで同性愛者の歌だ。すくなくともそう読まなければ解けない歌がかなりの数ある。とくに『感幻楽』。



わかものの臀緊れるを叙情詩のきはみにおきて夏あさきかな


噴上げの穂さき疾風に吹きをれて頬うつ しびるるばかりに僕(しもべ)


こころは肉にかよふ葉月のうすら汗武者が髪結はるる顎の汗


銀の串もて鮎つらぬきし若者のこころすなわちわれつらぬかむ



 レオナルド論やプルースト論、カヴァフィス論が同性愛的要素を外しては成り立たないように、塚本論もそれを外しては成り立ちえまい。そういえば、塚本から僕への私信の追伸にはしばしば、「菱川からもよろしく」とあったものだ」


高橋睦郎「「菱川からもよろしく」」『塚本邦雄の宇宙』pp. 140-141.


この最後の逸話が真実なら、なんだかとても面白い。
塚本邦雄はなんのてらいもなく菱川紳であり続け、菱川であることを楽しんでいたのかもしれない、そんな想像に誘われるのだ。


(未完、続く)

*1:塚本邦雄の『アドニス』とのかかわりが、なんだか死後に一斉に語られているように見えるところに、それを感じる。とはいえ、本当に生前に語られることがなかったのか僕は知らないだけであること、同性愛表現は塚本文学の一部でしかないことや、『アドニス』自体が隠れたミニコミだったから語られようがないということも、もちろん考えにいれとかなければいけないが。